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「生ジョッキ缶」タイプの発想は技術と訓練で大量生産できる

空前のヒットとなった「生ジョッキ缶」

2021年上半期の明るいニュースでランキングを作ったなら、おそらくアサヒビールの「生ジョッキ缶」の大ヒットはTOP5に入るだろう。あまりにも好調な売れ行きに生産が追い付かず、急遽一次販売停止となったエピソードまで含めて非常にアサヒビールらしい。

同社は、定期的に業界を震撼させるような大ヒットをたたき出すイノベーターとしても有名だ。古くは、日本初のびん入り生ビールのアサヒ生ビール(1900年)、日本初の缶入り生ビールのアサヒビール(1958年)、1971年には日本初のアルミ缶入りの生ビールを発売している。アサヒスーパードライ(1987年)、アサヒ本生(現 本生ドライ、2001年)、スタイルフリー(2007年)、クリアアサヒ(2008年)と大ヒットから、各ジャンルの代表ブランドへと成長している。

顧客に新たな体験を与える

アサヒビールのヒット商品の歴史を振り返ると、同社の得意とするイノベーションのタイプが見えてくる。それは、ビール(または準ずる発泡酒)に新たな付加価値をつけて、顧客にこれまでになかった体験を与えることだ。

例えば、びん入り生ビールの登場は高級品だった生ビールの価格を下げることに成功して大衆の嗜好品として市場を創り上げた(厳密には、ビール瓶の大量生産に成功した品川硝子製造所の功績が大きいのだが)。アルミ缶入りのビールは、それまで売れ行きの芳しくなかった缶ビールを一気に普及させることになり、自動販売機から冷えたビールを買うことができるという新たなライフスタイルを創造している。

1987年のアサヒスーパードライの開発では、消費者の食生活が味が濃く油脂類の多い肉食文化に移行していることに気が付き、ピルスナーをベースとした軽い飲み口のビールとして空前のヒットとなる。また、消費者行動の分析から、それまでは家庭でもビールを飲むときはコップに注いで飲むことが一般的だったものが、若いものを中心に缶から直接飲むことが多いことに気が付き、缶から飲んでも美味しいという顧客体験を生んだ。

今回の生ジョッキ缶の開発も、顧客に新しい体験を提供している。ビールの魅力には、味やのど越しだけではなく、注いだ直後にモコモコと出てくる泡にもある。この泡に対して、それまでは顧客がグラスに注ぐという行為をしない限りは家庭で楽しむことができず、ビールメーカーとして手が出せない状態だった。そのビールメーカーとして手が出せない領域に挑戦し、実現したのが生ジョッキ缶だ。これによって、顧客は「缶ビールで泡を楽しめる」という新たな体験を得ることができた。

今ある商品の新しい常識を作り出す

トヨタが改善をベースとしたイノベーションを得意とするように、不思議なことに企業によってイノベーションの基となる発想法に得手不得手がある。例えば、Google はデータサイエンスで遊びのような発想を実現させることが得意だが、堀江貴文氏が度々触れるようにサブスクリプションのような顧客を掴んで離さない収益モデルを作り上げることが得意ではない。つまり、自分が得意とする発想法を訓練することで、アイデアの量産は可能だということだ。

このことは、イノベーションの基となるアイデアの発想法(事業機会の発見ともいう)には3つの特徴があることが関係する。

第1に、アイデアの発想法はワンパターンではないということだ。「イノベーション x アイデア」というと、すぐに連想されるのがシュンペーターの新結合だ。既存の要素と既存の要素をこれまでにない組み合わせで結びつけるとイノベーションの種となるという発想方法は、ある意味、独占的と言えるほどビジネス界に広まっている。しかし、実務的にも学術的にも、アイデアの発想法にはバリエーションがあることがわかっている。

例えば、生ジョッキ缶を例にするのであれば、ビールを楽しむ顧客の体験を要素分解し、その中で特定の体験(この場合は泡を楽しむ)を通常ではあり得ないと思えるほど拡大・伸張している。缶ビールで再現することは不可能だという既成概念を突破しているのだ。このように事象を要素分解してキーとなる概念を見つけ、それを基に既成概念を壊すアプローチは、学術的には形態素解析的手法(Morphological Analysis)として知られる。既成概念を壊すときにも、拡大・伸張するほか、逆転させたり、ほかのものに置き換えたりと多様なテクニックがある。

第2に、アイデアの発想は領域特化型の技能だということだ。テレビのワイドショーで、自分の専門領域では素晴らしい意見を述べるコメンテーターが、専門家らズレたとたんに見当違いの意見を言って批判されるように、人間の発想は自分の経験や知識、専門性を基にしている。

ハーバード大学のテレサ・アマビレ教授は、そのために新しい発想をするには、その領域でのある程度の熟練が必要だと述べている。熟練や専門性は行き過ぎると強力な固定概念で自由な発想を奪うリスクもある。しかし、何も知らない状態でアイデアを出せと言われることは、材料がない状態で料理しろと言われるのに等しい。元Google人材開発部長でプロノイアグループのCEOのピョートル氏によると、新しいアイデアは「その領域のことが本当に好きな素人から生まれる」という。アイデアの素材となる知識や情熱と、固定概念に捉われない自由な発想の2つが求められる。

第3に、アイデアの発想法は訓練可能だということだ。1950年に、アメリカ心理学会長の就任演説で J. P. ギルフォード教授が述べたように、優れたアイデアを発想する創造性は認知能力であり、測定や訓練が可能なものとして考えられてきた。それ以来、教育心理学の領域を中心に、新しいアイデアを考え出す発想法(Divergent Thinking)の教育訓練は研究主題の1つとなっている。それらの研究の結果、個人の生まれ持った知能指数の高低に関係なく、適切な教育訓練を施すことで新しいアイデアは誰にでも考え出すことが可能であることがわかっている。

しかし、既存の研究には大きな限界がある。どのようなメカニズムで個人の発想方法が変化するのかという原理はわかっていない。そのため、教育訓練方法の原則は、筋肉トレーニングと同じように繰り返し反復訓練を課すことによるアイデアを出しやすくするというものになっている。その訓練方法として最もよく知られているのが、ブレーンストーミングだ。ブレーンストーミングの生みの親である、アレックス・オズボーンとシドニー・パーンズ教授は、毎日、繰り返し数多くのアイデアを出し続けることで子供の発想力を鍛えるワークブックを開発している。

これら3つの特徴から、従業員を教育訓練することで競合他社と差別化した、独創的な新規事業アイデアをかなりの確率で狙って出すことができる。このことは、ヒットメーカーと呼ばれるイノベーターの多くが、自分の発想方法に勝ちパターンと呼べるような定型を持っていることにも関連してくる。イノベーションの基となる独創的なアイデアは、技能と訓練で大量生産可能なのだ。

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