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ダイバーシティ<インクルージョン: 他人の靴を履いてみる。

こんにちは、Funleashの志水です。いつもnoteを読んでくださりありがとうございます。皆さんのコメントやフィードバックに励まされます。

2022年も残り少なくなりました。今日は、私自身の仕事で今年人気だったテーマ、ダイバーシティ&インクルージョン(以下D&I)について書いてみます。

年々、働き手の価値観が多様化し、さまざまなバックグランドを持つ人材が市場にあらわれ活躍しています。女性、障がい、LGBT、といった少数派を組織に増やして多様性が高まれば、会社の業績、エンゲージメント、創造性イノベーション、顧客サービスの向上が実現できる。
経済効果の観点からダイバーシティが語られるようになったのは20年前くらいからでしょうか。(ちなみに、経済効果が証明された事例もありますが、確固たるエビデンスはまだないと学術界では言われてます)

ここ数年、D&Iを経営理念や戦略に掲げる日本企業も急激に増えてきました。ですが、諸外国と比較すると女性の管理職が相対的に少なく、活躍する場が限られている事実はさまざまな調査から明らかです。
ゆえに日本はダイバーシティ後進国であるというイメージは拭えません。(これについては別途書きます)

D&Iの動きが広がったせいか、講演やセミナーなどで下記のような質問を受けることがあります。

・キャリアの面で女性であることが不利だったことはありませんか?
・これまでに差別されたことはありませんか?

確かにあったような気がします。嫌な気持ちになったこともあったかもしれません。だからといって誰かのせいにしたり、権利を求めて声高に主張することはありませんでした。

昨今のダイバーシティに関する議論に実は違和感を感じています。(特定の個人やグループを批判しているわけではないことを強調しておきます)

ダイバーシティという概念がむしろ分断を生んでしまってないだろうか?

違和感の正体はこの疑問です。

女性という立場で私が尊重されなかったことと同様に、他の要因で同じように不当に扱われている人がいるはずです。
人にはいろんな面があり、あるときはマイノリティかもしれませんが、別の場所ではマジョリティに属しています。当然ながら私たちは誰もが知らぬ間に誰かを傷つけていたり、排除したり、バイアスに基づいた発言をしている。人間の脳は文化的なレンズやバイアスにしたがって決断する傾向があるのですから。自分は正しいが相手が間違っている・・気づいていないことが問題なんですよね。

D&Iの研修やセミナーを持つ機会があるのですが、冒頭で私はこういいます。

ダイバーシティは多様性と訳されてますが実はそうではありません。ダイバーシティというのは、私たちひとり一人の多様な個性を作り上げている事実であり、他の人とどのように違うのかということです。

例えば私は福岡で生まれ、東京で働き、米国や英国に住んだ経験がある。母親であり、長女であり、ファッションが好きで、経営者であり事業会社で働いている。

似たような人はいるかもしれませんが、この人生を送ってきたのは私だけ。皆さんも他の人と相違点があります。これがダイバーシティです。

いつも聞かされているダイバーシティの定義と違うせいか、最初は不思議な顔をする方もいますが、腹落ちするようで真剣に耳を傾けてくれます。

人はみな違う。違いがあるからこそ、お互いを理解し受け入れる努力をする

同じ学校や職場で長年働いても、同じ国籍や性別でも人は違います。同質性が高いといわれる日本企業ですが、一人ひとり個性がある。ダイバーシティがないと私は思えません。

違いに目を向けて違いを受け入れる。自分らしく自由に発言できる、考えや意見を聞いてもらえる状態をインクルージョンといいます。日本の組織の問題は、違いが生かされていない、つまりインクルージョンに課題があるのではないでしょうか。

話しがちょっとそれますが、子供の頃から私は自分自身がマイノリティであるという感覚と共に生きてきました。

「他の人と違うワタシはこの場にいていいのかな」という意識が常にありました。他の人と同じように行動できない、世の中のあたりまえに対して疑問を感じてしまう、多くの人がいいと思うものに対して同意できない自分はどこか変なのではないか。

そんな私がありのままでいいのだと初めて思えたのは、学生時代に渡米したとき。20歳目前でしたがその経験は人生に変化をもたらします。

私はこう思う、なぜなら・・自分の意見を述べた時、「面白い視点だね。そういう意見なんですね」と聞いてもらえました。圧倒的なマイノリティなのに、周囲から「受け入れてもらえた」という感覚は、大袈裟ですが、生きる自信につながりました。

D&IのI、つまりインクルージョンが大切であるとされるのは、マイノリティ(少数派)の視点や意見が取り入れられることに価値があるからです。

先日こんな出来事がありました。高校生の息子の保護者会に参加したときのことです。
体育館に集まった保護者向けの封筒の中に入っていた「有名企業400社就職率ランキング」という雑誌の切り抜き。手に取った私は、ええ?と思わず声をあげてしまいました。

「大学の実力を見定める上でわかりやすい指標は、有名企業に卒業生がどれくらいの割合で入社しているかだ」

文字通り誰もが知っているであろう企業の名前と、それらの会社に何名採用されたのかを示す一覧表です。大半がオールドエコノミーの大企業。最近不祥事を起こしたり、業績不振で外資に身売りしている会社も混じっています。(当然、スタートアップやNPO は皆無でした)

有名企業の定義はないし、分析手法について説明はないし(分析もなし)、ゴシップ雑誌にのっているような怪しい内容です。

「いろんな形がある今の時代に、学校がこういった情報を示すことは生徒の可能性を狭めてしまうかもしれませんね」と担任の先生に伝えました。

数学の研究者でもある若手の担任は、「私たちもこの情報は正確でないし、時代錯誤だからやめた方がいいと進路指導の先生に提案したのです。でも聞き入れてもらえず、すみません」と困惑した表情でした。

難易度の高い大学を卒業して大企業にはいったら人は幸せになれる。

かつて一世風靡したこの価値観を否定するわけではありません。
ですが、自分の価値観を若手に押し付けて聞き入れない。一例ですが、学校のみならず日本の組織の実態ではないでしょうか。

大学や大学院など教育課程を終えてそのまま現場に配属された教員が多いため、ダイバーシティが欠如していると非難されがちですが、意外に学校はダイバーシティが進んでます。異なる研究領域を学んだ教員、女性や外国籍、若手、最近では民間出身の方も増えてきています。

問題なのは企業同様、組織の重鎮たちが若い世代や新しく加わった教員の「異なる視点」や「意見」に耳を傾けていないことだと思います。

最近はD&Iがダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン(DE&I)へ進化しています。Belonging(帰属感)が加わり、DEIBと呼ばれることもあります。

ダイバーシティ先進的企業が数値目標よりも力をいれること。

それは・・性別や人種、年齢などのラベルではなく、誰もが受け入れられていると感じられる組織づくりです。

・その場にいることを肯定されている
・規定などで不当に扱われないことが約束されている
・あらゆる人の信念や価値観が尊重され、排除されていないと感じられる

D&Iを数で語るのではなく、誰も取りこぼさない組織、そして社会を目指したいものです。

そのために何ができるのでしょうか。

・不完全であることを前提に振る舞う
・間違ったら謝罪する
・他人が見ている世界に意識を向ける
・自分がしてほしいことを相手にするのではなく、相手がしてほしいことを聞いてみる  

相手の靴を履く、つまり他者の価値観に身を置くことが大切ですね。難しいけれどやるしかない!と思います。