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「価値」とは何か?

松本健太郎
忙しい時間を有効活用する「タイパ」志向が広がっていることだ。仕事や趣味に追われる生活の中で、時間の価値は上昇傾向だ。セイコーグループが1200人に「自分の1時間の価値」を尋ねたところ、仕事や家事をするオンタイムは1時間4983円と5年前の36%高、プライベートのオフタイムは1時間1万3639円と同2.2倍に達した。


価値とは何か?

「消費者に価値を届けよう」「価値を実感した」「価値ある商品を買えた」「時間の価値」など、ビジネスだけでなくプライベートにおいても、私たちは普段から「価値」という小難しい言葉を口にします。

自分自身を振り返ってみると、ビジネスの現場でメンバーとよく口にしますし(今日も言いましたし)、妻さんとスーパーで掘り出し物を買ってもよく口にしますし(今日も言いましたし)。

それぐらい浸透している言葉ですが、「価値とは何ですか? どういう意味ですか?」と聞かれると、正直どう説明すれば良いか悩みます。私は「価値は、価値だよ」という同語反復でしか説明できませんでした。

困った時のWikipediaには、このように記載されています。

価値(かち)とは、あるものを他のものよりも上位に位置づける理由となる性質、人間の肉体的、精神的欲求を満たす性質、あるいは真・善・美・愛あるいは仁など人間社会の存続にとってプラスの普遍性をもつと考えられる概念の総称。殆どの場合、物事の持つ、目的の実現に役に立つ性質、もしくは重要な性質や程度を指す。

要は「私(たち)にとって良いもの」が価値だと言えそうです。…分かったような、分からんような。

そこで、経済学、マーケティングそれぞれの観点から「価値」を考えたいと思います。価値の意味を知ることで、私たちは価値を順序立てて作れるようになるでしょう。知っているなら作れるはず。


経済学で考える「価値」

(ざっくりとした表現ですが)経済学が誕生して間も無い頃、価値は「人間の労働によって生まれる」と考えられていました。

8時間分の労働で製造された商品は「8時間分の価値」であり、16時間分の労働で製造された商品は「16時間分の価値」があると考えられました。どちらの商品に価値があるかと言えば、後者になります。

価値は労働の総量で決まる。極めて客観的な物差しで測ることができます。こうした考え方を「客観価値説」と言います。「価値」は、誰がやっても同じ結果が出る客観的な仕組みで求まる、という発想です。

「原価10円のコーラに150円払うなんて!笑」「この同人誌、原価って100円程度ですよね? 1000円は高過ぎるので値引きして下さい」と嘲笑う人たちを「原価厨」と表現しますが、彼らはものを原価という客観的な物差しで見ている客観価値説信者と言えます。

もっとも、原価100円でもフアンは1000円で買うでしょう。尊過ぎて1万円でも良い…ってフアンもいるかもしれません。同じ商品に、違う価値を抱かれている。この時点で、客観価値説は不成立です。

実際、現代の経済学が立脚するのは客観価値説でなく「主観価値説」です。

16時間分の労働で製造された商品であっても私にとって欲求を掻き立てられないなら「価値は無い」し、8時間分の労働で製造された商品が私にとって欲求を掻き立てられるなら「価値はある」と言えます。どちらの商品に私にとって価値があるかと言えば、後者になります。

価値は個人の主観で決まる。同じような価値を持ち合わせていれば似た物差しで測ることができるかもしれませんが、そうで無ければ他人から「どこに価値を感じるの?」「何の欲求も抱かない」と思われるでしょう。

こうした考え方を「主観価値説」と言います。「価値」は同じ欲求を持つ者以外では等価にならない、という発想です。チームが解散する理由も「価値観の違い」ですし。

欲求は、マーケティングにおける「ニーズ」と同義と考えて良いでしょう。

経済学ちゃんと学ぶと楽しいです。「客観価値」「主観価値」を学ぶのに参考にした書籍はこちらです。


マーケティングで考える「価値」

(ざっくりとした表現ですが)マーケティングにおける価値は、顧客が知覚する効用と費用の差分で求まります。効用とは「欲望を満足させる主観的な度合い」であり、費用とは「金銭」です。差分がプラスであるほど価値は高く、マイナスであれば価値はありません。

