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複数の「出口」を持つ重要性 : 映画「サラリーマン」に学ぶ大切なこと

「サラリーマン」と聞くとどのようなイメージを持ちますか?

先日、渋谷ジェンダー映画祭に登壇する機会をいただき、コスタリカ人の監督による「サラリーマン」という映画を観た後に、アフタートークで、映画を観て感じたことについて深掘りして話す機会がありました。

映画後のトークセッションを通じて改めて感じた「生きること」「働くということ」について今回記事に書きたいと思います。


渋谷ジェンダー映画祭とは

今回トークセッションに呼んでいただいた渋谷ジェンダー映画祭は「対話のある映画祭」と謳っていて、下記の説明のように「対話」を通じて、知らないことを自分ごとにしてもらう面白い取り組みをしている2022年に始まった映画祭です。

ジェンダーに起因する様々な問題は、日本ではまだまだ語られる機会が少なく、自身が当事者になって初めて問題に気が付くということも少なくありません。”知らない”から一歩踏み出し、誰かの問題を知り、関心を持っていくプロセスの中で、他人事の問題を自分事に落とし込んでいくことができます。渋谷ジェンダー映画祭では、映画を観終わった後、対話の場を設け、参加者同士が対話をし考えを深めることでその後のアクションに繋げていく導線を仕掛けていきます。 また対話が深まるよう、最新のテクノロジーやインタラクションツールなどを用い、その場に集う人と人とのつながりを楽しんでもらう仕組みを作っていきます。

渋谷ジェンダー映画祭 告知ページより

映画「サラリーマン」について

映画「サラリーマン」はコスタリカ人のアレグラ・パチェコ監督が2021年に製作した映画で、映画の告知ページでは下記のように紹介されています。

自らを「奴隷」「社畜」と卑下しながらも、常に会社という集団のルールを優先する“サラリーマン”。日本独特の社会制度と倫理観から生まれた企業戦士たちの、苦悩や悲哀に迫った。写真家でもあるコスタリカ人の監督は、深夜の盛り場の路上で寝るスーツ姿の男たち見た時、「企業による殺人」に見えたという。彼らの周りをチョークの白線で囲み、フィルムに収めた。仕事のストレスに耐えながら家族を養う者もいれば、ドロップアウトする者や精神を病んだ者、命を絶ってしまった者もいる。戦後の復興とともに築かれたサラリーマン社会には、いまだに男尊女卑の価値観が残る。会社の消耗品として生きる彼らが追い求める幸せは何なのか。働き方や生き方を問う作品だ。

渋谷ジェンダー映画祭 告知ページより

この映画は、アレグラ・パチェコ監督が、日本に来た時に見た、酔い潰れたり、終電を逃したりして路上で寝ているサラリーマンと、その横を素通りしていく人々に違和感を覚え、いわゆる日本の「サラリーマン社会」に切り込んだ作品です。

有料ですが、こちらから↓ 視聴も出来ますので興味のある方はぜひご覧ください。

主観的幸福度の低い「サラリーマン」

では、映画のタイトルにもなっている「サラリーマン」とはそもそも何なのでしょうか。

Wikipediaによると下記のように説明されています。

サラリーマン(英: office worker / 和製英語: Salaryman)は、雇用主から給与を得て生活している者、または、そのような給与所得者によって構成された社会層をいう。この社会層には公務員、銀行員なども含まれるが、高級官僚や会社役員は給与生活者ではあるがサラリーマンには含まれない[1]。リーマンと略されることがある[2]。明治期に生まれた和製英語であり、男性をイメージさせるため、女性に対してはOLやキャリアウーマンなどと呼び区別する場合もある。

Wikipedia

さらに映画の中で「サラリーマン」という位置付けの人々に自分たちの立ち位置をインタビューすると、自分たちは「サラリーマン」であり、所属している企業の「社畜」であるといい、映画の中で何度も「奴隷」であるという表現が出てきました。令和の時代にこの日本で仕事をしている人々から「自分たちは奴隷である」という表現が何度も出るのはショッキングでした。

