日本滞在で感じた3つのこと

3週間以上、日本に滞在していて気づいたことをメモしておきます。毎度思うことも多いですが、「やはり」と再認識することを含みます。

まず日本の外の情報が、日本語か英語の情報源に限定されていることが圧倒的です。どの言語でも良いですから、もう1つ別の言語で書かれている視点が欲しいです。そうすると3点から総合的にものごとが見えます。例えば、欧州の大陸にある国のメディアであれば、英米メディアの情報に「アングロサクソン系はこういうが・・・」という枕詞がつく。これだけでパースペクティブに変化がでます。

案外忘れがちなのは、米国や英国のような英語圏の人たちは外国語の習得率が下がり、その見方に穴が出やすいということです。言うまでもなく、英語圏の情報は豊富であるため、それだけで多角的な見方が揃っている可能性が高い、との前提のうえで話しています。

2つ目は、ロジカルシンキングが日本ではスキルの1つとの位置づけになっていることです。そして、そこには数学的思考であるとか、とても厳密で、いわば「冷たい」要素を含んでいる。西洋文化圏におけるロジカルシンキングとは、「風が吹けば桶屋が儲かる」ことを分かるように説明できることであって、初等教育から普通に学んでいく素養です。だからロジカルシンキングに、日本のような「ロジカルではなく感性!」との偏った主張が出にくいというか、出るはずがない。

ロジカルシンキングをもう一度「まともな理解」に戻すのが、ビジネスにおけるデザインやアートの論議のなかで必要だなと感じています。

3つ目は、コンテクスト理解への復権です。もともとハイコンテクスト文化に属する日本では観察対象そのものだけでなく、周辺事情を読みこむことで全体像を掴むのを習慣としてきました。しかしながらこの20-30年くらい、大きな市場に大きな組織で立ち向かうためのアプローチが全盛を極め、ハイコンテクスト文化特有の曖昧さの把握を良しとしない傾向が強まったと思います。なるべくコンテクストに依存しない把握を推進してきた、といってもいいでしょう。しかしながらコンテクストに依存しない言葉は、ほとんど意味をなさない。だから意味をなさない実のない言葉が浮遊するケースが多くなってきたのです。

日本で売れているビジネス書には翻訳ものも多く、それらは筆者の個人的経験を事細かに記述することからスタートしているにも関わらず、日本人の書いたビジネス書には、そうした記述が少ないです。編集者が「なるべく具体的な母数の多いデータで」「結論を最初に書いて後で説明を」「できれば箇条書きのように」とリクエストを出しているのでしょうが、筆者自身のコンテクストの説明が不足することになります。

こうした状況を鑑み、コンテクストを把握するための基礎的情報量の増加の必要性を感じている人がじょじょに増しているのではないか、との印象ももちました。

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