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「元・〇〇」「〇〇出身」という、日本的呪縛

ポン・ジュノ監督すげーな!!四冠おめでとうございます、uni'que若宮です。

「パラサイト」の快進撃で湧いたアカデミー賞ですが、こんなニュースもありました。

「日本出身」ということで日本のメディアも多く報じましたが、一方で話題になったのが、カズ・ヒロさんが米国に帰化し、すでに日本人ではないこと。

カズ・ヒロさんはインタビューで

「(日本の)文化が嫌になってしまったし、(日本で)夢をかなえるのが難しいからだ。それで(今は)ここに住んでいる。ごめんなさい」

と語っていて、本人が日本が嫌で離れたのに、「日本」という括りで報道したり「日本の誇り」などというのはどうなのかとSNSで賛否も。

出自が大好きな日本

で、ふと思ったのですが、日本って「元〇〇」ってすごい好きですよね。なにか事件が起こっても「元教師が」とか「元警官が」とか「元ミス日本が」とか「元高校球児が」とか。

学歴とかもそうですが、人生はどんどん変わっていくのにずっと「元」がついて回る。いや、日本以外でも「ex-」とはいうのだと思いますが、日本の「元」はかなり強いラベリングです。しかも、「元」なのにそれがつくと集団の代表にまでなってしまう。

「元警官が窃盗で逮捕」とか報道されて、なぜか「いまの警官はけしからん」とかなってしまいます。

でも、「元」ですよ? 今は無職だったりするんですよ? そしたら「無職が逮捕」っていうだけでよくないですか?

いや、本人が帰属意識や経歴上意味や愛着をもって「元・〇〇」というのはいいとおもうんです。僕も昔「美学芸術学」という学問に出会ったのが自分のかなり人生を変えているので「元・美学」と言いたいです。でも、それでなにか僕がやらかしたら「元・美学者が」と報道されて迷惑がかかったらさすがにつらい…。

周りがそれをずっと引っ張るのは色々息苦しい。

現在は過去に先立つ

基本的にいって、「元」というのは過去であって、それを卒業したり方向を変えたりしたらもう「現」の方が重要ですよね。

もちろん過去になにかその人らしさが出ていたり、その為人を形成する要素ではあるけれども、過去はすでに過ぎ去ってしまっているので、それが意味をもつのは、あくまで「今」につながっている要素としてに過ぎません。

過去が現在に先立つのではなく、「現在は過去に先立つ」のです。

にもかかわらず、時々過去で人を評価する人がいます。「でもあのひと元〇〇らしいよ」とか。あるいは一瞬いた会社で年次が上だったからと言って直接世話にもなってないのに辞めても「元・後輩」扱いするひととか。

元なんて誰にでもあるしそれはもう過ぎたことでもあります。「偉そうに言ってるけどお前なんか元・小学生じゃん!」とか言われてもつらいし、それどころかなんと日本のノーベル賞受賞者はみんな「元・小学生」なんですよ奥さん!

そしてそういう風に「元・」に囚われているひとほど、嫉妬心が強いように思います。過去から成長して今に至っているのに過去ばかり話すことにあまり意味はないはずなのですが、「元・」にこだわるひとはずっと過去を向いていて、人が変化しているということを根本的には受け入れられないのです。「元・部下」が開花して自分を遥かに超えてしまっているのに嫉妬してマウントとろうとしたり、「元・経済大国」を信じてとっくに抜かれているのに他国を下にみたり。

個は名に先立つ

そもそもなんでそんなに日本は「元・〇〇」にこだわるのだろう、というのを考えていくと、なんのことはない、そもそも「元」に限らず、日本人は帰属の名でひとを判断しすぎなのかもしれません。

「元警官が〜」ですらニュースになるのですからもちろん「現職の警官が、」という方が大きなニュースになりますし、そのことで警官全体への風当たりが強くなったりする。事件を起こした人とはまったく別の人なのに、です。

日本人には、「原因」を過大に意味づけをしすぎる傾向があるように思います。

今回のようにおめでたいことでも、事件のような悪いことでも、なにか特別なことが起こると、「過去にその「原因」がきっとある」と考える。だから「元・〇〇」と言う呼び名に意味があると思ってしまう。

あるいは誰かたったひとりがなにか不正を起こしただけでも「きっと組織全体になにか問題があり、それが原因で事件を起こす人が出たのだ」とその「原因」を集団の名に拡大する。もちろん、実際に組織に問題がある場合もありますが、それは集団自体が問題なのではなくその仕組みが問題なのであって、集団の名を罵るのではなく、仕組みを改善すべきです。

過去や現在帰属する集団の影響は受けてはいますが、個はあくまで個で、集団と一対一につながってはいません。たまたま今そこにいるけれどもそれは変わるかもしれないですし、この価値や特徴を、帰属先の名が表すことはできません。むしろ名は、分節でありレッテルなので個を表すには常に不十分なのであり、本来「個は名に先立つ」のです。

「自分」は何にも「当てはまらない」

カズ・ヒロさんの別のインタビューを読むとこれがよくわかります。

結局、大事なのは、これまで何をしてきたかじゃなくて、これから何をするか、これからどう生きていくのか、何を残していくのかということ。
「ウィンストン・チャーチル〜」で受賞をした時にも、彼は、「日本を代表して」とか、「日本人として初の」というような言われ方をされるのが、あまり心地よくないと語っていた。
「日本人は、日本人ということにこだわりすぎて、個人のアイデンティティが確立していないと思うんですよ。だからなかなか進歩しない。そこから抜け出せない。一番大事なのは、個人としてどんな存在なのか、何をやっているのかということ。

カズ・ヒロさんが日本と縁を切りたかったのは、この「日本的呪縛」そのものでしょう。自ら切り開いてきたことを過大に「日本」に帰されたり、過去のことを出されたり。

アート・シンキングも「自分」起点ということをとても大事にしますが、カズ・ヒロさんのこの言葉にはとても共感します。

社会でどう受け入れられているか、どう見られているか、全部周りの目なんですよね。そこから動けなくて、葛藤が起こって、精神疾患になってしまうんです。結局のところ、自分の人生なのであって、周りの人のために生きているんではないので。当てはまろう、じゃなくて、どう生きるかが大事なんですよ

当てにいったり、当てはめたりしない。自分が殻のようにまとっている「他分」(=他人の分節)は、自分を守ってくれているようでいつのまにか自分を閉じ込め、窮屈になっていないでしょうか。僕自身そうでしたが、他分の殻を脱いで「自分」を起点にするともっと楽になりますし、もっと自分にしか出せないバリューが出るようになります。

クリエイティブな人たちがよその国に帰化しなくても才能を発揮できる日本になるとよいですね。

ポン・ジュノ監督の受賞スピーチから、マーティン・スコセッシ監督の名言を最後に。

『最も個人的なものが最も創造的なのだ』

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東洋経済「すごいベンチャー100」uni'que CEO、 ランサーズタレント社員 (最近の興味)コアバリュー、アート思考、新しい働き方、新しい教育 ←DeNAで新規事業 ←NTTドコモで新規事業 ←美学藝術学研究者 ←アート・音楽イベント主催 ←建築士