見出し画像

コロナ禍により、管理職の役割は「一貫した行動を通じたカルチャー創り」に純化される

筆者が40過ぎてから、つまりリーダーシップや仕事の進め方について、ある程度熟練してからの話です。

そのとき筆者はある外資の日本支社でマーケティング責任者をしており、上司は(日本の)CEOでした。彼は親しみやすいキャラクターで、社内から広く好かれており、冗談も仕事の話もニコニコ笑って聞いてくれる、とてもコミュニケーションしやすい上司でした。

そんな彼ですが、私が他部署のリーダーの説得、平たく言えばマーケティングのアイデアを他部署に社長から落とすことを依頼した時は、必ずプッシュバックしてきました。いわく「リーダー同士で話して解決してほしい」

彼は(おそらく)直属のどのスタッフに対してもその姿勢を貫いていました。この結果、彼のチームではスタッフ間のコミュニケーション量が多くなり、チームの一体感やスピードが高まりました。

また、チームから政治的な動きが減り、腹の探り合いのない、気持ちの良い空気ができました。CEOの直属だった者たちが、自分のチームでもCEOのように振る舞う現象も時折みられ、良い空気は全社的に伝播しました。

この企業では、組織文化として「サーバントリーダーシップ」、つまり非強権的で、傾聴・対話を重んじる民主的なリーダーシップを促進することを重んじていました。このCEOの行動は、サーバントリーダーシップを組織にインストールするのに、とても大きな役割を果たしたと思います。

また、この企業では日本以外に目を向けるてみると、それぞれの国で、それぞれのリーダーごとに、ユニークなやり方でサーバントリーダーシップを深耕しようとしていました。

中にはこれを全く気にかけていないリーダーも見受けられ、そのようなマーケットでは同僚たちがあまり幸福そうでなかったのが印象的でした。

ということで、今回はCOMEMOのこのお題に乗っかってみたいと思います。

筆者は今までいろいろな会社を見る中で、「XXバリュー」「XX社のヴィジョン」「XXクレド」などのタイトルで美辞麗句が開発されたものの、現場には全く響かず、スタッフの考え方も行動も大して変わらず、結果 大枚叩いた作文代金、それを名刺大に印刷して携帯できるようした印刷代金が無駄になっているのを目撃してきました。

また、やはり色々な会社で、上司の考えや行動原理が読めず、その結果不安になったり、手探りで恐る恐るの提案になって時間を浪費したり、といったことも良くみてきました。

それに対して上で紹介したエピソードは、筆者に、

・たった一人の上司の思慮深く一貫した行動が、組織文化を作ることができる

・それを通じ、彼または彼女は組織のヴィジョンや方針の伝承者になれる

という感慨を抱かせます。

これは換言すれば、上司(=管理職)という存在がなしえる、とても大きな貢献の一つに「文字で書かれた企業の信条・ビジョンを行動に変換し、組織カルチャーとしてチームに根付かせる」ことがある、となります。

チームで仕事をする組織において、考え方や行動の作法の源泉となるカルチャーは、チームが一つの方向を向いて結束し、メンバーのエゴをコントロールし、不要なコンフリクトを回避し、結果仕事の効率や創造性を上げるために不可欠なものです。

テレワークが進み、働き方の柔軟性が上がる力学が働き、一人一人の自律的な仕事の仕方が求められ、評価の基準は定量的な物差しにシフトしていくであろう中で、上司(=管理職)に求められることは、まさにこのようなことになっていくと私は思います。

今振り返ってみると、私は20人の上司と仕事をしてきましたが、どの人もその行動をチャネルとして、私の仕事の仕方、考え方、意思決定の作法などに大なり小なり影響を与えてくれました。

彼らを上司としてきた、私以外のスタッフも、私のような影響を受けているであろうことを考えると「文字で書かれた企業の信条・ビジョンを行動に変換し、組織カルチャーとしてチームに根付かせる」のは昔から変わらぬ管理職の役割なんですね。

となると、コロナ禍は、管理職の役割というものについて、スタッフのマネジメントや評価といった副成分を除去し、カルチャー構築に純化する、いわばフィルターのような役割を果たしたのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?