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オンライン、メタバースの時代に突入しようとしている。世界はこれから、いやすでに大きく変わりだしている。オフィス・都市のメタバース化がはじまるなか、都市はどうなっていくのか。現実の都市を生きるのか、仮想の都市を生きるのか、どちらの都市を行き来することになるのか。少なくともいえるのは、私たちはこれから一人何役で生きていく世界がやってくるということ。なによりもこれから私たちが直面するのは、これまでの「都市」という概念が根底から覆されていく。

1.人が都市に集まらない。

「コロナ禍の2年、売上は半減した。来店されるお客さまは15時までとなった。16時ごろから来られた女子大生、17時半ごろから来られたOLが、コロナ禍以降、来られなくなった」と大阪を中心に若者向け服飾店を経営する友人。大学・短大でのオンライン講義の普及、企業におけるテレワークの普及、そしてオンラインショッピングの拡大が物販店売上半減の理由である。人々の行動変化が都市の構造を変えようとしている。それは必然。

都市のオフィスに通勤して働く人、都市の大学・短大・専門学校に通学して勉強する人が減ると、都市の日常的「余暇」市場は縮小する。そうなると、都市の物件の価値が下がり、それをもとに資金を融通していた世界が不安定になり、都市経済はまわらなくなっていく。

オンラインビジネス・オンライン講義・リモートワークの流れは元に戻らない。そうすると、東京・大阪など都市に集まっていた余暇市場が剥げ落ちる。地方のヒト・モノ・コトを都市に集積して膨張しつづけてきた都市の役割・機能が、戦後76年目で大きく変わろうとしている。

戦後76年、日本は意図して地方から都市に、とりわけ東京にありとあらゆる機能を集中させてきた。戦後前半はそれでうまくいき、戦後後半はそれでうまくいかないことが綻びだした。

なんでもかんでも東京だった。その東京の学校に進学する若者が減り、東京に勤めに行く人が減るという流れがつづけば、東京はこれまでの東京ではいられなくなる。新幹線の旅客数は今もって戻らない。飛行機の利用者数も戻っていない。東京に行く人が減っている。

会議・展示会・講演会などビジネスの多くはオンラインとなり、地方からの出張が減った。オンラインは便利で、大きな問題はない。オンラインにリアルを組合わせたら、不十分さをカバーできる。むしろ前よりもうまくいっていると感じている人も多い。そういう人がさらに増えたら、これまでの東京や都市がもつわけがない。

コロナ禍で今までできなかった、しなかったことをしている。それが2年間つづき、慣れ、定着しはじめている。コロナ禍3年目の現在、コロナ禍社会のひとつひとつの現象よりも、社会システムとしての都市課題、もうすこしいえば大都市の構造変化、さらにいえば「東京とはなにか」を問い直すこととなる。

そうなると、人々の働き方・人々の生活の変化という現象面から、都市とはなにか、都市の役割・機能とはなにかを問い直すようになり、「都市のあり方」にスポットライトが当たっていく。これから私たちは都市と郊外・地域・地方の関係および構造の変化のなかを生きていくこととなる。

2.コロナ禍での都市の現在

世界最大の人口都市だった江戸時代の江戸は、参勤交代で全国の藩から人が集まり、郊外から人が集まった。全国の大名は自藩のお金を江戸屋敷に送った。江戸は全国から人とカネを吸い込み、江戸で消費させた。消費経済でまわっていた江戸の構図と戦後東京の構図は近似で、全国から人々が集まらなくなったら消費は減るのは必然。オンラインビジネス・リモートワーク・これからメタバースが融合した社会で、都市の機能、都市と郊外・地方の関係が変わらないわけがない。にもかかわらずコロナ禍からの前提条件を問い直さない企業・人は多い。

0309_COMEMOの図

コロナ禍となった2020年に、情報受発信構造の変化の可能性を書いたが、2年が経ち、その「情報との向き合い方」の変化を実感している。何十年も「東京一極集中」のあり方が議論されてきたが、コロナ禍で実態的に「地方分散」の流れが動きだしている。しかしその流れを踏まえて動こうとしている企業・組織・人とそうしない企業・組織・人に二分している。コロナ禍3年目の現在、また「抵抗勢力」が浮上してきた。

