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キャリア自律は積極的な人だけのものではない

Daisuke Inoue

キャリア自律は今や企業が求めるものでもある

キャリアは会社に決めてもらうものではなく、自分で自ら切り開くものである。このような考え方には以外と歴史があり、1970年代の初頭から提唱されはじめました。心理学者のダグラス・ホールは「プロティアン・キャリア」を提唱し、会社に依存せず、自ら変化し続けるキャリアのあり方を理想として説きました。

1990年代後半になると、「バウンダリーレス・キャリア」という考え方が、キャリア論を専門とするアーサーと、組織行動論の研究者であるルソーによって提唱されました。会社に用意されたハシゴを登るのではなく、自分の価値観をモノサシにして、仕事・会社・専門領域を縦横無尽に駆け巡る。そんなキャリアこそが望ましい、という考え方です。注目すべきは、ここに組織行動論の視点が入ってきていることです。いわば企業側の都合です。

キャリア自律はアメリカから輸入された考え方ですが、こうして見てみると、当のアメリカでも昔からそれが当たり前、という訳ではなかったということが解ります。一つの会社に生涯勤め上げるという価値観が、数十年かけて時代と共に移り変わっていったのは、日本もアメリカも同じなのです。そして、その背景には、個人の意識の変化と同時に、企業側の人材ニーズの変化があるのです。

トヨタの豊田章男社長が、終身雇用を「守っていくのが難しい」と公言したことは、同社社員のみならず日本中の人にキャリア自律を促すエポックメイキングな出来事でした。企業に依存せず、自律的に自分のキャリアを歩んでいくことができる人は、変化に対して前向きです。忠誠心より適応力。安定性より柔軟性。そうした人材ニーズの変化の波が、アメリカより一足遅れて日本にもいよいよ到達したのです。

社会にも企業にも「自律だ」と突き放される不安

ただ、そう聞くと不安になってしまう人は多いでしょう。どのように自分のキャリアを構築していくべきなのか。それを考えるためのツールやサポートが、日本ではまだ充実しているとは言えません。転職に関する社会の空気やインフラは大きく変わりました。しかし、転職はキャリア形成の一手段でしかありません。転職するにしても、「逃げの転職」であれば、それはどちらかといえば「他律」になってしまうでしょう。

キャリア構築のノウハウやアドバイスは、一見すると巷に溢れています。しかし、その多くは転職ビジネスの一環として提供されています。キャリア自律を促している、というよりは転職を促しているのです。キャリア論を大学で学ぶことができ、それを修めたカウンセラーにアクセスでき、前職・前前職の上司をメンターとして仰ぐことができる。一部の先進的な取り組みを除き、そんな環境は整っているとはまだとても言い難い状況です。

そんななか、いわば空手で修羅の国に放り出され、社会にも企業にも「自律だ」と突き放されてしまっては、不安に思わないほうが不自然でしょう。私自身は何回も転職しており、その都度業界を変え、仕事も微妙にシフトさせ、副業で本の出版や講師業をやっていたりもします。一見すると会社に依存せず自律しているようにも見えるのですが、実際にはただ落ち着きや忍耐力がなく、長所としては好奇心が旺盛だっただけだと自覚しています。要は性格の問題だったのです。

そこには大した戦略も計画性もなく、ただその場その場での出会いと衝動があったに過ぎません。ただ、これは偶然ながら時代に合っていたと感じます。会社に依存しない、バウンダリーレスな(境界線のない)キャリア思考が自然と身についたのです。それでは、たまたま偶然そういう性格ではない人が、今の日本でキャリア自律を実現するのは難しいのでしょうか。この問いは、40代も後半に差し掛り、いい意味でも悪い意味でも落ち着いてきてしまった今、私自身が直面している問題でもあります。

キャリア自律とは計画ではなく価値観を持つこと

冒頭で紹介した「バウンダリーレスキャリア」の特徴は、仕事・会社・専門領域をバウンダリーレスに駆け巡るということでした。しかし、それは外からみた特徴であって本質ではありません。そんな特徴をキャリアに顕現させる本質は、キャリアの成功を自分自身の価値観で測る、ということです。社会や会社にプリセットされた価値観ではなく、他ならぬ自分自身の価値観でキャリアを選択していくのです。

このことは、必ずしも戦略的・計画的であることを意味しません。キャリアにはいつ何が起こるか分かりません。ある日突然訪れる思いもよらない出会いやチャンスを、事前に計画することなど不可能です。そんなチャンスをチャンスと受け取れるか、リスクがあってもそこに飛び込めるかは、自分の価値観次第です。その意味で、キャリア自律とは、戦略や計画ではなく、自分の価値観をしっかりと持つことだと私は考えます。

また、その価値観は、必ずしも「上昇志向で」「積極的で」「革新的」である必要はありません。「自然」「家族」「コミュニティー」を大事にする、という価値観も素晴らしいですし、地位や名誉より自由を重んじる、という価値観はとてもクールだと思います。一方で、ポジションや給料など、伝統的な価値観が自分の中でも大きな意味を持っている場合は、それを追求することも意義深いでしょう。

震災を期に被災地でボランティアをするようになり、当時勤めていた会社で立ち上がった被災地支援の現地部署に志願し、その部署が役目を終えた後は被災地の会社に転職した先輩がいます。メディアに華々しく登場するビジネスインフルエンサーとは似ても似つかない、どちらかというと控えめな先輩ですが、私が知る他の誰より自律したキャリアを歩んでいると感じます。社会や会社が用意したものではなく、自分自身のモノサシでキャリアの成否を測っているからです。

失敗してもまあ何とかなる!

繰り返しますが、キャリア自律とは戦略や計画ではなく、自分自身の価値観でキャリアの成否を測ることです。そしてその価値観は、多様な色彩を持って良いものです。革新的で上昇思考なもの。伝統的な地位や名誉を重んじるもの。自由を全ての上に置くもの。人を助け地域や自然に奉仕するもの。そう考えると、キャリア自律のハードルはグッと下がるのではないでしょうか。

また、自分自身の価値観は年を重ねるごとに移りゆくものです。高校生の頃の価値観でキャリアを選択していたら、私は今ネパールの山村で誰にも理解されないノイズ音楽を一人制作し続けていたかもしれません。これが自分の価値観だ! という揺るぎない確信が持てなくても、揺らぎながら頻繁にそこに戻ってくる心のホームがあれば、それを今時点の価値観と考えてもいいのではないでしょうか。

そして、そんな価値観に従ってキャリアを歩みながら、価値観を見つめ直して行けばいいのです。幸い、そんなキャリア・ジャーニーを続けるには、今はとてもいい時代になりました。社内でジョブチェンジの希望を叶える仕組みを持つ会社も増えましたし、許可されていれば副業で自分の価値観を試してみることもできます。転職だって、何も次の会社に骨を埋める覚悟でする必要はありません。

仮に失敗してもまあ何とかなるものです。「思い通りに行く」という薄い海面と「もうどうにもならない」の深海の間には、「まあ何とかなる」の肥沃な海が広がっています。キャリアの成否を自分のモノサシで測るとき、思い通りに行かなかったとしても、それはすなわち「もうどうにもならない」ということではないのです。そう考えると、キャリア自律のハードルはさらに一段回下がるのではないでしょうか?

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