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Speak Up with 1 Action 〜「大企業病」ニッポンに必要なこれからのリーダーシップ

お疲れさまです。uni'que若宮です。

新年度、みなさまお元気におすごしでしょうか。

浦沢直樹さんや江口寿史さんが炎上しているらしいです。新型コロナウイルスがまだまだ拡大し、収束がなかなか見えない中、SNSでも批判的な空気が徐々に強まってきています。

「マスク」騒動についても、叩き合いのようなことが起こりました。
「2枚で意味あるか!」という声があがれば、「頑張って支援考えてる人がいるのに文句言うな!」という声があり、「税金だから文句言う権利あるだろ!」に対して「じゃあ代案だせ!お前がやってみろ!」という感じになってしまったりします。

個人的に、政策について思うところもあるのですが、今回は政策の中身についてではなく、組織論というかリーダーシップ論を書きたいと思います。

というのは、先程あったような批判の応酬を見ていて、大企業病に近い感覚を覚えたからです。

「大企業」ニッポン

今回の政策に関するあれやこれやの批判をみているうち、僕はある種の既視感に襲われました。

それは同じような不満を、かつて大企業で働いていた時によく聞いた(もしくは自分も口にした)ことです。「社長が中途半端」とか「会社が古いからダメ」などなど。それはそれで正論ではあるのですが、かといってそんな人に限って、一方で改革によって自分の給料が3万円下がるとなると猛烈に文句を言い始めたり。もっと裁量をくれ、というのでまかせられると「丸投げ」と批判したり。要はどっちになっても批判する。そんな人が結構いました。

今回の件で「自粛と補償はセットだろ!」と声高に叫んでいる人でも、ではそのために自分の給料や報酬が下がるとか、コロナが終わった後は税金上げるからね、と言われたら手のひらを返したように反対するひとが存外に多いのではないでしょうか。

なぜこのように手のひらを返すかというと、批判をしている時には自分が不利益を被ったり血を流すところまでは想像していないからです。つまり、この種の批判は翻訳すると、「自分は困らない範囲でもっと誰かいい感じにしてくれ」ということです。どこかで他人事で他力本願な。

どうしてこういう人が大企業に増えるかというと、ある程度安定していて現状でもそれほど困らないからです。自分がわざわざ動くメリットも少ない割に、自分だけが動くとリスクが大きい。かつて経済大国でいまもそこそこ生きやすいニッポンはそういう意味で大企業に似ています。

そしてこういう人が多い時、組織の意思決定はまるでジョークのように劣化し始めます。働く人の大半が「おかしい」と思いながら、誰かが止めてくれるのを期待してお互いに責任を押し付け合いつつ、誰もそのリスクをとらずに、結局はみんなが「????」となるようなところに着地することが多いのです。「大企業病」といわれたことがある企業で働く人は、思い当たることが一度ならずあるのではないでしょうか。

実際、政府がなかなか補償や封鎖など明確な判断を出せないのも、どんな意思決定をしようが批判されるからだということもできます。色んな批判の声を聞きながらどれも捨てられずに最大限に調整した結果、海外に比べると冗談に思えるほど中途半端な施策になってしまう。

なんだよ政府ってバカなの?と言っている人でも、実は自分が働く会社や自分がいる業界ではもっとおかしなことがまかり通っていて、その小さな不条理を変えることすらなかなかできない、なんてことはないでしょうか?

今必要なのは本当に、トップダウンの統制的なリーダーシップか?

よく考えたいのは、たしかに政府の打ち手は中途半端に見えるけれども、果たして本当にもっと強権をもったリーダーシップがあった方がいいのだろうか?ということです。

一般に「有事」には迅速な対応が必要なので「トップダウン型統制」の方が適しているように言われています。今回の件でも、「トップが大鉈を振るうような決断をしている」国もあり、日本とのリーダーシップのちがいが言われたりもします。しかし、トップダウン型統制の場合、ある程度強権を発動して個の権利を制限することにもなりますから、強いトップダウンはしばしば多様性を排除し、同一性を要請します。「命令に従わない」人は排除されるべき異物ということになるのです。あなたは本当に、強いリーダーシップのもと外出したら逮捕されたり、批判をしたら投獄されたりしたいでしょうか?

