会話に「名の知れた人の言葉」を挟むってどう?
名の知れた人の言葉を自分の台詞に入れ込むとの手法があります。
他人の知恵を借りる、表現として簡潔、あるいは多くの人が共通に知っているであろうことを踏まえた方がメッセージが伝わりやすい等、いくつかの動機があります。
人によっては知識の広さを披露する場合もあるし、自分の喋る内容を権威づけたいとの狙いもあるでしょう。でも、これが受け手から反感を買われたりするのですね。
(ぼく自身のことを振り返ると、読んだばかりか、今、読んでいる本や映画のことをさかんに話す癖があり、うちの奥さんからは「またはじまった」とからかわれるはめになります。一緒にみた映画の内容を引用するなら良いのですが、自分しか経験していない内容を一方的に言われても困りますよね 苦笑)
こんなことを改めて思ったのは、以下の記事を読んだからです。岸田首相の所信表明演説が「ことわざ無く政策列挙」との見出しに、ほう、と思いました。
実際にこの演説を聞いていないので何とも言えないですが、自分の経験したことからくる言葉に重心を移したのは、こと、このことに関しては、まんざら悪いことではないなあと読みました。この先の実際の行動がどうあれ、です。
実のところ、ぼくは政治家の演説について語りたいのではなく、普通に話す会話、またはソーシャルメディアでの書き込みなどを念頭においています。プレンテ―ションの場はあまり想定していません。何気ないおしゃべりや書き込みに、えらく古典の本のフレーズをもってきたりする、あれ、です。
「それ、別に引用してもしなくても、関係なくない?」と思わせる、アレ、です。
ちゃんとした文章であれば、参考文献のその引用を明記するのがルールですが、そのようなレベルでない話をしている際、エライ人の言葉はお飾りにすぎないでしょう。しかし、その言葉が会話の運びを混乱させたりするのです。伝わるべきことが伝わらず、受け手はあまり良い印象をもたない。ろくなものではありません。
また、ことわざや四字熟語もあまり使われなくなった今、使う言葉にはより注意を払わないといけない状況なのだと思います。
言うまでもなく、今回の文章は自戒を込めて書いています。必要なときに、適切なフレーズを効果的に使うために無駄撃ちをしない。大切なのはこれかも、と思ったりしています。
写真©Ken ANZAI