顔を読む 読んでしまう

見た目で人を判断していませんか? 「見た目で判断しちゃいけないけれど、でも、そういうことしそうだよね」みたいな話、していませんか?

顔を読む

1999年の出版された本です。

1 外見で人を判断する
 艦長と親しくなってから、私は鼻の形のせいで危うく断られるところだったことを聞かされた! 彼は、人の性格は目鼻の輪郭で判断できると信じており、私のような鼻をもった者には航海に必要なエネルギーや決断力が欠けていると思っていたのである。
 チャールズ・ダーウィンの自伝から引用したこの一節からわかるように、ダーウィンの鼻の形がよくなかったためにすんでのところで進化論が生まれないところだった。(『顔を読むー顔学への招待』より)

そんな文章から、この本は始まります。

外見で人を判断するな、と言われますが、実際のところ、先入観を十分に持たせてしまう。

顔を手がかりに、年齢、性別、民族や人種、アイデンティティ、感情、適応力のようなものまで、人は無意識のうちに判断してしまう。

赤ん坊の顔が引き出す反応

逃れがたい反応も引き起こされます。赤ん坊の顔に対する好意的な反応などが、それに当たります。目を見開き、口を大きく開け、眉を上げ、頭をやや上げて傾ける。この行動は、国を超えて共通する、赤ん坊に向けられるごく自然な反応です。この赤ん坊に向けられるごく自然な表情ですが、これを大人同士がやると異様です。動物行動学者はこれを「眉上げ」と読んでいるそうですが、万人共通の顔による挨拶行動の誇張されたものだそうです。この反応を引き出す「鍵刺激」としての、赤ん坊の顔というものが、すごい。

赤ん坊は、童顔の究極形。だからこそ、童顔の人は、赤ん坊とは言わないまでも、おぼつかなさのような幼い要素を、見る者に期待させてしまうのだそうです。誠実、正直、信頼、率直、などの要素もまた、幼さの属性と地続きのものとして、想起されます。

ドリアン・グレイ効果

見た目が周囲に与える影響と、周囲の反応が自分に与える影響が、円環をつくるとき。その印象が、実際に、自分の内面を強化していく、というドリアン・グレイ効果というものも成立するようです。これは、肖像画に描かれた顔が時が経つにつれて変化していく、というオスカー・ワイルドの小説から名付けられたものだそうです。もちろん、こうした周囲の期待を裏切るように変化する動きも認められます。いずれにせよ、見た目に対する周囲の反応が、本人の内面形成に影響を及ぼしているということです。

AIがつくる顔

下記のサイトでは、リロードのたびに、人工的に顔がつくられます。

次々につくられる顔を見て、勝手に性格を思い浮かべてしまう自分がいます。冒頭の船長のように、顔で人を判断するのは間違いだと知ってはいても、見た目は一番外側の内面というような気もしてしまいます。

写真加工やアバターなど、見た目を恣意的に加工し、それを通してコミュニケーションする機会も増えています。内面の自分に寄り添う外見を自らつくり、そこを通して社会と接触することも可能になってきました。内面に近づけることも、あえてギャップを生み出すこともできます。

これによって、生きる場所が増えることは間違いありません。物理的な肉体の限界を超えて、そこにある制約を取り除いて、異なる環境で、異なる体験を味わうことができます。

これから、ますます、デジタル空間上での自分自身を表すアイコンの持つ意味は大きなものになっていくと思われます。

先入観からの脱却の難しさ

だからこそ、顔や姿から想起される先入観は、さまざまな差別を生み出す一因にもなっていると思われる、こうした根深い先入観から脱却する必要性も感じます。反射的ですらある、こうした反応を、どう扱うことができるのか。

顔の固定観念からの脱却に向けた動きの重要性を語りつつ、この本はまとめられています。しかし、それから20年以上経っても、それは実現できていないと思われます。

この感覚的な反応、ときに感情を大きくゆさぶる、この御し難い反応は、どこからくるのでしょうか。

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