僕自身は、トップダウン型の組織においてはしばしば、間違った統制が起こり戦争や虐殺など大きな過ちが起こってきたので、基本的にはボトムアップ型の組織の方を志向しています。一見効率が悪かったり、思い通りに行かないことも多いけれども、自社の経営も極力ボトムアップでやっています。「ボトムアップの組織」というと、個の判断にまかせるなんて性善説だ、と言われることもあるのですが、トップダウンでは権力が集中するため、そのほうがむしろ「トップが間違わない」という性善説的前提が必要です。(分散型と集中型のリスクのあり方のちがい)

日本も第二次大戦などの反省を踏まえ、国民主権を謳い、少しずつ民主主義を育ててきました。しかし、このところ検閲や憲法改正など、少しずつ個人の自由が制限される方向に向かっている感もあります。そこに今回の新型コロナウイルスです。いま、日本人はまさに選択を迫られているのかもしれません。

確かに、日本のリーダーは他国のリーダーと比べるとやや頼りない感じがします。しかし本当に、もっと強権をもったリーダーが必要でしょうか?『サピエンス全史』『ホモデウス』と人間についての大著で知られるユヴァル・ノア・ハラリ氏がこんな記事を寄稿しています。

今回の危機で、私たちは特に重要な2つの選択に直面している。1つは「全体主義的な監視」と「市民の権限強化」のどちらを選ぶのか。もう1つは「国家主義的な孤立」と「世界の結束」のいずれを選ぶのか、だ。

トップダウンの強い社会は「全体的主義的な監視」に向かいます。強権をもって監視し、制限を課せば、コロナも早期に終息させることができるかもしれません。しかし、そこにはリスクもあります。

だが、これにはマイナス面がある。ぞっとするような新しい監視システムが正当化されるということだ。

国やトップ主導で危機を乗り越えるために、これからの個の自由を捨てるべきでしょうか?

ボトムアップ・リーダーシップ

そもそも、日本は「国民主権」です。ということは、国を主導するのは、僕ら国民なはずです。であればやはり、トップが上手いことやってくれるのを期待するだけではなく、僕たち一人ひとりが生活の中でリーダーシップを発揮していくことが大事なはず。

もちろん、民主制といっても、僕らが「直接に」すべてを決められるわけではありません。たとえば税金は僕らのお金ですが、自分たちで使い方を決められるわけではありません。納得いかないお金の使い方をされたら文句の一つも言いたくなるでしょう。

しかし、その人たちを選んだのも僕らなのです。

選んだ自分たちの責任だから批判せずに黙ってろ、という事が言いたいのではありません。声はあげていいのです。

僕は起業前、DeNAという会社に勤めていたのですが、そこの行動指針で好きな考え方があります。それは「Speak up(発言責任)」というものです。

Speak Up
発言責任
役割にかかわらず、しっかりと自分の考えを示す
発言する内容に責任を持てという意味ではなく、思ったことを発言すること自体がとても重要だという意味。「誰が言ったかではなく、何を言ったか」。角が立つことを恐れずに、適切な場で適切な相手に適切なマナーで直言する。
また、発言責任は傾聴責任とセットで初めて定着することを認識し、批判やインプットには真摯に耳を傾けることで、発言責任が果たされやすい組織を作っていく。

