お世話になっております。uni'que若宮でございます。

先日こんなツイートをしたのですが、

その後打ち合わせなどで会った方(特に小学生の親御さん)から過去になく「あれ、共感した!」と言われるので今日はそのことについて書きたいと思います。


塾に行かせてみた。

以前、こんな記事をCOMEMOで書いたところ、色々と反響も頂き、日経本誌に掲載いただきました


ここでは「お受験」の硬直性についてのことを書いたのですが、「教育をどうしたらいいか」を親として模索しつつも、娘は1年弱、学習塾に通っていました。

娘は小学校高学年。僕個人は田舎の出なので、塾に通ったこともありませんし、中学受験なんて想像もできません。受験勉強なんて、やりたくなった時にやればいいじゃん、みたいなスタンスだったのですが、頭から否定してもいけないので、塾の説明をきき、市立の中学の説明会にも行ってみました。


その中でわかってきたのは、公立の学校の教育環境は決して理想的なものではないということ。中でも担任の教師のモチベーションやレベルの差、「内申点」という相変わらず謎な制度などがあり、公立の学校に通うことのある種のリスク、というのもわかってきました。塾や学校では「自由な教育を受けさせたいなら私立受験しかない」と言われたことも。

「最悪学校行かなくても大検とかあるし、社会との接点さえなくなんなければなんでもいいんじゃないかな」「いやでも公立行って内申のために画一的な3年過ごすのってそれこそ無駄じゃない?」などと家族で話し合い、まあ中学受験をすべきかはよくわからないけれど、もしかしたら勉強も好きかもしれないし(娘は小学校の勉強は簡単でつまらない、とは言っていた)とりあえず一度やってみようか、ということで塾に通わせることにしました。


塾に通ってみると、娘は学校よりは頭をひねらなければいけない問題を問いたり、クラスが上がったり順位が上がったり、みたいなのを楽しんでいるようにも思えました。本を読むのが好きだったので、国語は割と得意なようでした。


このまま塾に通っていていいのか?

しかし、しばらくするうちに「このまま塾に通っているのは本当に効果的なのか?」と思うようになりました。

理由は大きく2つ。一つは「可能性」ということについてです。


塾の宿題は学校とは比べ物にならないほど多く、娘はやがて宿題に生活の半分くらいの時間を使うようになりました。毎日のように宿題をこなさねばならず、親と話す時間も、遊ぶ時間もどんどん減っていきます。親としても、なんとなく「でも宿題終わってないでしょ?」とかいうようになり、娘はぶーぶーいいながらも宿題をなんとかこなす、というような毎日になりました。

そういう生活を続けるうちに、宿題に時間をとられて「やりたいこと」が減っている感じがちょっとちがうんじゃないか、と思ってきました。

長女はscratchという簡単な言語でプログラミングみたいなことをしたり、工作をしたり、とかが割と好きで、そういうのだと「もう寝なさい」と言われても没頭してやっていたりするのですが、(当たり前だけど)宿題は「やらなきゃいけないこと」で、生活の中に「やらなきゃいけないこと」の時間が増えていった。そしてそれはその分「やりたいこと」を減らしていることでもありました。

時間は有限なので、なにかをやるということはなにかをやらない、ということです。本人の可能性のためにどっちがいいのか。「やりたいこと」が多いほうがいいのではないか。勉強はする価値はもちろんあるけど、こういうやり方では人生が「やらなきゃいけないこと」に変わってしまうのじゃないか。


もう一つは「正解」に関することです。

当たり前ですが、「宿題」や「ドリル」には正解があります。解いては冊子の後ろのページで「正解」を確認し、「◯付け」をします。

先ほど書きましたが、娘は本が好きで、特に小説が好きです。僕も割と本が好きでしたし、「アート思考」とかいうように芸術は好きな方なのですが、なぜそれが好きかというと「正解がないから」なのですね。


本が好きなおかげか、娘は国語が得意で、テストでも割にいい点をとるようになりました。そうすると、なんとなく「いい点がとりたくなる」。

僕は文学の良さは「正解がない」ということだと思っています。娘も最初はそんな風に本を好きになったはずです。なのに、このまま塾で受験のための反復練習をしていたら、大好きな本が「正解当て」の題材になってしまうのではないか、そういう危惧が湧いてきました。


