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「銀座と資生堂」から考える、地域の歴史・文化をブランドの競争力に変える発想

銀座8丁目にある資生堂パーラを訪れてきた。

筆者撮影:銀座資生堂ビル:資生堂が1872年に創業した場所。

資生堂といえば、GINZA・銀座の土地のイメージとセットで想起される。

ロゴにも、SHISEIDO GINZA TOKYOと地名が入っている。

資生堂ホームページより引用

資生堂は、もともと新橋ブランドだった

知らなかったのだが、資生堂は「東京新橋資生堂」という名前で親しまれていたようだ。1872年は、まだ銀座は中心地ではなく「新橋」が東京の入り口であったことが関係している。

資生堂が銀座の街と密接な関係を持つようになったのは、戦略的な意図があったと書かれている。仕掛けたのは、創業者の三男であった福原信三。

信三は 「明治の新橋 」に悩む一方で 、 「大正の銀座 」という潮流をいち早く見抜き 、対策を講じようとしたといえよう 。

戸矢 理衣奈. 銀座と資生堂―日本を「モダーン」にした会社―(新潮選書)

このエピソードが書かれているのは「銀座と資生堂」

地域・場所とブランドの関係を考える上でとても興味深い本だ。

「新橋」から「銀座」への移行は、意識的におこなわれた。福原有信の三男で、初代社長となる信三(一八八三―一九四八)は経営に参画するや、一薬局から化粧品メーカーへの拡大をはかる。同時に、店舗の立地は変わらないまま新橋のイメージを払拭し、「東京銀座資生堂」へと転換していった。

銀座と資生堂より引用

銀座が文化発信の中心地になると仮説を立て、資生堂パーラ、資生堂ギャラリーなど本業である化粧品とは一見関係ない活動に投資をしていく。

ちなみに、1902年クリームソーダを日本で初めて提供してのも資生堂だ。

文豪らの関心も集めたようだ。

作家、森茉莉(まり)は父、鷗外との思い出をつづったエッセーで、資生堂のアイスクリームやソーダ水にまつわる場面について振り返っている。

太宰治は小説「正義と微笑」で紹介。婚前デートで楽しむものとして「資生堂でアイスクリイム・ソオダ」と書いた。

日本経済新聞:クリームソーダの本家は資生堂 日本上陸、創業者が奔走 なるほど!ルーツ調査隊

資生堂だけではなく銀座の地域ブランドを育てる

当時の社長・福原信三は、本業と関係ない文化を耕すための場づくりにとどまらず、銀座の街づくり計画に関わり、銀座通りの将来の方向性提案、銀座通連合会の参加など、地域文化を発展させるための関わりにも時間を割いていたようだ。

このような活動の積み重ねが「SHISEIDO GINZA TOKYO」の銀座を象徴するブランドイメージを確立させていく。

文化に投資をして顧客を増やす

資生堂が、本業とは関係ない資生堂パーラやギャラリーをつくることで、銀座は文化人が集まる場所になった。

同時に、資生堂が銀座を象徴する場にになることで、ブランドへの信頼が蓄積されていく。

このような地域と企業文化の循環が生まれて、ブランドが発展していったのだと解釈をしている。

筆者図解:システミック・マーケティング図

企業が得た利益で文化に投資をする、
だけの発想ではなく、
地域経済と文化を循環させていく発想が資生堂のブランド成長を支えてきたことがわかる。

銀座に根ざしてきたからこその資産を活かしたデザイン

ここまでの銀座と資生堂の歴史は、現代のデザインにも反映されている。

資生堂ビルの1Fにある店舗でケーキを買ってみると、袋・ケーキの箱パッケージともに創業の地である銀座を伝えている。

その土地に根ざしてきた資生堂だからこそのデザインになっている。

文化資本の経営

元資生堂会長である福原義春さんによって書かれた「文化資本の経営」を読むと、資生堂の「文化との向き合い方」がさらによく理解できる。

中でも、「文化資本の形成過程における資本の転換と生産」の話がとても興味深い。

歴史的資本、文化資本、経済資本、象徴資本の4つの資本を循環させることでブランドを育てる考え方が紹介されている。

筆者による解釈からシステム図を作成
  1. 歴史資本→ 文化資本=文化再生産
    地域・場所における歴史の中で育まれた資源を再解釈・活用する

  2. 経済資本 → 文化資本=文化生産
    余剰資金を文化を生み出す投資として使う

  3. 文化資本 → 経済資本=想像生産
    育てた“文化力”を商品やデザインへと活かし価値を高め、経済的な成果(収益)を生み出す

  4. 文化資本 → 象徴資本=象徴生産
    文化の力を象徴(シンボル)として表現・発信し、それ自体に価値やパワーをもたせる

本当に競争力があるブランドは、表面的な差別化のためのコミュニケーションではなく、地域の歴史・文化を土台においたコミュニケーションの積み重ねがあるのだと考えさせられる。

文化資本循環を意識しながら、「銀座と資生堂の物語」を読んでみると、ブランドと文化の関係性の捉え方が変わる。

その土地の文化を編集できるブランドの強さ

生成AIが発展すると、情報だけで「違い」をつくることは難しくなってくると考えている。

何がブランドの競争力を支えるのか?

その一つは「ブランドが根ざしている土地・場所の歴史や文化」なのではないだろうか。

このような問いにどのような答えを出すかが、ブランドの競争力にも関わってくるはずだ。

なぜその土地・場所で事業を行っているのか?

その地域・場所にはどんな歴史があり、これからどんな文化を生み出される可能性があるか?

本社・拠点を構える土地・場所のイメージとブランドイメージの接点には何があるか?

ブランドの商品・サービスには、その土地・場所とどんな関係性があるのか?

今後のブランドづくりで求められるのは「土地・場所がもつ文化の力」を捉え直すことではないだろうか。

現在、地域の歴史・文化をブランドの競争力に変えるためのシートを作成してみている。

ここまで書いてきた内容を、銀座ではなくても成り立つ可能性を探っていきたい。