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〇〇人と間違われて怒る人たち

イタリア人の友人と雑談しているとき、彼の口から笑いながら出たのが以下のセリフです。

スペイン人やフランス人と間違えられてジョークのネタにして笑うことはあるが、「間違えられた!あいつの目は節穴だ!」と怒ることはない。

ぼくが「ソーシャルメディアを眺めていると、私は日本人なのに中国人と間違われたと怒っている人が少なからずいて驚くよ。ミラノに住んでいる日本人でもそういう人いるし・・・ヨーロッパ人の間で〇〇人と言われた!と怒るっていなよね」と話したことへのコメントです。

ぼくは、怒っている日本の人をみると「要は、頭が古いんだ」と思うことにしています。人種差別とかはひとまず脇において、です。

例えば、ミラノ市だけでも中国人は3万人以上に対して日本人は1600人程度です。中国人の5%ですから、日本人と思われる方が不思議なくらいです。

ちなみに、ヨーロッパ全体だと中国人は日本人の2倍以上、EU国籍になった中国人、いわゆる中国系も日系以上に多いはずです。だからヨーロッパ人が見かける東洋の顔をした人は圧倒的に中国人が多いのです。

1990年代、「中国人か?」と聞かれるのは稀だった

1990年以前にもヨーロッパには何度も来ていましたが、それらは旅行や出張でした。よってイタリアで生活をスタートさせた1990年以降を起点に、ぼくが「中国人か?」と聞かれた頻度を思い起こしてみます。

1990年代、中国人とみられることは稀でした。なぜなら、街にいる中国人の服装と髪型ははっきりと中国人と分かるケースが多かったからです。いかにも母国で着ていた格好、そのままで歩いているという感じです。

男性は白いワイシャツに黒いズボンをはき、髪はぼさぼさ。日本でいえば、昔の中高生が夏の制服をだらしなく着ている感じですかね。

ぼくは特におしゃれでもないですが、少なくても上述のような恰好をしてイタリアの街を歩くことはありませんでした。

1970-1980年代の日本経済の恩恵で日本人はお金を持っていると思われていたし、実際、ファッションに関心の高い人がイタリアに来てショッピングをする時代でした。

高級ブランド店にも日本人の店員が働いているのが普通でした。中国人と出逢うのは初代移民のステレオタイプ化された内外装の中国料理店でした。

21世紀になると風景ががらりと変わってくる

1990年代後半から今世紀になると様相ががらりと変わります。

中国が「世界の工場」となり、ヨーロッパの重要な経済パートナーになるに従い、中国からの移民は急激に増えます。どの程度に信頼できるデータか不明ですが、1975年でミラノに400人程度の中国人という数字があります。

ですから当時から40年以上を経て7-80倍に増えたことになりますーこの数字が2020年のパンデミック当初、イタリアが欧州のコロナ発信地として「悪者」扱いされる要因ともなりました。

地下の縫製工房など劣悪な労働環境で働く中国人の存在が頻繁に新聞記事になる。それと並行し、かつては静かな住宅地が中国人街と化した場所は警察も介入するイタリア人住民との紛争にも発展します。

地下の工房でつくった服が人手によって運ばれ交通の妨げになる。路面店が問屋となり、一般の客には縁のない空間になる。その一方、バールなどそれまでイタリア人によって経営されていた店が中国人の手に移っていくーと街の風景そのものも大きく変わるのです。

しかし、緊張感が出るだけではないです。

イタリア語が流暢なイタリア生まれの2代目がイタリア人客とのコミュニケーションをはかり、それまでの「誤解」が解けていくプロセスもあります。そして、そこに新しい文化の誕生の芽をみたイタリア人や中国人が新しいタイプの店を出すとの流れもあります。

中国人若手経営者は左の餃子の店を成功させ、右のイタリア人の老舗の肉屋の経営に乗り出す。肉屋のオーナーは引退も視野に入れていたので、ミラノの名門大学で経営学を学んだ中国人のオファーは渡りに船だった。新経営者は肉の売り場を減らしイートインスペースをつくり、より新しい客を呼び込んでいる。

したがって、お洒落な服装をしている若い男女をみれば中国人の場合が多く、高級車を運転している東洋人がいれば中国人の確率が高いわけです。この流れと逆に、この10数年間、日本人の格好は一般的にみると「ぱっと見」で目をひくことが減る傾向にあります。

だから経済的イメージと見てくれだけで言うなら、中国人と思われるのは決してマイナスではないはず。

何処の国の人と見られやすいのか?議論には無理がある

「日本人も韓国人も中国人もヨーロッパ人から見るとどれも一緒」と言われがちですが、そもそも日本人のぼくでさえ、ファッションも髪型でも区別がつきがたい今、通りの向こうから歩いてくる東洋人がどこの国かなどあてられません。

いや、アジアならフィリピン、あるいは南米の人と東洋人と見分けがつかないことなど珍しくないです。それを「私は日本人と中国人の見分けがつく!」と断定的に言う人は、国際経験が乏しいと考えるしかないです。

もちろん、モラルやマナーといった文化的側面で国籍を見分けようとする人もいます。しかしながら、コミュニケーションなしに人を見て一瞬でモラルやマナーのレベルが分かるはずもない。

タクシーの運転手に「お客さん、日本人?日本人ってマナーが良くていいね。それに対して中国人は・・・」と言われることがあります。だが、タクシーの運転手が中国人のお客さんに「中国人は態度がはっきりしていていいね。それに対して日本人は分かりにくくて・・・」と話していることを知っているので、この類の批評は外交辞令として受け取ります。

即ち、この文脈で「分かる!」と強弁するのは無理があり過ぎるのです。

但し、ヨーロッパ人の皆が皆、笑ってすませることでもない

イタリア人はフランス人とファッションセンスも違うし、およそイタリア人は歩き方が違うなどと豪語する人もいますが、あるパターンがあったとしても、例外も同様に多すぎますから、こういうのは話半分に聞いておく類のものです。

冒頭で正確に国籍を言い当たられるはずがないので、ヨーロッパ人は笑い話にすると書きました。しかし、これはヨーロッパをどこの範囲まで含めるか?で微妙な心理戦になるのももう一つの現実です。

ざっくりいえば西ヨーロッパ間であれば笑ってすまされても、例えばバルカン半島に近い地域の人間と西ヨーロッパ人が見られるのは内心愉快ではないーつまり、経済的レベルとの関係で愉快になったり、不愉快になったりすることが多々ある、ということです。

・・・ということで、「〇〇人に見られる」というのは、議論をしても意味がないことが多いのです。言うまでもなく、何か文化的な議論をする際、相手が何処の国の出身で今はどういうステイタスかを確認するのは重要です。しかし、それらがまったく問われない状況では良い人と悪い人がいるだけです。

しかも、良い人か悪い人かは瞬間的には分からず、長期的なつきあいのなかで判断すべきことで、あえて言えば、こちらに注力した方が生産的です。

1980年代初め以降、中国の国民は繁栄を享受してきた。一世代前には想像もできなかった経済的機会とそれに関連する自由を人々が享受できるようになった何百万もの中国の中流家庭が子供たちを海外に送り出し、西側の自由な教育を受けさせるようになった。

「中国の夢」から人とマネー脱出 リネット・オン氏

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冒頭の写真は今やトレンドを生む通りとなった中国人街。ここには中国人が経営するワインバーやウイスキーラウンジなどにイタリア人や海外の観光客が集まる。

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