「正しい人」が救われるようにしたい
現在、「仕事のポリシー」というお題が出ております。
「パーパスが重要だ」と言われて久しいですが、私のような個人事業主だと「会社の存在意義」というより「自分の仕事の意義」についてよく考えることがあります。
たかだか弁護士6年目程度の若造ですが、日ごろ考えていることを書いていきたいと思います。
「弁護士は弱者に寄り添う」仕事?
私は基本的に会社様からのご相談を受けおり、いわゆる企業法務という分野の仕事をしている弁護士です。
特に、労働紛争の相談を受けることが多く、その観点からは使用者側の労働弁護士ということになります。
こうした日頃の企業からの法律相談とは別に弁護士会などの法律相談を受けていると、労働者側からの相談を受けることもあります。
その中で、「弁護士は弱者に寄り添う立場ではないのか!」とか、「労働者は弱い立場なのだから保護すべきだ!」という趣旨のことを言われたことがあります。
世の中的にも、何となく、「弁護士は弱者を保護すべき!」という雰囲気があるようにも思います。
「弱者=正、強者=悪」というわけでもないと思う
他方で、普段の仕事では、上記のとおり私は使用者側で労働相談を受けることが多く、その対応の中で、労働者側から色々な主張がされてきます。
当然、中には労働者側からのまっとうな主張もあり、会社に非があるものもありますが、明らかに労働者側に非があるにもかかわらず、全く反省がなく他の社員に迷惑をかけていることもあります。
会社としては「解雇する!」といっているわけではなく、単に問題行動を指摘し注意しただけでも、それを聞き入れないというこもしばしばあります。
労働関係では基本的に使用者側の方が労働者側よりも経済力等に照らして強い立場にあるとされ、大雑把に言えば構造的に「労働者=弱者、使用者=強者」と位置付けられています(こうしたカテゴライズ自体を見直すべきという議論も有力ですが)。
しかし、上記のような相談場面に直面すると、「労働者=弱者=正」、「使用者=強者=悪」というわけではなく、企業側は企業側で正当な権利、利益を有しているはずだと感じます。
実際「弱者が保護される」という社会でもなかった
もう一つ、私の仕事のポリシーに影響を与えている経験としては、親の会社の破産の経験があります。
そこでなかなか厳しい環境に置かれたのですが、「今の環境を変えるには普通の人より努力をしなければ」と思いました。
そこで、奨学金を借りたり、学費の免除を受けるられたという幸運もありつつ、体育会での部活(大学選択の目的がこれだったので、これだけは諦められませんでした)、アルバイトもやりながらコツコツ勉強し、なんとか今の仕事に就くことができています。
こうした経験から私が感じたのは、そもそも実際の社会は「破産をしてしまった=弱者」だから救われる社会ではなかったということです。
そうした状況にあっても、何も努力しないままで救いの手が差し伸べられるわけではなく、「真面目に一生けん命努力をした人」が救われる社会になっているのだなということでした。
「正しい人が守られる」世の中を目指したい
「弱者は救われるべきではない!」ということではなく、社会的、経済的に窮境に立たされている人がいることは事実であり、それはそれで政策的に救済されるべきだとは思います。
ただ、私の「仕事のポリシー」としては、「弱者=正」、「強者=悪」だという色眼鏡をかけないようにし、「正しい人」、「正しくあろうと頑張っている人」が救われるようにしたいと考えています。
何が「正しい」かは価値観が多様化した世の中において難しいところですが(法律家なので、一次的には「法律」とはなりますが)、ポリシーとして、抽象的にでも「正しい人」が救われるようしたいと考えて日々仕事をしています。
今回は自分語りになってしまいましたが、お読みいただきありがとうございました!