「やり切る」と「固執」のちがい、あるいは「手放し」て「生きる」働き方 〜Tokyo Work Design Week追記
お疲れさまです。uni'que若宮です。
勤労感謝の日に、横石崇さんが主催する働き方の祭典・Tokyo Work Design Weekでお話をさせていただきました。
澤円さんに始まる豪華ゲスト陣にまぜていただき、リレー形式でお友達のメディアアーティスト・市原えつこさんからバトンをもらって2020年の演劇界の事件・劇団ノーミーツの広屋さんにバトンをつなぐ、というとても楽しいイベントでした。
トークタイムは10分間と限られていたのもあり、上手く話せなかったところを補足的に書きたいと思います。
とくにパーソナリティーの辻さんからの質問に中途半端な答えになってしまったこと。それは「やめることとやり続けることをどう見極めたらいいのか?」ということです。
「手放す」ことで広がった2020年
こちら↓に当日のトークの内容がグラフィックレコーディングされているのですが、
自分の2020年を振り返ると、いろいろと手放した一年でした。そして、手放すことによってたくさん新しい機会と出会えた一年でした。
①事業を手放した。
まず、ひとつ大きかったのは、事業を手放しました。弊社uni'queでは、YourNailというスマホでできるオーダーメイドネイルのサービスをしていたのですが、これを分社化し、村岡弘子さんに代表を努めていただくことにしました。
uni'queはもともと「ネイルの会社」ではなく、女性の活躍を加速させるスタートアップとして創業しました。1つ目に立ち上げたYourNailのイメージが強く、僕自身もまずはネイル事業を大きく成長させなければ、と思っていたのですが、4月でそれを手放したのです。(最後踏ん切れたのは、COMEMOのKOL仲間藤田さん、河原さんとのタニモク会がきっかけです。感謝)
その結果どうなったか、というと、沢山事業が生まれました。
4月にはコロナ禍をきっかけにオンラインアートパフォーマンス事業、leap2liveをアーティストと立ち上げ、開始半年で渋谷区のInnovation for new normalに採択されました。
また、インキュベーション事業Yourからは、高本玲代さんがフェムテックサービスのwakarimiを開始。東京都のAPT Womenに採択されたりメディアにも注目され、順調に立ち上がっています。
さらに、「薬味」という日本独特の食習慣に着目した食のアプリYakummyを7月に、12月にはもう一つサービスを開始する予定で、実に年に4本のペースとなり、uni'queはもはや「ネイルの会社」ではなく、女性が活躍し社会に飛び立っていくプラットフォームに進化しつつあります。
YourNailをそのままやっていたら(なまじ事業として立ち上がっていたために)ここまで新しいことは始められなかったでしょう。
「手放す」ことで「余白」ができていたので、コロナ禍をきっかけに新しい事業ができたのだと思います。
②席を手放した
もう一つは「登壇の席」を手放したことです。
これまでもイベント登壇時に男性ばかりなことには違和感をもっていたのですが、いよいよその違和感が高じて、7月に「イベント登壇お断り」を宣言しました。
登壇といっても末席でときどき呼んでいただけるくらいの駆け出しにすぎない僕の不遜な宣言です。イベント主催者や男性側から反論もいただいたりしました。実際に数本のイベントは女性比率が合わずに登壇をお断りしましたし(他の女性登壇者をご紹介しました)、その数倍のお仕事が声がけをいただく前に消えているのかもしれません。
しかし今では、それで消えた仕事はたぶん、本質的には僕じゃなくてもよかったのだとおもっています。なにより「手放し」たことで得た新しい機会がたくさんありました。
まず、ウェブから新聞、雑誌、テレビまで、メディアに沢山とりあげていただきました。(これまでにも溜まっていたからこその)ジャンダーギャップへの注目度の高さに改めて驚きました。
そして何よりありがたかったのは、ご連絡をいただくイベント主催者の方に変化が起きたことです。
今回のTWDWもそうでしたが、ほとんどのみなさまから登壇依頼時に「今回の登壇者はこんな方たちを予定していて、女性比率は◯%です!」と付記していただけるようになりました。
さらには、単独登壇のはずだったセミナーでも女性のゲストを迎える企画に変えていただけたり…
果てはフランス大使館からこんなお声がけまでいただきました。
「女性活躍推進の討論会は、これまでの数多く開催して参りましたが、ともすればガールズトークになりがちな会に若宮様のご登壇を賜れますことを、心より有り難く存じております。」
女性活躍の話というと女性ばかりが集まりがちで逆に男性が少なかった、そこに呼んでいただいて男性側の意見もお話できた、という意味で、ここでもひとつ分断が減った感じがしてとてもうれしいです。
「やり切る」と「固執」のちがい
以上、「手放し」たことで広がった2020年だったのですが、その中で感じたことが「やり切る」と「固執」のちがいです。
この2つは似ているようなのですが、「やり切る」は軽やかであるのに対し、「固執」は重苦しい、まったくちがうものな気がしています。
