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国際女性デーに改めて考えるアンコンシャス・バイアス(無意識の差別・偏見)

「これでもマシになった方よ」

先日、友人と女性のマネジメントや役員への登用について話してた時に思わずこう言ってしまった一言。確かに、私が社会人になった頃に比べるとマネジメントの数は増えてはいます。話しながら思い出したのがアンコンシャス・バイアスの話と、ジェンダーギャップの話でした。

昨年末に発表されたジェンダーギャップの結果は、様々なメディアが記事にして人々がSNSに各々の意見を発信しているのを覚えている人も少なくないはず。この調査は世界経済フォーラム(WEF)が毎年発表しているもので、日本が2018年の110位から121位に後退したということ、そしてG7で最下位という事実もショックでしたが、もっとショックを感じたのがForbesのこの記事。

日本の上下、120位のアラブ首長国連邦と122位のクウェートの現状を改めて取り上げている記事なのですが、宗教などの厳しい戒律があるからこそのギャップがある中東と比べて、教育ならびに健康の分野は高いものの、経済と政治の分野は芳しくないという”結果”は、私の”マシになった方”という感覚が合っていないことを思い知らせてくれました。

そしてその”マシになった”と思っていた感覚は、私のアンコンシャス・バイアスなのだということを同時に思い知らせてくれたのです。

アンコンシャス・バイアスとは、日本語で”無意識の差別・偏見”と訳されますが、知らず知らずのうちに身につけている自分の物の見方です。差別や偏見、という言葉の響きが少しネガティブですが、差別や偏見は”誰にとっての見方”によって全く意味が異なります。その判断基準が必ずしも当たり前ではない、ということですね。

アンコンシャス・バイアスを知るいい事例が、最近公開されたハイネケンのCMです。

「男だってカクテルを飲む(Men drink cocktails too)」

というのが最後に出てくるのですが「男性はビールを飲み、女性はカクテルを飲むもの」というのがアンコンシャス・バイアスです。

アンコンシャス・バイアスは、元々人間の生存本能として必要な物と言われています。例えば、「マンモスが見える→逃げる」というように、人間が生き抜く術として瞬間的に判断できるように、経験や周りの人の影響で判断基準を身につけていくのです。つまり、自分の判断基準は経験や身近な人の影響を強く受ける、ということです。そして同時にアンコンシャス・バイアスを理解することによって、未来の判断基準は作れるということでもあります。


今日、3月8日はInternational Women's Day(国際女性デー)で、世界中で様々なイベントが行われています。新型コロナウイルス の影響でオフラインのイベントはだいぶ減ってしまったみたいですが、国連でのイベントでフィンランドのサンナ・マリン首相のコメントが記事になっていました。

「男女平等は放っておいても実現しない。政治的決断が必要だ」と訴え、男女格差解消に向け世代を超えた行動を呼び掛けた。

もちろん政治的判断も必要です。そしてジェンダーギャップのランキングを上げることだけが大切なことではありません。私たち一人一人が「マシになった」と歩みを止めずに、次の未来を作るためにどんな行動ができるのか、試されている時なのかもしれません。

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