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レコーディングアカデミー会員として、グラミー賞前に思うこと

グラミー賞の社会的意義を考え直させるような出来事が相次いでいる。

友達から「マジでどういうことよ」って送られたこれ。

グラミー賞、ラップ、R&B、ポップデュオ・グループパフォーマンスの受賞発表がテレビで放送されない。
このツイートのコメント欄は「わざわざ有色人種が多数ノミネートされているジャンルだけ放送しないのは、人種差別的な体質が滲み出すぎてもうどうしようもない」と呆れの声で溢れている。

1)有色人種の多い部門はサブコンテンツ?

これが新しく発表されたグラミー賞授賞式当日のスケジュールだ。

映画音楽、ラップ・アルバム、ラップ・パフォーマンス、ポップ・デュオ/グループ・パフォーマンス、R&Bソング、ミュージック・ビデオ、プログレッシブR&Bアルバム、R&Bパフォーマンス等の受賞発表は、テレビでは放送されない。

音楽と人種問題、倫理問題に関して敏感になっている聴衆がこのことを見逃すはずがない。「R&B部門全体が、テレビ放映されないプレショーに追いやられている。あとポップ・デュオ/グループ・パフォーマンスは一般部門以外で最も期待されているカテゴリーなのに、メインショーに出ないことにも困惑している。視聴率が取れるのは確実なのに?」とツイートしているこの人のように、一般的に視聴者の間で盛り上がっているとされているBTSのノミネートやラップ部門のノミネートをあたかも「サブコンテンツ」のように扱っていること自体に、驚きと共に理解できない様子を示している人も多い。

2)レコーディングアカデミーという組織の体質

ハリウッドも音楽業界も、というかそもそもアメリカ社会が有色人種に対しては非常に厳しいところなので、こういう問題が「変えられるもの」として提起されいることだけでも小さな進歩でもある。それでも昨年度最も売り上げが多かったBTSとThe Weekndが主要部門でノミネートされなかったことに対しての不服の声が一通り上がった後に、追い討ちをかけるようにこのような発表がされたことは、残念だと感じた。

自分はレコーディングアカデミーに所属していますが、個人レベルではかなり先進的な組織だと感じる時は確かにある。例えば、アカデミーに所属する学生向けによりインクルーシブな音楽業界を作るための「講座」をRun The JewelsやTayla Parxを招いて行ったり、メンター制度でも多様なバックグラウンドの学生やメンターを起用しており、少なくとも個人レベルでは「もっと現代的な価値観を示していなければならない」という意識はあると感じる。

しかし同時に、組織の上の方の人たちは白人男性が多かったり、やっぱり根底には「アメリカの音楽はこうあるべき」という考えがあるなとも感じる。女性がロックを弾いたり、アジア人がポップスを歌ったり、「伝統」から脱したものが社会的に評価されている時代である中で、やや保守的な組織の体質とのズレは確かに存在している。

だから個人的には「グラミー賞予想」には加担したくない。なぜなら音楽の良し悪しや人気で受賞が決まるのではなく、社会の動きや組織としての忖度、そしてさらには音楽業界が作りたい「イメージ」というものを具現化するための授賞式であるから。エンタメが社会的影響力を持ちすぎた結果でしかないのです。

なかなか体質の変わらない組織が運営している偏見と独断まみれの、形だけの「授賞式」にどのような社会的意義を見出すのかなど、むしろこれからは視聴者や社会の期待が変わっていく必要性があると自分は思います。「絶対的な価値観で判断している授賞式」はまず存在しないので。

3)「授賞式」が持つ意味

R&Bやヒップホップが今の「アメリカ」の音楽シーンの中核的存在であるにも関わらず授賞式ではサブコンテンツ扱いなのと共に、The WeekndやZaynがグラミー賞の忖度まみれな体質を批判したり、ビヨンセがパフォーマンスの参加を拒否していることなど、アーティスト本人たちからの批判も相次いでいる。もちろん、これは今に始まったことではないが、カルチャーと社会のつなぎ目が強く浮き彫りになった昨今、再び問題提起されているのだ。

ゴールデングローブ賞の「ミナリ」事件(作品賞ではなく、外国語映画として選出されたこと)も、今度のグラミー賞の様々な不祥事や人種差別じみた行為を受けて、改めて視聴者や社会の期待が変わっていく必要性があると自分は思う。「絶対的な価値観で判断している授賞式」はまず存在せず、「人気」「ヒット」「受賞」という言葉にどのような価値を置くのかは、視聴者の決断に任されているからだ。授賞式のきらびやかな面だけでなく、歴史の一部としてどのようなものを我々は摂取させられているのか、または「良いもの」と評価したいのか、考えるきっかけになればと思う。


4)その他の関連記事

グラミー賞と人種問題の歴史は、音楽業界と人種差別、そして社会とカルチャーの推移を見ずして語ることはできません。

「グラミー賞が”音楽界最大のイベント”であり続けるためには、全ジャンル、特に才能のある黒人アーティストを含まれなければならない。包括的で透明性が高く、ジャンルにとらわれない投票システムを導入することは、グラミー賞が切実に必要としていることです。」

「グラミー賞では、白人のポップアーティストが作った音楽が常に好まれていることから、”本物の音楽”とは、サンプルを使ったヒップホップのようなグランジ的なものではなく、立ち止まって楽器を演奏することで生まれるものだという前提で運営されているようだ。」

「レコーディングアカデミーのジャンル分けが基づいている考え方は、ポップスやカントリーミュージックが年間アルバム部門を独占する理由にもつながっている。これは、彼らが考える”本物の音楽”というものにより近く、分かりやすいからだ。 」


こちらは、グラミー賞と「アジア系アメリカ人」の関係性についての記事。

H.E.R., Bruno Mars, Ne-Yo, Jhené Aiko, Tokimonstaなど、アジア系のアーティストがノミネートされても話題にならないことや、そもそも白人中心の組織から「承認」を得る必要はあるのか?ということについて。

「アジア系アメリカ人が成功するためには、ある種のステレオタイプに傾倒する必要があり、逆にステレオタイプに対抗するためのアートを作りたいという欲求もある。アジア系アメリカ人が"白人の観客を惹きつける "ことにとらわれず、"ただ存在するだけ "のアートを作る姿をもっと見たい」

「先例を作ることで、これから生まれてくる若いアーティストたちが、他の若者と同じように音楽を作ることができるようになることを願う。次の世代が好きにすれば良い。そうすれば、彼らは自分が何者であるかという先入観にとらわれることなく、より高く羽ばたくことができるかもしれません。」


ヘッダー画像で引用したHalseyの言葉はこちら。

「グラミー賞の選定基準は、とらえどころのないプロセスです。グラミー賞は、表には出てこないプライベートなパフォーマンスや、特定の人物と知りあい、人づてにキャンペーンを行い、内密な交渉や、"賄賂ではない "と言えるほど曖昧な "賄賂 "を用いて行われることが多いのです」


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