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「金がないと結婚できない」を否定する高齢・高収入・好環境者

これも飽きるほど何回も言ってることだけど、人間の本性なんてものは大昔の奈良時代だろうが現代だろうがたいして変わらない。

しかし、本性は変わらなくても、環境は変わる。環境が変われば当然そこにいる人間の行動は変わる。心の中で何を思っているかはわかりようがないので、目に見えるアウトプットとしての行動だけが見える化される。
しかし、行動は必ずしも「変わらない本性」通りではなく、時代時代の環境に応じて、定められた規範に従って行動せざるを得ない。
環境によって行動は変わるが、人間は自分の行動を後追いで承認しようとする癖が本性としてあるので、さも自分の意志で行動したかのように思い込むが、決して意志ではなく、環境による誘導に過ぎない。

その環境をもっとも大きく変えた契機は、狩猟採集生活を脱して農耕定住生活を始めた段階で、そこにおいて、それまでの「獣の中にいる別の動物」という位置から、社会的な生き物としての「人間」に変わったと言えるだろう。

「人間」という言葉は実にいい得て妙な言葉で「人の間」と書く。「人の間」とは「人が住んでいる所」を表し、要するに「世間」を意味する。世間の中で世間の目や規範に従うことで安心して今日も明日もメシが食えるという意味で社会的な動物=人間になったわけだ。

農耕定住生活にあたる農業革命のような大きな環境変化でこそないものの、今までの歴史上各土地、各国においていろんな環境変化はあった。ひとつには宗教の発明だし、産業革命とかもそう。

環境変化に応じて、コミュニティの構造も変化した。村社会的な大きな群れコミュニティ的なものから、細分化して核家族化や単身生活形態も進んだ。

未婚化が進んだから単身生活者が増えたのではない。因果は逆で、コミュニティの構造が変化したから、単身でも生活できるようになったのである。事実、江戸時代の長屋などは今に先駆けたような単身生活コミュニティであった。

歴史の面白さというか、「歴史は繰り返す」「歴史は韻を踏む」などというが、そうした環境変化に応じて表出する現象は似たようなことが起きるものである。

江戸時代の長屋では生涯未婚の男は多く、その理由は自分ひとりだけ食うのに精一杯で余裕がないからである。もっとも江戸時代は別に男だけが稼ぐものではなく、「銘々稼ぎ」といって夫婦はそれぞれに仕事を持ち、稼いだ財産は基本的に個人の所有物であり、夫婦といえど無断で使用したり盗めば罪になった。だからこそ、そもそも「稼げない男も女も結婚なんてできなかった」のである。

別に町人にとって結婚することが是の社会でもないので、独身なら独身として楽しめばよかった。独身が多いから、それなりに需要もあり、産業も産まれた。だからこそ今に続く数々の文化が花開いたわけで。

「金がなければ結婚なんてできない」のは江戸時代に限らず、鎌倉時代の農民もそうで、そもそも自分の土地を持たない隷属農民の未婚率は異常に高かった。

そもそも、昔話に「貧しい男の一人暮らしの家に女に化けた鶴とかがやってくる」系の話が多いのはそういうことである。多すぎる生涯独身男の願望というか妄想なのだろう。

何が言いたいかというと、明治維新後の富国強兵に狂った環境で皆婚ができたのは、まさに皆婚と出生奨励(兵隊生産)が国策という環境そのものだったからであり、決してあの時代の男が恋愛力があったわけではないし、結婚意欲が旺盛だったわけではないということ。

「金がなければ結婚できない」は今だけの話ではなく、人間社会としてのデフォルトだったのだと思う。もちろん、金の部分は、それに代わる何かがあれば話は違う。
たとえば、豊臣秀吉が藤吉郎時代におねと結婚したが、あれは恋愛結婚だった。おねは実母の反対を押し切って、浅野家の養女になるという強硬手段の上で秀吉と結婚している。むしろおねの方が積極的だ。
秀吉がイケメンであったわけではないが、後々天下人になるあの「人たらし力」を考えれば、女性を口説く能力があったろうとは思う。その力は尋常なないくらいの金の量に匹敵するだろう。が、誰もが秀吉ほどのスーパー「コミュ力」マンではない凡人なので、そうはいかない。

「金がないから結婚できない」を言い訳だと切り捨てる老害おじさんは相変わらずいるが、実際そのおじさんが20代の頃と今の20代が置かれている経済環境は違う。

「お金は関係ない」とかクソリプを書いてよこしてくる認知がゆがんだ奴も相変わらずいるが、そう思いたければ思ってればいいんじゃない?いちいち相手にしてらんない。

就職氷河期の20代より令和の20代の方が実質可処分所得が低いのだから。額面給料の話というより、ここ20年余で増えまくっている社会保険料のせいである。
金がないことは不安を増大させ、不安の増大は行動を抑制する。
詳しくは以下に記事を書いたのでお読みください。


繰り返すが、人間は環境によって行動を変える。行動させたいなら環境を整えないといけない。意志とか価値観の問題ではない。

そうした時に、こんなことをいうのがずっと政治家をやっていたりする。

河野太郎「財政の犠牲の上に経済をつくる、そんな経済の成長は持続可能なはずがない」

財政のために国民の生活を犠牲にし、希望を失わせる方がよっぽど罪。相変わらずいう事がパワハラ味あふれるな、この人。







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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。