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石破茂自民党新総裁の「集団安全保障」の誤った用法が、なぜ完全に誤りとは言いにくいのか

石破茂新総裁が、国際安全保障における「集団安全保障(collective security)」と「集団防衛(collective defence)」の違いをおそらくは十分に留意することなく、これらの異なる(部分的には対極的な)概念を混交していることに安全保障専門家から批判が出ております。日本の多くの大学では国際安全保障が適切に教えられていないことがその遠因かと思います(慶應義塾大学では法学部でも総合政策学部でも、安全保障論関連の授業がいくつかありますが、多くの大学では、軍事・安全保障関連科目の講義が許容されないい状況が続いていました)。

神保謙慶大教授鶴岡路人慶大准教授が、適切にその違いを解説し、それらを混合することの危険性を指摘しておりますので、それらをご参照頂ければと思います。

石破新総裁の発言は、次のように紹介されています。

NATOは1つの加盟国への攻撃を全ての加盟国への攻撃とみなして反撃する「集団安全保障」の体制をとる。石破氏は同様の枠組みをアジア版NATOとして「中国を西側同盟国が抑止するために不可欠だ」と言明した。

「石破氏、日米安保条約改定を提起 米研究所に寄稿
「核持ち込み検討」 アジア版NATO枠内で」『日本経済新聞』2024年9月29日付。https://www.nikkei.com/article/DGKKZO83764800Z20C24A9EA2000/

詳しくは繰り返しませんが、集団安全保障とは「脅威の内部化」を前提としており、特定の「仮想敵国」を創りません。包摂的に、国際社会の協調を前提とする、たとえば国連体制や、欧州の欧州安保協力機構(OSCE)がそれにあたります。なので、外部の脅威への共同の対応を前提とするNATOとは違います。

他方で、「集団防衛」とはもともとは「同盟」という言葉で表現していたものであり、第二次大戦中にコーデル・ハル米国務長官らがこのような「同盟」が戦後の国連システムに存続することを嫌い、あえて集団安全保障を基調とする国連のなかでは、憲章51条で「集団的自衛(collective self-defense)」という用語が使用されました。

そこから、かつて「同盟」と表現されていた仮想敵を想定した脅威を外部化する国家間の提携を「集団防衛」と称するようになります。これは、私がちょうどいま書き終えた単著、『国連の誕生(仮)』のなかで詳細に描かれています(来春頃に刊行予定です)。

なので、石破新総裁のように「アジア版NATO」を「集団安全保障」と称するのは、国際安全保障研究の専門的な定義としては誤りなのですが、やや問題が複雑です。というのは近年、NATOではかつての「集団防衛」よりも広範な加盟国間の協調枠組みを、「集団安全保障(collective security)」と称するようになったからです。

すなわち、古典的な用法としての国際連盟、国際連合、OSCEのような「脅威の内部化」による包摂的な協調体制としての「集団安全保障」と、NATOないでの「安全保障」の「集合化」としての「集団安全保障」と二つ、同じ用語で異なる概念が説明されています。後者の用法では、石破総裁の用法は適切です。

そのような用法は、今年7月のワシントンNATOサミットの「宣言」でも用いられています。(1パラ、9パラなど) 

Arms control, disarmament, and non-proliferation have made and should continue to make an essential contribution to achieving the Alliance’s security objectives and to ensuring strategic stability and our collective security.

NATO - Official text: Washington Summit Declaration issued by NATO Heads of State and Government (2024), 10-Jul.-2024

https://www.nato.int/cps/en/natohq/official_texts_227678.htm?selectedLocale=en

なので、石破新総裁の「集団安全保障」の用語の用法は、国際安全保障研究上は誤りと言わざるを得ず、他方で実際の近年のNATOでの用例によれば誤りではないと、いえなくもない、という微妙な位置づけとなりそうです。


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