忖度せずにちゃんと意見を言おう、ということなのですが、僕がこの考え方で特にいいなと思うのは、「発言する内容に責任を持てという意味ではなく、」という部分です。

いま、批判の応酬の中に「専門家じゃないなら黙ってろ!」とか「じゃあお前がやってみろ!」というような声があります。しかし、こういう叩き方はやはり間違っているのではないかと思うのです。ひとはそれぞれ、与えられた能力や権力、環境というのがあります。もし自分で実行できることしか発言できないとなれば、ほとんどの人が口をつむぐしかなくなり、意思決定や情報は一部の特権的なものとなっていくでしょう。それゆえ、「文句言うんならお前がやれ!」という言葉は「子供は黙ってろ!」という言葉にも似て、実はトップダウン型の考え方に通じます。

そうなるとどんどん、社会的弱者やマイノリティーの声は切り捨てられていくでしょう。文句があるならお前が頑張って総理になってやってみろ!と、しかしそうなれる可能性や機会を奪い続けながら言うのです。

だから、日本のみなさん、おかしいとおもったら臆せず、ちゃんと発言しましょう。

それが国が再び全体主義的に誤った方向へ向かわないための抑止力となり、国民に主権を取り戻すことにつながります。「発言責任」を果たしましょう。

ただ、その時一つだけ、気をつけたいことがあります。それは「大企業」的な批評家にならないこと。それにはどうしたらよいでしょうか。批判を言いたくなった時、僕自身は、できる限り

発言に関し、なにか小さくても自分がいまできる行動はないか?を探して自分ができることをする。

ということを心がけたいと思っています。

「外出自粛」についても、「緊急事態宣言」についても、いろいろな考え方があるでしょう。ただ、それを他人事として批判し合うと、誰かが解決してくれるまで不満を言う大企業病のようなことになってしまいます。

「休業補償をちゃんとやれ!」というのは実際に困っている人がいるのですから声を上げていくべきです。しかしそれが自分の税金があがったり身銭を切ったりしない前提ではただの他人事の批評になってしまいます。本当にそう思うなら声をあげつつも、身近な人やお店を助けるために声をかけることでも収入のアイディアを出すことでも、なにかできることはないでしょうか。

「緊急事態宣言出せ」とツイートするなら、まず自分が外出しない、そして家族や友人に声を掛ける。「マスク2枚ww」という時、それでもマスクが足りていないひとために、自分のマスクを譲れたりはしないでしょうか。そういう小さな「行動」を起こすことが少しずつ社会を変えていくはずです。

さきほどのハラリの記事から再び引用します。

中央集権的な監視と厳しい処罰が市民に有益な指針を守らせる唯一の手段ではない。市民に科学的な根拠や事実を伝え、市民がこうした事実を伝える当局を信頼していれば、政府が徹底した監視体制など築かずとも正しい行動をとれる。市民に十分な情報と知識を提供し、自分で可能な限り対応するという意識を持ってもらう方が、監視するだけで、脅威について何も知らせないより、はるかに強力で効果ある対応を期待できる。
例えば、せっけんで手を洗う行為について考えてみよう。これは人間の衛生管理における過去最大の進化の1つだ。この簡単な行動が毎年、数百万人の命を救っている。今でこそ衛生管理に必要な当たり前のことと理解されているが、科学者がせっけんで手を洗う重要性を発見したのは19世紀に入ってからだった。

発言することは止められるべきではありません。しかしそれが「大企業」的な批評家にならないため、発言につき一つの行動をしてはどうでしょうか。

Speak Up with 1 Action

僕は個人的には、日本はもっと個人の力が生きる社会になってほしいなと思います。そのために必要なのはトップダウンのリーダーシップではなく、そういう発言と行動に導かれるボトムアップのリーダーシップではないかと思うのです。

あ、あと、とりあえずみんな、もっと選挙行けよな!

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東洋経済「すごいベンチャー100」uni'que CEO、 ランサーズタレント社員 (最近の興味)編み物としての建築←コアバリュー、アート思考、新しい働き方、新しい教育 ←DeNAで新規事業 ←NTTドコモで新規事業 ←美学藝術学研究者 ←アート・音楽イベント主催 ←建築士

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