コラボレーションのために、「反論」ではなく色んな「異論」を出し合おう
大暑のみぎり、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。メタバースクリエイターズ若宮でございます。
今日はコラボレーションのための「反論」と「異論」について書きます。
色んな意見が出る方がいいけど、反論しあって消耗戦になることも…
チームや組織で仕事を進めていく時には、色々な意見が出た方がいいですよね。一人の思考だと一面的になりそうなことを多面的に捉えることができますし、解決法とか戦略もオプションが多いほうがよいですし。こうしたコラボレーションこそ、チームで仕事をする醍醐味だとも言えます。
ただ、何でも意見を出し合えばいいか、というとそうでもなく、意見の出し方によってはかえって分断が深まったりネガティブになってしまうパターンも結構ある気がするんですよね。
その一方、シビアな意見でも議論が前に進む、意見の出し方が上手い人もいる気がします。この違いはなんでしょうか。
全員イエスマンでは色んな視点が出てこない。だから異なる意見は大事。意見が違っても究極的にはみんながプロジェクトを前向きに進めることを考えているのであれば、それぞれの意見はポジティブな議論の素材になるはずです。
でも、なんか前向きの議論にならないこともあります。分かりやすいポイントで言うと、「でも」が多い人がいる会議は前に進まない。みんなで意見を出している時に、その度に「いや、でも」という人がいると、否定的なモーメントが強くなってきてしまいます。
そうすると、会議がずーん、、、と重くなっていくというか、みんな眉間にしわを寄せて、あるいは不機嫌になって、建設的に進んでいかない感じになってしまう。こういう会議、大企業だと多かったなあ苦笑。「でも」「いや」と言い合ううちにやる理由よりやらない理由が増えていくやつ。
念の為言っておくと、僕は保守的な観点も大切だと思っています。物事が今の形になっているのには経緯や理由もあるので、何でもかんでも変えればいいってわけではありません。ただ保守的な観点であっても、こういうデメリットがあるから注意しないとね、みたいに建設的だったりポジティブな議論はできるはずです。
そうではなくて、問題は保守的というよりも「反動的」な「反論」に終止してしまうケースです。なにか動きがあるとそれに反射的にとりあえず「いや、」と言っちゃう。もうパブロフの犬のように。
誰かの意見に対して否定するだけの発現が続くと、消耗戦みたいな感じになって、議論が全然前に進まない。で、結果としては個人と個人の言い合いみたいな感じになるか、全員が消耗してしまう会議が時々あって、そういう消耗戦にならないように意見をどうやって引き出して議論していけばいいのかというのは考えたいところですね。
濱口秀司さんの「コラボレーションの実験」
突然ですが、ここで濱口秀司さんをご紹介します。
濱口さんはイノベーター代表みたいな方ですが、その濱口さんがほぼ日で糸井重里さんと対談をしていて、「コラボレーション」について興味深い話をしています。この対談シリーズはめちゃくちゃ参考になるのでぜひ読んでみていただけたらとおもいます。
で、この「コラボレーションの実験」がすごく面白い。
「チームでひとつ積み木ですごい作品を作る」というお題で、制限時間は60分。ここまでは共通ですが、この60分の使い方をチームごとにいくつかのパターンで試してみる。
最初のパターンは60分間議論しながら進めるディスカッションのみのやり方。二つ目は、個人ワークとディスカッションを組み合わせる方法で、個人ワークが20分、ディスカッションが40分。三つ目は、個人ワークの時間の方をさらに長くして40分、残り20分でディスカッションする。
そしてもう一つ、ちょっと複雑なパターンも用意されていて、まず20分の個人ワークをして、その後短時間で個人で考えてことを共有し、その後また20分の個人ワークをし、最後にディスカッションという流れです。
で、結果は、このパターンが実は一番クリエイティブな成果が出るそうなんですね。
異論をなるべく出し合い、その上でみんなで話す
これ面白いなと思うのは、普通「コラボレーション」というと、なるべくみんなで話しましょう、と考えてしまいがちですよね。ディスカッションの時間が長いほうがなんとなくコラボレートしている”気になる”。でも実際は、あんまり生産的じゃないっていう。
これにはいくつか理由があると思うんですが、いきなりディスカッションを始めてしまうと、参加者が自分の意見を熟考し切っていないので、浅いところで「いや、でも」みたいなやり取りで時間がかかってしまいがちになっちゃう。なんとなくずっと話してはいるけど、議論が深まらず堂々巡りで時間が過ぎてしまった、という経験はみなさんもあるのではないでしょうか。