マーケティングを語る主体は常にメーカーですが、その主語は顧客でなければいけません。したがって、顧客にとっての価値であると伝わるために「顧客価値」と表現する場合もあります。

効用と費用は、難しく考える必要はありません。例えば家で1杯60円のドリップコーヒーを飲むより、高級ホテルの上層階ラウンジで1杯1200円のドリップコーヒーを飲んだ方が、仮に同じ原価であったとしても満足度は高いでしょう。

家で飲むドリップコーヒーは60円の味・体験ですが、高級ホテルの上層階ラウンジで飲むドリップコーヒーは1201円以上の味・体験があるからです「効用」は、代替が効かないほど希少性が高まり、それに合わせて満足度も高まるのです。

ただし、繰り返しですが原価厨は効用が「原価」のみのため、高級ホテルの上層階ラウンジで提供されるコーヒーを「ぼったくり」「高いだけ」と言うかもしれません。だからこそ「主観価値」なのですけども。


顧客は何を「効用」と感じるか?

経済学における「価値」、マーケティングにおける「(顧客)価値」の理解を通じて、「顧客が何に効用を感じるか」が価値を感じる鍵になると分かりました。

だから、顧客理解、人間理解が必要だと私は考えます。「私たちメーカー」目線では効用の理解に限界があるからです。

もっとも、私もどこかのメーカーの「顧客」であり、みんなと共通して「人間」でもあります。だから、私に聞けば、私は答えを知っている…という考え方もあります。

根源的な欲求に関してはそうだと思うのですが、誰しもが「常識人」であり「異常人」です。他人と20%の解釈違いが生じて、しかもその差分は意外と大きい。したがって、私だけに頼るのは良くないな…と思うのです。

単純に、私は、私を信用していない。のです。

したがって、顧客に聞きましょう。聞くしかない。

ただ、「何に効用を感じるか」と聞くのは、あまり意味が無いと思います。理由は2つ、聞かれた時に思い出せないこともある、言葉で説明できないこともあるからです。

したがって、効用を知ろうとするのではなく、人そのものを知るのが良いでしょう。例えば、スーパーの店員が、来店して頂く顧客の効用を高めるために人間理解に挑むとします。

平日14時ごろに来店する主婦をみていると、お昼を食べ終えて間も無いし、お腹も空いていないから晩ご飯を作る意欲も無いのに、子供と夫のために仕方がなく晩ご飯を考えざるをえない苦痛が浮かびます。

だから、晩飯のメニューはどこかの誰かが考えてくれると嬉しい。子供が食事を残さなくて、夫に味付けで文句も言われなくて、良い母・良い妻に思われて、栄養も豊富で、健康的で、調理する手間は少なく、後片付けは簡単、食材が余ることなく、冷蔵庫の余りも消化して、1食分はお安い。全てが満たされると大満足…これは私なりの効用の洞察です。

「効用」を聞くのではなく、「人柄」「普段」「日常」を聞いて「効用」を洞察することが私は顧客理解、人間理解だと思うのです。


プロダクトアウト、マーケットイン

「日本のものづくりは、メーカー目線のプロダクトアウトから、消費者目線のマーケットインに変わるべきだ」なんて言われています。半分そうなのですが、半分間違っていると考えます。

あくまで作るのは「価値」です。

作るべき価値が明確(効用がはっきりしている)ならマーケットイン、まだ曖昧(効用がはっきりしていない)ならプロダクトアウトと、価値を基準にアプローチを変えるべきではないでしょうか。

「主観価値説」に基づけば、価値は個人毎に異なります。ですから、いきなり全員が満足するわけありません。iPhoneもPayPayもSuicaも、最初は「なんじゃこりゃ?」だったでしょう。価値もバラバラだったはずです。

つまり、プロダクトアウト…価値を作り込む必要があるはずです。

一方で個人毎に異なるはずの価値も収斂され、大体の人が似たような価値を感じるようになれば、マーケットイン…消費者からニーズ(欲求)を聞いて満足を高める必要があるはずです。

全ては価値から始まります。だから消費者から始めるのです。

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