「やり切る」には「切る」という言葉が入っています。逆にいうと「切る」ところまで十分にやる、ということだと思うのです。ですから、やり切るといつか「おわり」が来ます。
反対に「固執」というのははいつまでも手放せない状態です。
これは、「やめる」ことの重要性にもつながるのですが、
日本では「やめる」というと逃げのように思われたり、「固執する」ことが「頑張る」ことだと誤解されがちなところがあると思います。しかし、やめられない、手放せない、というのは保身や惰性によるものであり、むしろ自己中心的な「逃げ」なことが多いと感じています。
(↓にあるように「我慢」というのはもともと「自分に執着することから起こる慢心」を意味します)
またこれと関連して、最近考えていることに「人は終わりがあると長期的になり、終わりがないと短期的になる」というパラドクスがあります。
これはどういうことかというと、たとえば仕事でもプライベートでもそうなのですが、自分があと1年しか一緒にいられない、とか期間が決まっていると、ひとは「自分がいなくなった時」のことを考え、未来のために長期視点で動く気がするのです。
一方、終わりが決まっていないとやめたくないので短期的に「成果」を出すことにこだわって逆に近視眼的になる。政治家でもそうですが、議席や自分のポジションに固執して任期を伸ばしたがるひとは大局的なことを考えられなくなる気がします。
「やり切る」と「固執」のちがいは「終わり」の有無です。結果として「やり切る」と手放せるので軽くなるのですが、「固執する」といつまでも手放せず重くなるのです。
やり切る vs やり続ける の見分け方
前置きが長くなりました。いよいよ本題です。
「やめることとやり続けることをどう見極めたらいいのか?」
僕なりの答えはこうです。
「やるべき」ことだけど重くなり、パフォーマンスが鈍ってくることはやめるといい。一見大変でもついやっちゃって自分らしいパフォーマンスが出るものはやり続けるといい。
これ、ちょっと誤解されがちなのですが、いわゆる「やりたいことだけやればいい」っていうのともちょっと違って。
なぜかというと「やりたいこと」ってその時点で見えていることだけで考えるとつい「楽なこと」になりがちなのですね。よくいうのですが、たとえば小学生に「やりたいこと」を聞くと「学校行かないでゲームしていたい」とほとんどみんなが答えますよね。それって楽な方に流されて活動力が減っているだけで、まったくその人らしいパフォーマンスが出ていないと思うのです。
そうではなく、やり続けたほうがいいことって、アドレナリンが出てその人らしいパフォーマンスが出まくることです。イベントでは「性癖」という表現をしたのですが、他の人には全然理解されないけど自分はテンションぶちあがる、「偏愛」みたいなことですね。
そしてそういうことって、アドレナリン出まくりで記憶がないくらいなので、やるかやらないか悩むより前に(止められても)もうやっちゃってるし、ものすごいトルクがあがるのでパフォーマンスも出まくります。
こういうことはやり続けたらいいのです。
なぜなら、こういう「性癖」や「偏愛」といえるようなゾーンのことは、無理にやめたとしても「やり切れない」感だけが残るからです。理屈じゃなく爆上がるのをどうせ止められないから、それならやっちゃうに限ります。
逆にアドレナリンが出ないこと、どんだけ頑張ってもパフォーマンスが落ちる一方で心が重苦しくしかならないことは、「手放し」てしまうのがいい。
よく、「やりたいこと」のために「つまんないこと」とか「苦しいこと」も我慢してやるべき、という話もありますが、僕はこれまでの経験からちょっとちがう考えをしています。
どんだけ我慢してもだめなものはだめ。なぜなら心が重くなっていって、パフォーマンスが下がるからです。でも、それは困難があったら避けていればいい、というのともちがいます。なぜなら困難や抵抗は実は楽しさの源だからです。たとえばそれは山登りやスポーツに似ています。なんらの困難なしに頂上についちゃったり、毎回自分が勝つと決まっている試合なんか、楽しくないですよね。
「やるべき」だからやるけどやればやるほど心が重くなることは「固執」せずに「手放し」て、苦しくてもなぜかどんどんアドレナリンが出てくる、そういうことを「やり切る」までやるとよい。
「手放す」のは怖いですが、やってみるとすっと軽やかになります。そして空いた手で新しいものをつかめます。大変でもついやってしまうようなことは、「やり切る」と辛さの分だけ楽しくなります。そしてやり切った後には、また新しいことが始まるのです。
こういう生態のすごいわかりやすい例をあげます。
これです。
「アート思考」というのはしたり顔で学んだりすることではなく、このゲンキンさとアホさのゾーンに入ることなのです。
人間の時間は有限です。重苦しいことやパフォーマンスが出ないことにリソースをつかっているのは勿体ないとおもうのです。
それよりは自分がほんとうに「生きる」ような自分の使い方をしたほうがよい。手放すべきことに固執する人は死んだ目をしています。それを「手放す」ことができたひとは「生き生き」し始めます。
自分が一番「生きる」働き方をすること、そのために余分なことは「手放す」こと。今年一年、ほんとうに実感したこととして、これからの時代にはそんな「自分が生きるセルフマネジメント」が大事なのではと思っています。