ある大学の理事長と話をした。「コロナで、あきまへん。オンライン講義をせなあかんようになって、対面講義がなかなかできまへん。早くコロナに終わってもらわんと困りますわ」「昨年につづいて今年も受験生が減って大学の収入が減って、正直こたえますわ。とりわけ短大の受験生はコロナ禍前の半分になって、ほんま大変。せやけどもともと少子化になってるんで、織り込み済みですけどな」

その理事長にとって、コロナ禍はすべてマイナス。コロナ禍によって始まったオンライン講義は、大学にとってマイナスで、大学生・短大生にはなにもメリットはないと思い込んでいる。それはそういう面もあるが、これからの社会変化に向けた学びの改革の方向性は聴けず、コロナ禍後の大学の姿はこれまでの延長だった。最後の言葉は、「コロナ禍がおわったら、もとの大学に戻れます。もうちょっとの辛抱ですわ」だった。

コロナが収束したら、コロナ前が待っている。本音のところ、そう考える経営者は多い。コロナコロナと口ではいうが、意思決定する決断において、前提条件を変えない、今までどおりに考える経営者は多い。

新幹線や飛行機に乗っている人は少ない。ビジネスホテルの空室が多い。空室が多いビルが増えている。コロナ禍2年間、東京に行かなくても、仕事はまわる、情報は手に入る、勉強もできる。
地方から郊外から東京に行かなくなると、東京が東京であった役割・その機能性は大きく変わるだろう。にもかかわらず、今までと同じように高層ビルやタワーマンションが建ちつづけるというのは、どういうことだろうか。

3.コロナ禍からの東京と地方はどうなる

コロナ禍を契機とした変化はすさまじい。しかし都市と郊外・地方の変化は同じではない。首都圏と地方では、人々の行動変化の意味がちがう。東京から地方に戻る人の流れと、首都圏の郊外の家を売って東京都心のタワマンに住もうとする人の流れや東京から首都圏郊外に移る人の流れとはちがう。

全国的に起こっていることがある。東京で頑張ってきた人が地方に帰った。たとえば青森県の弘前に帰ってビジネスをはじめた、津軽で最先端の店を開いた。すると地元のテレビや新聞がその東京から帰ってきた人たちのことをニュースに取り上げる。それが地元にインパクトを与える。

       ぼくたち、私たちにも、できるのではないか

というエネルギーを与える。このように東京から地方に戻る流れには、地方に大きな変化をおこすダイナミズムがある。

首都圏郊外は東京都心とセットの構造である。一方、首都圏以外の地方は小規模であっても地域内で完結できる。人間の日常的な行動は「30分圏」が基本となっており、たいがいの人々の活動はその範囲内で成り立っている。そこにオンラインを活用できるようになり、その方が快適で健康的で心地よくなった。

生活の基本は30分圏であり、その範囲ですべてが完結する。その範囲を超えると、生活コストが上回る。オンライン・テレワークがない時代は都市に行かねばならなかったが、コロナ禍でそうしなくてよくなった。東京や大阪や名古屋に行かなくても、郊外でも地方でもオンラインでなんでも買える。郊外でも地方でも、オンラインで学べてコンサートも「最前席」で参加できる。大都市に行かなくても、はやりの情報もリアルタイムに入手できる。

いやむしろ郊外や地方のほうが、おしゃれでスマートで、気持ちいい心豊かな生活ができる。オーストラリアのメルボルンは「20分生活圏」に再構築して「世界一住みたい街」となった。コロナ禍のなかで、パリは「15分都市計画」をめざし、アメリカも「10分ウォーク」の街へと、都市・郊外・地方のあり方を見直しだしている。

社会はオンラインを求めている。しかし人はバーチャルだけでは生きられない。だからこそ本当のリアルを求める。人はそれぞれリアルとバーチャルを融合した新たな世界観を求めて動きだし、そのステージを都市・郊外・地方で実現しようとしている。このようにして都市は変わっていく。




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