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異世界京都旅

先日、仕事と友人の京都ご案内も兼ねて、数日の間京都へ行ってきました。
そこにはいつも感じていた以上に異世界の京都が待ってました。
それは、たまたま今の京都がそうだったのか、ファスティング後の僕の体調の問題だったのか、それか、僕のツアーの組み方がそうだったのか(多分これが原因)、、、まあ、原因は何でもいいんですが、いつもと違う世界に来たという感覚を体験できるのが旅の醍醐味ですよね。

今回はそんな旅の備忘録を少々。

島原に現存する太夫のいる唯一の置屋「輪違屋」

当時、幕府より公認を受けた唯一の格式高き花街・島原。
江戸時代は1688年創業以来、今も営業を続ける日本でただ一軒の置き屋兼お茶屋。
そこには太夫もいらっしゃいます。
太夫とは芸妓の位階で、最高位であります。

輪違屋の外観

いつもはこちらの十代目が立つバーカウンターでお酒を頂くんだけど、今回は東京から友人をお連れするという事で、せっかくなので太夫さんのかしの式と言われる顔見せと、お茶のお手前、胡弓の演奏、舞踊を鑑賞することに。

お部屋は真っ暗な中、蝋燭二つのみの灯りで、その中でスッと現れ舞い始める太夫。
その太夫のお着物の刺繍が蝋燭の灯りに照らされてふわっと浮かび上がる。

移ろい、、、

「あぁ、、陰翳礼讃夜露死苦ぅぅう。。そうそう、こういう世界、、、」

有り難し。

太夫による技芸が終わり、その後太夫にお酌をして頂きながら様々なお話しをお伺いする。
自分が普段意識をしない知らない京都のディープで粋な世界のお話しを聞く中で、自分の世界が拡張していくのがわかる。
普段、自分が関わってる世界ではない世界がここにハッキリと存在している事を実感しながら、心地よい「知らない」という感覚に浸りつつ、輪違屋の各部屋を十代目にご案内して頂く。
そこには近藤勇や桂小五郎の書など、数100年前の歴史に名を残した人のリアルな息吹きを体感。自分の中でその当時と数百年後の今との結びつきを実感できるような時空が歪んでる感覚に陥りながら10代目の解説を聞く。
またこれが10代目の解説の話し方や立ち振る舞いが美しく、それすらも芸として見えてきて、全てが溶けていく。。。。

京都やべぇ、、、、

まあ、僕の勘違いかもしれない、、けど、その勘違いかもしれない感覚にさせてくれる世界がここにはある。
そういう世界はそんな簡単には巡り会えなく、こういう世界に出会えた事に本当に有り難いと思ってる次第であります。

傘の間の前で解説下さる10代目

京繍の長艸繡巧房 

そして、2日目は公私共にお世話になっている、京繍の長艸繡巧房へ工房見学へ。

長艸繡巧房は長艸敏明さんと、奥様の長艸純恵さんが中心となって、能衣装やお着物、帯などの作品に始まり、祇園祭の水引幕の復元新調や、各地の祭事の装飾品といった数々の文化財の修復、復元などを行っています。

「一針千彩」
こちらは長艸繡巧房の長艸敏明さんの言葉。
ひと針差しただけでたくさんの“色”が出る、という意味だそうです。
作品を拝見すると、本当に同じ色の糸も、そこに縫われている糸は見る角度や、その場の状況によって無限の表情を見せてくれる。。。
見惚れるとはこのことだわね。

あと、やはり日本で育まれた文化であり、技術ということで、自然光で鑑賞するとまた、刺繍の色合いが暗がりに優しくふわっと浮かび上がってきて、なんとも幽艶な景色が目の前に現れてきて、本当言葉にならないわけですよ。。。
こちらも、陰翳礼讃夜露死苦なわけですよ。

自然光、横からの光との相性がまた、、

敏明先生とお話ししていると、普段の自分の世界観がいかに狭いかを教えていただけるのも、いつも楽しみにしつつ、身が引き締まる思いになる場所でもあります。

僕が下図を担当させて頂いた作品

東京に戻ると、、、

濃厚な旅も終わり、東京に戻り品川駅のホームに降り立った瞬間にぱっと空気が変わり、あの京都のひと時がまさに幻かの如く非現実的世界であったと思うほとでした。

旅の大いなる醍醐味として、「違う」を知るってのがあると思っています。
今回の旅もまた、その自分とは違う価値観や世界観がそれぞれの場所に僕が生きている同じ時間軸で息づいていて、それぞれの場所で、未来に向かい、今を一生懸命紡いでいるんだという形を実感、体験することができ、英気を養うことができました。

実は、この旅の初日は記憶に新しい、全国的な大雨の影響で、午前中から京都入りの予定が夕方になってしまい、行くはずだったいくつかの工房やご飯屋さんに行けず、スケジュールも狂いまくり様々な方々に調整頂きハラハラした旅だったので、今回お会いできなかった方に会いに行く為にも、またすぐに行きたいな、、、


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