もう一つの問題として、複数人で話している時にちょっと声がでかい(物理的にだけではなく)人が話し始めると、ほとんどの人が意見を言う暇がないまま終わっちゃう、みたいなことってありますよね。実は大事な別の観点とかせっかくのいい意見みたいなのが、そもそも場に出るチャンスなく終わっちゃう、というのも結構あるあるです。
「コラボレーションの実験」のことを知ってから、僕は企業などでワークショップをやる時、すぐ議論せず、まず最初に個人ワークで一回考えてもらうようにしています。考えた意見は付箋とかに書いてもらっておき、議論のまえにまずは全員が共有をするんです。その上でディスカッションをすると、小さな声も場に出ずに終わるのを避けることが出来ます。
声の大きさに限らず、「そうそう、だよねー」ってみんなの意見がある程度同じ方向に進んでいってしまっていると、ちがう意見を出すのが難しくなります。でも付箋に書いて置くと、ちゃんと「異論」が見える化されます。
濱口さんのやり方はさらに面白くて、個人ワークをした後で一瞬共有をした後、ディスカッションに入らずさらに個人で考える、というやり方です。チームの議論の実に2/3の時間を個人ワークに使うってなかなかヒヤヒヤするので僕はここまではなかなかしないですが、「共有した後でさらに個人ワークをする」という流れも「反論」と「異論」の観点から考えるとちょっと分かる気がします。
チームとは言え、みんなの意見の中には自分とはちがう「異論」もきっとあるはずです。で、これをそのままディスカッションすると自分の意見と他者の意見は分離した状態のままで反論的な構造が生まれます。
そうではなく、みんなで持ち寄った素材を共有した上で、さらに自分の頭で反芻しながら意見を考えると、他人の意見も取り入れつつ自分の意見/他者の意見が融けていく感じがします。
ラリーと円陣パス
コラボレーションのためには、「異論」はとても大事です。
「イノベーションとは新結合」という訳語がありますが、「新」結合とは本質的に異質な、「異論」との出会いなはずです。
また、ここで重要なのは、「反論」と「異論」を分けて考えることかもしれません。
「反論」はラリーみたいな感じで、Aさん- Bさんの間ですごい打ち合いになっちゃう。で、だんだん相手を説得しようとか、自分の意見が正しくて相手が間違っている、という感覚になり、売り言葉に買い言葉でヒートアップしてきてしまう。ラリーだと相手を打ち負かすのが目的になってしまうわけですね。
「反論」のラリーは論破合戦になり、相手が取れないように球を打ったりする。でもそれってよく考えたら個人と個人の小競り合いで、「コラボレーション」にはなっていません。
一方で、「異論」をみんなで出すのは6人ぐらいの昼休みのバレーみたいなイメージというか、なるべく長く続けようっていう感じというか、打ち負かすのではなくむしろお互いがお互いをカバーする感覚というか。
「異論」のための場作りとファシリテーション
言葉の使い方にも違いがあって、「反論する」とは言うけど「異論する」とは言わないですよね。「反論する」の方が他動詞的になるというか対象がto人になってしまう。一方「異論」は、誰かに対してというより「こういう考え方もあるよね」とその場に出していって、みんなでフラットに受け取れる感じです。
これって、ダイバーシティもそういうものなんじゃないかなと思っていて、ダイバーシティの議論が「反論」的になっているとちょっと残念に感じます。多様性とは、叩き合うのではなく場になるべく多くの「異論」を置いていく感じではないでしょうか。
こういう異論をうまく引き出していくには、場をうまく回す人、ファシリテーターの役割が重要です。いいファシリテーターがいて、ニュートラルでフラットな場づくりを心がけないと、反論の応酬になってしまう。
個人的にも、SNSでは極力「反論」をしないように最近気をつけています。直接のリプライやコメントはどうしても反論的になっちゃうので個人的にはコメントやリプライなど、「to人」のコミュニケーションではネガティブなことはあまり書かないようにしてます。
また逆に受け取る側としても、過敏になるとわざわざハッシュタグを読み漁って、誰かの「異論」にわざわざ食ってかかる、みたいなことはしない方がよいですよね。自分とはちがう誰かの意見は単に場に置かれた「
異論」なので、みかけてもto自分みたいに取らず、なるべくフラットに受け取るようにしてます。
「反論」と「異論」をちょっと分けて考えてみて、「色んな異論」(韻踏み)を引き出す場作りやファシリテーションが出来ると、社会や組織のコラボレーションがさらに進みやすくなるのではないでしょうか。
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