ちなみに、「サラリーマン」という働き方の入り口とも言える日本の就活の仕組みは100年前から存在していたようです。

元々、和製英語であり、日本特有のビジネス文化の象徴として「サラリーマン」という表現があります。この文化は、戦後の高度成長期に日本の成長を支えるための、長期雇用や年功序列、チームワークの重視など、多くの利点があったと考えられます。しかし、Wikipediaで見てみると、"サラリーマンの仕事に関する満足度は低く、企業年金の有無を問わず、仕事の内容や就業の継続性(失業不安など)、休暇の取りやすさや家庭と仕事の両立などの面において、公務員より満足度が低くなっている。また、サラリーマンの生きがいの保有率は1991年~2016年にかけて一貫して減少を続け2016年には43.6%まで低下している。"と書かれています。

また、映画の中でも出てきましたが、日本はグローバルで見た時に個人が安全を感じるかという部分に関しては、かなり高い(良い)数値が出ている一方で、主観的幸福度が他の国と比べてかなり低いのです。つまり、身体的には安全な状態でいるにも関わらず、幸福度が高くないということです。

主観的幸福度が低い要因

では、なぜ日本人の主観的幸福度が低いのでしょうか。

それは、多くの時間を使っている仕事に対しての幸福度が極端に低いことが原因だと考えられます。

その要因の1つとして、労働市場の流動性がまだまだ低いということが考えられます。流動性が低いことで、長時間労働を勤め先に求められても,転職が出来るか分からない・起業するのは不安などの理由から、厳しい環境下に置かれていても辞めるという選択肢を持たない人が多いのです。日本固有の終身雇用・年功序列のシステムが、高度経済成長期においてはポジティブに働いた部分も多々ある一方で、労働市場の流動化を阻害してきたと考えられます。

また、日本企業の働き方として、「個人」よりも「集団」で動くことをベースにしてきた経緯があります。結果として、多くの人が個人のこと、家族のことを犠牲にしてでも、会社という集団を優先してきました。

このような長時間労働、集団主義など日本固有の労働環境が主観的幸福度を下げる要因になっていると考えられます。

幸福度を上げるにはどうすれば良い?

では、どうすれば主観的幸福度を上げられるのでしょうか。その方法は人それぞれですし、無数にあると思いますが、今回はいくつか方法を考えました。

1. 環境を変える

長時間労働を強いられる企業に勤めている場合には、環境の違う企業への転職が考えられます。前述の通り、なかなか動きづらい側面はある一方で、今は転職支援のサービスも充実しており、一度専門の人からアドバイスをもらうのも良いかも知れません。

2. 起業する

個人としての動き、権限などの視点で考えると、自分自身で決断し、個人として自由に(当然違う側面での多くの困難・厳しさはありますが)動いていける起業という選択肢もあります。起業する場合には、自分自身でやりたいこと、経済的状況など様々な要因も考慮する必要はありますが、多くのことが自分の責任のもと決めることができる「自由」を手に入れることで幸福度が上がることが考えられます。

3. 所属するコミュニティを増やす

自分の居場所が「会社」しかないと感じている人(サラリーマン)が多いと聞きます。家族がいる場合も、仕事に忙殺され家族と過ごす時間が極端に少ないため、「家庭」は必ずしも心地良い場所ではない人が多いようです。そのような場合、会社だけが自分の居場所になってしまうため、長時間労働であっても、個のアクションを我慢してでも留まる選択肢しか無くなってしまいます。しかし、仕事以外に、自分の趣味の集まりであったり、仕事に関連する外部の勉強会など外のコミュニティに参加することで、「会社」以外に自分の生きがいを感じ、自分の個の存在を感じられる居場所を持つことができるようになります。

まとめ

映画「サラリーマン」の中で「出口はあちこちにある」というメッセージがありました。「こうでなければならない」「これをやるのは自分でなければならない」というある種の強迫観念から、苦しい状況であっても1つの企業に留まり頑張り続ける人は多くいます。しかしふと自分自身を俯瞰して見た時に、実は先に述べたような転職や起業、コミュニティへの参加など様々な選択肢があることに気づくことができます。自分が進む道が一方通行で1つしかないと考えると苦しいですが、実は進む道上には多くの出口があり、何かあればその出口から出れば良いことを認識できれば、精神的にもかなり楽になります。

映画「サラリーマン」を通じて、「生きていくこととは」「仕事をすることとは」など様々なことを考える機会となりました。そして、自分自身の考え、動き方を俯瞰して見てみて、どのような出口があるのかを確認しておくことの重要性を感じたので、是非皆さまもご自身のことを俯瞰して考えて見る時間を取っていただければと思います。




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