子育てのPMFフェーズ

話は変わりますが、僕は新規事業を長らくやってきて、今は起業家としてスタートアップをしています。

その長らくの新規事業の経験から特に思っているのは「フェーズ」や時間軸を意識するのが大事だ、ということです。

「事業は生き物」とよくいいますが、大事なことはフェーズによって変わってきます。

娘はいま小学生。フェーズ的に言うとPMF(プロダクトマーケットフィット)のタイミングなのではと思います。

「ピボット」というのですが、このフェーズで大事なことは、プロダクトがニーズに合ったものになるか色々と試し、プロダクトを変えていくことです。逆にこのフェーズでやってはいけないことは、プロモーションなどで恣意的にブーストしてしまうことです。このフェーズではプロダクトがニーズに合っているか観察しながらちょっとずつずらすのが大事なのに、ニーズを捉えているのかよくわからないうちにプロモーションでブーストしてしまうと、それがわからなくなります。


微小な生物の動きを観察している時に、団扇で扇いだら本当の動きがわからなくなってしまうように、それが応援のつもりでも本質をわからなくしてしまうことがあるのです。


「辞めてみようか」

そう考えると、「塾」というのは(勉強がいけないと言いたいわけではありません。学ぶことはいいことです。僕なんか2回も大学に行っています)、今の娘のフェーズでは、一方向に向かわせるという意味でちょっと合わないのではないか、と思ってきました。

そんな中、去年の夏頃、SOCIAL FIGHTER AWARDというのに娘と参加しました。これはいわゆるアイディアソン・ハッカソンと言われるものなのですが、ちょっと変わっているのが、最初に子供が課題解決のアイディアを出して、それを大人が形にし、最後に子供がそれを審査員として審査する、ということです。

こういうのに参加してみたり、孫泰蔵さんが主催する「No Teacher, No curriculum」を掲げるVIVITAに娘を連れて行ってみたりして、「自分で考えて提案する、つくる」という、学校や塾とはちがう経験をさせてみたところ、思った以上にこれを楽しんでいるようなのでした。


そこで「塾、辞めてみようか」と話してみた。

親としても始めたことを辞める、ということや、「じゃあ中学校とかどうなるんだろうね」とか夫婦で色々話したのだけど、結果本人と話して決めよう、ということになった。それで、娘と話して、「1月で塾を辞めてみる」という結論に達したわけです。


働き方も変えてみる。

それを機に、一つ決めたことがありまして。

それは15時-19時はなるべく自宅勤務にする、ということです。

正直、僕も起業してからしばらく忙しく、あんまり家族や娘と過ごす時間は取れませんでした。それで編み出したのが、「溶かす」ということ。

この仕事とあの仕事、仕事と家庭、それを分けて考えているより、溶かしてしまうといいのではと。

それでそもそも「全員複業」でスタートアップしていて「テレワークさいこう」と言ってるんだし、塾もなくなったし、せっかくなので、家族との時間をもっと溶かしてしまおうかな、と。


このことをSNSで投稿したら、パパ頑張ってる!とか父親なのにすごい!とか言っていただいたりもしたのですが、そもそも、頑張っている感じはあんまりなくて。

「教育」というものは、これからどんどん、「正解」がないものになっていくと思います。その時、いま娘と過ごしている時間はとても面白い経験、価値のある時間になるのではないか、とも思います。だから、これは「パパ業」としてもスタートアップと同じくらいエキサイティングなのです。


ドッグフーディングしてみる。

僕は企業のコアバリュー策定のワークショップや研修のファシリテーターとかを頼まれることも多いのですが、それがちゃんと役に立つことだとしたら、やっぱりいちばん身近な家族にもそうするほうがいいはず。せっかくなのでそういうことを娘とやってみようかなと。


もし、そういうワークショップが価値を出せているなら、それは家族に対しても価値があるはずです。僕は事業や企業においても、これからの育成や教育に必要なのは「正解」を教えるティーチャーよりも引き出すファシリテーターだと思っているし、教育に関わるそういう活動もしているのですが、それを信じるなら、やっぱりそれを娘にも試すべきだなと。

なのでとりあえず、今週末は娘の創作のためのワークショップ(書きたい小説のテーマを引き出して構造を考える)を家で試してみたいと思っています。

そんな感じで、子育ても実験だなーと思いつつ、なにが正しいかはわからないながらに色々試しながらやっていきたいなと。

これは最近「アート思考」とか言っているのも近いのですが

教育はcultureであるし、やっぱり固定的な価値の「消費」を続けると、価値がいつかなくなってしまうと思う。今は「受験したほうがいい」とか「いい学校が行った方がいい」というのが定石でも、それをそのまま受動的に消費するのではなく、どうなるかはわからない方向こそ、やってみることが大事なのではと。

起業家や新規事業、イノベーション、そしてアートをする人。幸いなことに、そういう、新しい価値を目指す人達が僕の周りには多いので、「教育」についてもやっぱり試しながら、失敗しながら、これまでにない方向を一緒につくっていけたらいいなあ、と思っています。


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