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ICT教育で同じスタートラインに立つケニアと日本

ケニア、と言ったときに、何を思い浮かべるだろうか。

野生動物やサファリといったイメージを思い浮かべる人もいるだろうし、コーヒーや紅茶の産地として名前を思い浮かべる人もいると思う。どちらもその通りなのだが、それはそのまま、まだ経済発達が初期段階の「途上国」というイメージと結び付いている、とも言えるだろう。

今、私はケニアに来ているのだが、ケニアのみならずアフリカの地に降り立ったのが人生初の経験だ。

まだ、首都ナイロビにわずか数日滞在したにすぎないけれど、確かに「途上国」としてイメージされる様子は、その通りだ。

例えば、公共交通機関は未整備で、300万都市であるナイロビに市内の鉄道網はなく、バスは多数走っているけれど、バス停とおぼしき場所に、バス停とはっきりわかるような表示やバスの時刻表などもない。その結果、主な交通手段は、徒歩のほか、バイクやクルマに頼ることになり、市内の至るところで慢性的にはげしい渋滞が発生している。

渋滞の起きているところには、どこからともなく物売りの人たちが現れる。バナナやお菓子はもちろん、豆や野菜とおぼしきもの、さらには工具や電気ケーブルのようなもの、果ては楽器や小ぶりな家具に至るまで、ありとあらゆるものを両手に持った人が、停まったクルマの間を通りながら売り歩く。次は何を売る人が来るのだろう、というのがちょっと楽しみなくらいのバリエーションなのだが、買っている人を、まだ見かけていない。交通事故の危険をおかすわりに、あまり稼げないようにも思うのだけれど、そういう仕事でもやっていかなければならないという状況なのかもしれない。

こうした光景は、アジアの「途上国」と目される都市にも見られるものだが、赤道直下にありながら標高2000m近い高地にあり冷涼な気候であることや、ナイロビ近郊の空港周辺などは、地平線が見えるほどの草原が広がって広々とした光景であることは、アジアの大都市にはない独特の雰囲気を醸し出している。

そんなナイロビに私が来たわけは、この国でも来年から始まる初等教育段階でのICT教育に、私が取締役を務めるスタートアップ企業のプログラミング教育パッケージの導入を働きかけるため。JICAの民間連携事業で、案件化調査対象のひとつとしてキャスタリアが認められたこともあって、国の行政機関や教育機関などを訪問し、パッケージの説明や導入のために必要なプロセスの確認や、なにより大切な導入に向けた交渉を進めている。

また、案件化調査の費用は当然一時的なものなので、事業開始できたあとで、継続的にビジネスを回していくめどもつけなければいけない。単にビジネスという側面だけなく、採用されればケニアの子供たちの教育に関わる責任の一端を担う、という側面も持ち合わせることになる。これは、一スタートアップ企業の経済活動というだけでなく、少し大袈裟かもしれないけれど、日本や日本人が、ケニアやケニア人からどう見られるかということにもつながるのだと思っている。

くしくも、日本でも来年から小学校でのプログラミング教育が必修化されるが、それと同じことがケニアの初等教育でも始められようとしている。STEMないしSTEAM教育に世界の国々が注目し、それに対応しようとしているという意味では、ケニアと日本どころか、全世界的に同じスタートラインに立って、それぞれの国の将来を担う子供たちへの教育に関する競争が始まろうとしている。

もちろん、国によって途上国であるとか先進国であるといった違いがあり、そのためどのように取り組むか、取り組めるか、という条件はさまざまだ。

ただ、先進国であるからといって無条件に有利であるとか、途上国だから不利というほど、単純な「競争」ではないというのが、ここ数日で感じたこと。

ケニアと日本の比較で言うなら、確かにケニアは地域によって電力やネット回線の供給が不十分なところすらあり、その点では日本とは比較にならないほど条件は悪い。しかし、一方で、教育に投資することで得られるリターンは日本よりはるかに実利として実感できる社会経済状況だし、教育がすべて英語でなされ、ケニア人は英語が話せて当たり前といえる状況は、日本にはないアドバンテージだと思う。そして、行政や教育機関の取り組みにも、ICTでゲームチェンジを狙い、途上国から脱却するという意欲を垣間見ることがある。

そういうことを考えると、日本とケニアはどちらかが一方的に有利ということではなく、それぞれの強みを生かしていけるかどうかが、これからシビアに問われるのかもしれない。

キャスタリアはもちろん、日本でもプログラミング教育のビジネスを始めているけれど、国の状況が異なるので、ケニアと日本ではアプローチを変えている。

ケニアでの事業が実現すれば、両国どちらでも初等教育段階のICT教育に関わっていくことになるのだけれど、どちらの国の子供たちにも、楽しみながら未来に備える力をつけてほしいと思う。

そして、将来両国の子供たちが大人になった時に、一緒に働いたり、同じ課題の解決に取り組んだり、といったことが起きるなら、そしてその遠いきっかけをキャスタリアの事業が作れるなら、単なるビジネスということを越えた価値や意義を産むことになるのではないか。

そんなことを思うだけでワクワクしてしまう、と同時に、この未知の取り組みに果たして自分が何かしらの貢献ができるのかという点では、パニックゾーンに近いストレッチゾーンにいるのだなと、ちょっと心もとない気もしながら、ナイロビのひんやりとした夜風を感じている。

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