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データの連続性をどう担保するか

ドイツの1月分CPIは大幅に予想を上振れ(前月比+0.3%予想に対し、+1.4%)。コロナ対策の一時的VAT引き下げの終了、炭素税の変更、最低賃金の引き上げなどが同時に寄与した模様。スペインCPIも市場予想前月比-1.4%に対し-0.3%と大幅に上振れた。フランスは、市場予想前月比0.0%予想が、+0.3%と上振れが限定的だったが、そもそもフランスのインフレはコロナ禍で落ち込んでいなかったことを踏まえれば、例外としてとらえる必要はないとみる。

データの歪みも考えておく必要がある。新型コロナ禍は、消費者物価統計の生成と解釈に三つの重要な課題を突き付けている。第一にデータ収集のハードル。ソーシャル・ディスタンス措置や関連規制の導入により、統計機関は必ずしも実地で物価データを集められなくなった。代わりにオンラインや電話でのデータ収集を余儀なくされている。第二に、対象品目の変化を捉えるというハードル。特にロックダウン期間中、一部の財やサービスが利用できなくなっており、物価を正確に反映できているのか不明だ。第三に、ウェートをどうするかのハードル。指標の生成に用いるウェートは外食などサービスにかかる交際費が減り、住居関連や食品などへの支出が増えるといったパンデミックがもたらした支出パターンの劇的な変化を捉えていない。データが歪んでいるのに、変化率を見て騒ぐのは少し変な話であろう。

こうした影響は調整されなければならない。ただし、消えた品目の価格変動を無視する、新たなウェートを毎月見直す、あるいは年1回にとどめるか、など用いられる手法により数値が左右されることは見ておかねばならない。例えばECBの分析ではHICPは20bpほど過小評価されている可能性がある、としているし、ハーバード大のアルバート・カバロ氏の米経済に関する試算では、CPIは90bpも過小評価されている可能性があるとしている。
過小評価されるということもさることながら、正確にトレースできない、ということを重視するなら、今般の欧州圏のインフレ上振れも、一過性のものである可能性があるかもしれない。ユーロスタットは12月のガイダンスで各国の機関に対し、2020年の既出データに基づき今年の支出ウェートを再調整するよう呼びかけた。こうしたパンデミック下での支出構成の変化考慮をうまくやれるか、は不透明だ。各国のCPIとユーロスタットHICPの整合性がとれなくなることも考えられる。

なかなかこうした統計上の問題を調整するのは難しい。しかもこれは世界共通の出来事である。データの連続性が担保できていない事実を認識しないで、データを見て一喜一憂したり、政策を考えたり、その方向性を予測したりすることが一体正しいことなのか。少し達観してみることが必要になっているかもしれない。

データの歪みも考えておく必要がある。新型コロナ禍は、消費者物価統計の生成と解釈に三つの重要な課題を突き付けている。第一にデータ収集のハードル。ソーシャル・ディスタンス措置や関連規制の導入により、統計機関は必ずしも実地で物価データを集められなくなった。代わりにオンラインや電話でのデータ収集を余儀なくされている。第二に、対象品目の変化を捉えるというハードル。特にロックダウン期間中、一部の財やサービスが利用できなくなっており、物価を正確に反映できているのか不明だ。第三に、ウェートをどうするかのハードル。指標の生成に用いるウェートは外食などサービスにかかる交際費が減り、住居関連や食品などへの支出が増えるといったパンデミックがもたらした支出パターンの劇的な変化を捉えていない。データが歪んでいるのに、変化率を見て騒ぐのは少し変な話であろう。

こうした影響は調整されなければならない。ただし、消えた品目の価格変動を無視する、新たなウェートを毎月見直す、あるいは年1回にとどめるか、など用いられる手法により数値が左右されることは見ておかねばならない。例えばECBの分析ではHICPは20bpほど過小評価されている可能性がある、としているし、ハーバード大のアルバート・カバロ氏の米経済に関する試算では、CPIは90bpも過小評価されている可能性があるとしている。
過小評価されるということもさることながら、正確にトレースできない、ということを重視するなら、今般の欧州圏のインフレ上振れも、一過性のものである可能性があるかもしれない。ユーロスタットは12月のガイダンスで各国の機関に対し、2020年の既出データに基づき今年の支出ウェートを再調整するよう呼びかけた。こうしたパンデミック下での支出構成の変化考慮をうまくやれるか、は不透明だ。各国のCPIとユーロスタットHICPの整合性がとれなくなることも考えられる。

なかなかこうした統計上の問題を調整するのは難しい。しかもこれは世界共通の出来事である。データの連続性が担保できていない事実を認識しないで、データを見て一喜一憂したり、政策を考えたり、その方向性を予測したりすることが一体正しいことなのか。少し達観してみることが必要になっているかもしれない。

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