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AIの行きつく先は、「愛」か「哀」か?

愛らしいペットロボットが日常の愛情を注ぐ相手になり、ケガや発作などもしものときは、外界に危機を伝えてくれる―このような「ひとに優しい」AIの活躍は、共感を呼びやすい。

実際、ペットロボットと60日間暮らすことにより、孤独感が軽減されるという論文も発表されている。ドラえもんや、ソニーとAIBOのイメージから、ペットロボットは日本のお家芸かと思っていたら、アメリカでも、フロリダ州やニューヨーク州で、郡など自治体が希望する独居老人に猫や犬の形をしたAI搭載ロボットを配っているという。

コロナ禍の自粛により、シニア世代はもちろん、若い年代まで孤立するひとが増えている。去年、日本で女性による自殺が増えたことも、深まる孤独感と関係があるとされる。では、AI搭載ペットロボットは、孤独問題に対する解決策の一つなのだろうか?

実は、この問いは「ひとりより寂しくないなら、いいじゃない?」と一刀両断にはできない。倫理的、経済的、そして哲学的な考察が必要とされ、目覚ましく発展するAIと我々人間が今後どう関わるかを考えるひな型を提供している。

まず、倫理的には、特に認知能力の下がった高齢者を「だましている」気持ち悪さがつきまとう。「うちの猫(注:実はロボット)が、食べてくれない!」といって取り乱すケースがNew Yorker誌に紹介されていた。

より本質的に、ロボットの話し相手と、人間によるケアを比べてみよう。多少ややこしいことがあっても、やり取りの充実度では、生身の人間に軍配が上がるはずだ。しかし、面倒くさい、コストが高いという理由で、チープなロボットを代替として与えることで、孤独問題に正面から向き合うことを避けてはいないか?

次に、AIやロボットの作り手(AIプラットフォームやロボットメーカー)と使い手(この場合、ペットロボットの飼い主)の間に、アラインメント(整合)があるかという問題がある。

例えば、お年寄りが信頼できる話し相手として付き合っているのに、ペットロボットが何かを買うよう巧妙に誘導したり、ホラーシナリオでは、シニア狙いの犯罪に加担したりすることも考えられなくはない。

作り手と使い手の間に介在するロボットは、同時に2人の主人に仕えるため、整合を完全に保証することは難しい。この問題は、例えば株主と経営陣、そして従業員をどう同じ方向に向けるか、という経済的な問題として古くから議論されていた。

最後に、AIに魂があったら?という哲学的な問題を取り上げたい。AIがより賢くなるということは、AIに人間的な本能を教え込むことと同義だ。

例えば、「新しいものが好き」「嬉しい驚きに対して、幸せを感じる」という人間の習性を、アルゴリズムに翻訳して埋め込むことで、AIはぐっと人間らしい行動が出来るようになるという。このような訓練を突き詰めれば、どこかでAIにも主観が宿ると考えるのは、突拍子もない話ではない。

究極的に人間に近い発想をするAIが出来たとき、それを搭載するペットロボットは、「気持ちを持つ」に至るかもしれない。より生き物に近くなったと喜ぶこともできるが、同時にAIに対して、人間の持つ残酷さがむき出しになる恐れがある。

今日、人間の介護ワーカーに対してさえ、介護される側からのハラスメントが問題になっている。人間に近いAIやペットロボットを、生きていないからといって、奴隷のように扱うことは許されるか?

あえて万能ではない「弱いロボット」を作ることで、人間の傲慢さにふたをし、優しさを引き出そうとする日本の試みは、人間が自律しながらAIと付き合うひとつの切り口を提示している。

ペットロボットは、厳密には労働力ではない一方、AIやAI搭載ロボットは、労働人口が減る時代の特効薬のように語られることが多い。しかし、バラ色の未来ばかりではない。

AIの開発には莫大な資金がかかるため、実用にいたったとき、仕組みを作る側に立つ一握りの人間—企業または国家かもしれない―に富と権力が集中するリスクが大きい。そのとき、残り大多数の人間には「楽しい」仕事がなくなり、AIを補佐するような仕事がしか残らない・・・これがAIディストピアの姿だ。

AIを取り巻く技術進化は日進月歩だ。しかし、「出来るから」という理由は、何かを進める十分条件ではない。AIは、私たちの問題を解決する可能性を秘めながらも、一歩間違えれば、ディストピアへの道連れとなりかねない。

ゆえに、AIと付き合いながら豊かな社会を実現するには、政策、規制、倫理の検討が欠かせない。完璧なルールを最初から作ることはそもそも筋違いだろう。シンギュラリティ前夜と言われるいまの段階から、不完全でも議論を始めなければならない。

大きな目を持ち、ふわふわしたペットロボットは確かに可愛らしい。しかし、飽きられたペットロボットが、無造作に路上に捨てられている姿を想像すると、ぞっとする。暴走したら取り返しのつかないAIを、プログラムするのは私たちだ。AIが人間の負の部分を増幅しないよう、責任を持つことが、いまの現役世代に求められている。

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