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「イマドキの若者は…」とつい言ってしまうおじさんたちへ

「新入社員が定時になると即帰る、アイツはだめだ」

相変わらず定期的に出ますね。この手の「イマドキの若者」論。

こちらの記事では、新入社員には会社に対する帰属意識が希薄だから、会社も自分たちの居場所であるように意識づけしてあげるべきだ、的なことが書かれています。

居場所ねえ。

何度も同じこと申し上げて恐縮ですが、会社が居場所であった時代は、会社は35年後も自分たちの安定した収入と立場を約束してくれていた時代です。そうした未来に渡る恩義があるから忠誠を尽くしていただけであって、今のように何年働こうが給料なんかあがりやしない状況下で忠誠心だけ求めても意味ありません。

居場所論については「所属するコミュニティ」の枠組みで考えていたらもう終わりです。それについては、2018年にこちらの記事に書きました。お時間ある時にどうぞ。

さて、今回一番申し上げたいことはそこではなく、この「イマドキの若者」論がいかに馬鹿げたものであるかをご説明します。

例えば、こんな上司の愚痴。

「今の新入社員は、残業を命じれば断るし、週休二日制は断固守ろうとする。だから、残って仕事するのは我々上司なんですよ」

あ~、わかるわ。と思う管理職の方多いんじゃないですか?


もうひとつ。

会社の金で海外留学させたのに、帰国したとたん会社をやめてしまうんだよ。一体あいつはなんなんだ?


いるいる、そういうやつ。と思いますか?

でも、これ、いつの時代の話だと思います?

1986年の読売新聞に書かれた上司の新入社員に対する愚痴です。今55歳以上のおっさんの若者時代。変わらないんですよ。

こちらの話をツイートしたところ、なんと4000以上のRTと7000以上のいいねを頂きました。ありがとうございます。

ちなみに、1986年には週休2日はなかったという変なリプも頂きましたが、週休2日制は1965年に松下電器(現在のパナソニック)が導入し、1980年頃から他の企業も導入し出したものです。官公庁が週休2日になったのは1992年ですが、一般企業ではそれよりも前に始まっていました。


いやいや、1986年はバブル絶頂期で、彼らは「新人類」と呼ばれた世代。だから、その世代だけ異質なんだよ、と反論する人もいます。

果たしてそうでしょうか。


では、こんな上司の愚痴もあります。

昨今の若者は、すべてにわたって消極的で、思い切ったことをしない。
最近の奴は、口先の達者さだけで物事を処理しようとして、骨の折れそうなことは避ける。

これ、いつのどの世代を指していると思いますか?ゆとり世代?意識高い系世代?いいえ、どちらも違います。


これは江戸時代中期、1716年頃に書かれた「葉隠」という書物にある言葉です。

「葉隠」というと「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という一節があまりにも有名なため、死ぬことを美徳として推奨する本だと勘違いしている人が多いようです。

この本は、佐賀藩武士山本常朝が記した(実際には書いたものではなく口述記だが)ものだが、決して「死ぬ」ことを教えるものではなく、むしろ「生きる」ことを教えたものであり、「生きる」上でのマナーや心がけを説いた、今で言う自己啓発本やビジネス書に近い。それも概念論というより実践書と言えます。

その中で、老人である山本常朝が、藩の若い侍たちを見て愚痴っているのが先の言葉です。

江戸時代も今も変わらないでしょ?


というより、いつの時代だとしても、若者は若者であり、おっさんたちはいつの時代も「イマドキの若者は…」と苦言を呈していたわけです。ソクラテスも同じような愚痴を言ってたらしいですし、古代エジプト文明の壁画にも書かれていたという説もあります。時代とか世代とか民族の問題でもないんです。

おもしろいと思いませんか?「イマドキの若者は…」と文句を言っていたおじさんたちは、かつては自分たちより上のおじさんたちに全く同じことを言われ続けて、歴史が続いてきたということです。

人間はみんな自分たちが若い時にやっていた行動をすっかり忘れ、自分たちがやっていたことを否定したり非難するようになるということ。まるで自分たちが若い時はそうじゃなかったかのように錯覚して。

それは、年齢と経験によって得た知恵だということもできますが、むしろこれこそが僕の提唱している「人生とは新しい自分を常に生み続けている」ことの表れだと思います。

時間の経過とともに、人と出会い、交流し、本を読んだり、音楽を聞いたり、旅をしたり、特別な経験をするたびに、自分の中には新しい自分が誰の中にも生まれます。それを僕は「自分の中の多様性」と言っています。

次々と生まれてきた新しい自分は、本来自分の中に並立していいものです。ですが、大抵の人は上書きしようとしてしまいます、。実に勿体ないことです。いろんな体験によって生まれた刹那の自分は全部自分でいいんです。たったひとつの「本当の自分」が存在するなんて思うから、生きるのが窮屈になるのです。

おじさんたちは、かつて若い頃の無鉄砲で傍若無人で自由だった自分を、経験によって生まれた自分によって上書きしてしまうのです。だから、誰もが自分がしたことを忘れて「近頃の若者は」と言い出す。

おじさんたちが多様性を認められなくなるのは、そういう自分自身の中にある多様性すら抹殺してしまうからです。

自分で自分を次々と殺しているんですよ。

上書きしないでください。上書きしなくても新しい自分は残ります。新しく産まれた自分以外は決して「古くなった自分」ということでもありません。新しいとか古いとかそういう二元論で考えることじゃない。新しい自分と古い自分をフォルダ分けすらしなくてもいいと思います。くちゃぐちゃのカオス、ハロウィン時期の渋谷のスクランブル交差点状態でいいんです。

それを俯瞰で見ている自分がいると思ってください。全員がそれぞれ違っていても全部自分です。全部「イマココにいる自分を構成するすべて」なのです。八百万(やおよろず)の自分自身で自分の中を充満させましょう。それが充実感というものになるのです。


※こうしたお話にご興味あれば拙著「結婚滅亡」をぜひお読みください。




長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。