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「ローカリゼーション議論」が再浮上するのか?ー「ガラパコス」は結果論。

日経新聞の以下の記事は、ローカリゼーションがテーマとして浮上してきていると語っています。いや、正確にいえば「再浮上」です。

ソニーグループが世界戦略を変えた。分断によって、一つの製品で世界を席巻する難易度はあがった。市場を支配する「プラットフォーマー」とは一線を画し、新たな勝利の方程式をつくる。

<中略>
ソニーGはこれまでPS5やミラーレス一眼カメラなどの商品を世界統一規格で販売してきた。しかし、稼ぎ方を見直し、世界各地でクリエーターと結びつく新たなモデルを模索する。「デファクト(世界規格)をとることは目指さない」(吉田憲一郎会長)

<中略>

米欧中で同一商品をヒットさせることが21世紀の企業の勝ち筋だった。しかし、分断が進むとその手法は通じにくい。

消えゆく世界ヒット ソニー、敢えての「ガラパゴス」

2000年代からローカリゼーションをぼく自身の活動のテーマとしてきましたが、2010年後半以降、やや距離をとってきました。ローカリゼーションの議論がある程度、成熟してきたかなと思ったのも一つの理由です。

日経ビジネスオンラインに連載した記事をまとめ、2011年に上梓した『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力』に自ら触れることも少なくなりました。

グローバルのなかで各地のニッチを集めればそれなりのインパクトがあるビジネスになるとのアプローチが説得性をもったのも、成熟さの後押しをしたでしょう。

しかし、冒頭の記事を目にしてローカリゼーションについて自分なりの考え方を更新しておこうと思いました。地政学的分断が、この議論の要因であるならばなおさらです。

地政学的分断がクラフトの意味を変える

まず、最新の地政学的状況から、ぼくはクラフトの意味の転換期と見ています。グローバルにフラットでロングサプライチェーンが主流の価値とみなされたこのおよそ30年間、その対抗馬としてローカルのクラフトが強調されるようになります。

だが、まさしく地政学的問題の解決が最優先事項になり、パンデミックも絡みロングサプライチェーンの限界にさしかかってきたとき、ローカル文化競争とも見られかねないクラフトのあり方が再考されることになるーーということを最近、2つの記事に書きました。

Forbes JAPANの『なぜ今、クラフトへの注目と評価が高まっているのか?』とCOMEMO『クラフトがつくる世界ー差別化より共通点を探る方向への転換をヴェネツィアでみた』です。

クラフトをローカル文化アイデンティに重ね過ぎずにクラフトのもつユニバーサル性に重心を移していくのが社会への貢献に通じるだろう、と。そうしたら、ソニーや他の大企業の大量工業・ソフト製品はローカルに振る、というのです。

ただ、これはクラフトの意味の転換と相反する動きというよりも、極端にサイズの大きなグローバル統一化が地政学的な問題から脆弱性が露呈したので、適当なサイズの市場に焦点を合わせる動きと考えられます

2000年代にローカリゼーションについて声をあげた時、何を強調したか?

ここで、『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力』で示した見取り図を掲載します。本の213pを撮影しました。

『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力』

機能が優先されるスマートフォンや冷蔵庫は文化コンテクストの影響度が弱いところでグローバル市場で勝負し、同じグローバル市場でも高級ブランドはローカル文化を強調するというチャートです。

ただし、スマートフォンの機能的メカニズムは上図の「1」に位置しますが、アプリケーションになると「3」に近寄り、コンテンツは完全に「3」であるとの構図はありました。また、洗濯で何を優先するはかなり文化圏によって考え方が異なるので、洗濯機は「3」になります。鍋釜は文化差がないわけではないですが、およそ「4」と判断してよいです。

現在、この構図とはやや違う例も出ていますが、大方の傾向を示しているのは変わりがないです。

即ち、上図でいえば「3」に全体的に寄る戦略を取らざるをえないのがブロック経済へ向いている現実である、ということになります。日経新聞の記事はこの点を強調しています。

だが、以下が気になります。そうかな?

かつて日本市場にのみ最適化し世界で通用しなくなった日本製品は、「ガラパゴス」と揶揄(やゆ)された。グローバル化が逆回転すると、個別市場に適応する「ガラパゴス力」は強みにもなりうる。

巨額投資を続け、各国の市場を制圧したプラットフォーマーに太刀打ちできなかった日本企業も、個別最適化ならば勝機がある。

消えゆく世界ヒット ソニー、敢えての「ガラパゴス」

日本の企業に特徴的であった弱点は何だったのか?

日本市場に特化したことが「ガラパゴス」と表現されたのは、戦略的というよりも結果としてそうなった側面が強かったでしょう。この性格がこの数年のインバウンドブームでは「不思議な国、ニッポン」として魅力に映ることになります。

過去、果たしてローカリゼーション戦略に日本の企業は長けていると評価されていたのか?と聞かれれば、否と言わざるを得なかったので、ぼくは『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力』を書いたのです。

東洋水産はメキシコでカップラーメンのマルちゃんを辛くするとのローカリゼーションを実施したことで圧倒的なシェアを稼いだ。この成功例から他の日本の企業も学んでください、との願いをこめて他の日本企業のローカリゼーション事例と共に紹介しました。

『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力』

あの頃にみた日本の企業ーハードとソフトの共にですーの弱さは、何が世界に共通する要素なのか、言ってみればユニバーサル性の把握の弱さが、上図に示したような文化の多層性とその把握の弱さと繋がっているという点でした。

あれから10年以上を経て、日本のサブカルチャーや「不思議文化」が海外の人たちから評価されることが多くなりました。ネットフリックスなどのメディアが一躍買っているのも確かで、ぼくのイタリア人の友人もネットフリックスで「深夜食堂」を熱心に見て、あのタイプの和食を食べたいと切望します。

しかしながら、そのような追い風と日本企業の人たちのユニバーサル性や文化の理解向上はー不幸ながらーあまり直接的に関係がない、とのもう一つの現実を認識しないといけないです。

「富士山は世界で一番美しい山」で「日本の職人技は世界で一番である」という井の中の蛙のようなセリフが、あいかわらず多く流通しているのが一例です。「富士山は世界にある数々の美しい山の一つ」「日本の職人技は世界でもトップクラスの一つ」との言葉がふつうに話されていないといけないのです。

記事の次のような文章は、井の中の蛙である証です。

かつて日本市場にのみ最適化し世界で通用しなくなった日本製品は、「ガラパゴス」と揶揄(やゆ)された。グローバル化が逆回転すると、個別市場に適応する「ガラパゴス力」は強みにもなりうる。

巨額投資を続け、各国の市場を制圧したプラットフォーマーに太刀打ちできなかった日本企業も、個別最適化ならば勝機がある。

消えゆく世界ヒット ソニー、敢えての「ガラパゴス」

くり返しますが、日本のガラパコスは国内向けの結果であり、海外市場向けの戦略的ローカリゼーションとは頭の使い方として別物です

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冒頭の写真はミラノの大聖堂の脇にある宮殿の窓からの風景。窓を通すことで大聖堂が別の様相をもって目に映る。


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