見出し画像

カルロス・ゴーン氏騒動から、日本のビジネスパーソンが学ぶこと①:人権編

騒動から1か月が経ち、ようやく落ち着きを取り戻してきたが、年末年始のニュース、とりわけ経済ニュースはカルロス・ゴーン氏の国外逃亡一色だった。ゴーン氏のやったことに対する是非は、私が法学の専門家ではないので意見を差し控えるが、この騒動から日本のビジネス・パーソンが学ぶべきことは数多くあるように思える。

そこで、今月は3回にわたって、カルロス・ゴーン氏の騒動が与えてくれた日本のビジネス・パーソンやビジネス環境をよくするためのヒントについて、考えてみたい。第1回は「人権」についてだ。


人権の侵害を訴えられるのは、組織にとって致命的なリスク

ゴーン氏の逃亡事件で、大きく取り上げられたのが日本における人権の問題だ。人権は非常にセンシティブな問題で、一概に評価を下すことは難しいだろう。一個人の主観としては、日本における人権がそんなに損害されているようには感じられる場面はそんなにないという人が大多数を占めるのではなかろうか。反対に、学校や職場でいじめにあっている人や、病気や先天性の要因で疾患や障害を持っている人、LGBTなどの性的嗜好で日常的に自身の人権が侵害されていると感じている・いた人も相当数いることが容易に考えられる。特に、悪意のない差別等で人権を侵害されていると感じている人は、表層化していないだけで深刻な数の人々がいるのではないだろうか。

つまり、人権の侵害は主観に依る部分が多く、他者から何を言われようと本人が侵害されていると感じているならばどうしようもない。人権に対する配慮は制度や仕組みを作れば良いというわけではなく、現場レベルでの運用が重視される。

例えば、2008年に国連自由権規約委員会からの勧告の中に「公営住宅に同性カップルが入居できるようにするべき」と指摘され、2012年に公営住宅法の同居親族要件が廃止された。しかし、実態としては入居の可否は各自治体に任せていたため、実態としては改善されていないと、2014年の国連自由権規約委員会からの勧告で再び指摘を受けている。その後、同性パートナーシップ公認制度を認める自治体が増えてきてはいるものの、2020年1月現在で34自治体とまだまだ限定的だ。

ゴーン氏の騒動を見てわかる通り、人権の侵害に対しては告発されると組織側の旗色が悪い。組織としては、人権を侵害されたと告発されないよう、現場レベルでのマネジメントが求められる。社内でチェックできるように制度を整えるほか、新入社員の導入研修や年次研修、管理職研修などの人材育成施策でマインドセットや知識を学習することや、何と言っても人権意識の低い従業員を入社前にスクリーニングできるように採用・選抜手法を工夫するなど現場レベルの運用でも徹底する必要があるだろう。


同じルールの相手としかゲームはできない

ゴーン氏の事件で注目され、国連からも勧告を受けていることの1つとして、日本の有罪率の高さがある。このことに対して、法務省は日本と他国とは異なり有罪判決が得られる高度の見込みのある場合に限って検察が起訴するためだと説明している。この答弁は、なにもゴーン氏の事件があったから言っているわけではなく昔からの定型だ。しかし、そのような説明をしても依然として日本の司法に対する不信感が払しょくされたり、国連からの勧告がなくなったりしない。結局、日本がどれだけ説明しても、グローバル・スタンダードと異なるルールをやっているかぎり理解されることは難しい。

司法の場合はそれでも構わないのかもしれないが、グローバル市場でやっていかなくてはならない企業はそう言ってもいられない。グローバルスタンダードのルールに従わないことは、相手にしてもらえないことに繋がる。「日本はほかの国と違うから」と言っていては、優秀で質の高い外国人人材は来ないし、海外M&Aの相手として選ばれることや、海外市場や顧客に受け入れられることはない。もし日本の人口が増加傾向にあったり、10億人も人口がいたり、石油のような天然資源が採掘できるのであれば、「日本はほかの国と違うから」と言っていてもやりようがあったのだろう。しかし、現状ではグローバルスタンダードのルールに従わなければ、グローバル市場においてコミュニケーションがとれない。

特に、それが人権に関連するものであれば、問答無用でグローバル市場から退場させられてしまうこともある。しかし、多くの日本企業は自覚的にか無自覚的にか、グローバル市場では人権侵害として捉えられるようなことをしてしまっている。女性の活躍や男女格差、マイノリティに対する扱い、外国人や海外現地採用者の処遇など、差別に関連するものとして鋭敏に取り扱われているトピックに対して、抜本的な問題解決ができている日本企業はほぼ無いに等しい。

そして、日本的な働き方は「過労死」「行き過ぎた上下関係」「自由度の少ない職場環境」「年功序列による個人の自由の損害」「遅い昇進」「低い賃金水準」「根性論と精神論ばかりのマネジメント」などの良くないイメージが海外で定着してしまっている。大学で、主に欧州からの交換留学生の指導を受け持っているが、彼ら・彼女らに日本に来た目的を聞くと、そのほとんどがこのような悲惨な日本の実態を調査したいと言ってくる。欧州の大学で経済学や経営学を学んできた学生にとって、日本企業の労働者に対する権利や自由に対する評価は最悪に近い。

人権とは、生まれ持って全ての人間に備わった権利だ。権利とは、ホッブズの言を借りるなら、「したいことができる」自由であり、「されたくないことをしない」自由である。ルソーは『社会契約論』にて、神からではなく、人間の本性からもたらされると述べ、互いの自由を認め合い、共に生きるために「契約」することを権利だと述べている。このような考え方が、近代国家の基本であり、グローバル市場における働き方のルールだ。

残念なことに、このルールに反していたり、阻害している日本の伝統的な商慣習は数多い。例えば、拒否権のない異動は個人がキャリアを選ぶ自由を阻害し、一部の企業で見られる同業他社への転職禁止も組織の都合で個人の自由が侵害されている。企業が人権に対するとるべきスタンスは、伝統的な日本的経営とは相いれないところも多く、急に変えると一時的な不利益や企業活動に機能不全をもたらすものもあるだろう。だが、だからといって手を打たないというのは、グローバル市場での立場が弱くなる一方だ。

しかし、組織の体制や制度は一朝一夕に変えることが難しいが、個人レベルで、すぐにでもできることがある。例えば、「権利ばかり主張するな」「やることやってから権利を主張しろ」という言葉を言ったり、職場で聞いたことがあったりしないだろうか。しかし、前述したように、権利は生まれ持ったものであり、その行使は義務や責務を果たしたからご褒美的に与えられるものではない。このような発言が出てしまう職場を作ってしまっていることが、個人の権利と自由を阻害してしまっている。共に働く職場の仲間全員に対して、敬意を払い、個人の自由と権利を推奨することが肝要だ。最近、注目を集めている心理的安全性も、この文脈にある職場の在り方の1つだ。

最近は、インバウンド向けビジネスなど、国内市場向けの事業でもグローバル市場との関連性を切り離すことが難しくなってきた。そのような中、日本企業の働き方や職場の在り方において、グローバル市場のルールに従い、働くすべての人々の人権を守ることが求められている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?