泳げデータの世紀:確かにデータは石油だ。じゃー、石油に代わるものを探そう!
さて、「データの世紀」を軽やかに生きる、「泳げデータの世紀」であるが、今回からは7部に渡る連載に並走をする形で、考えてみたい。今回は、『【第1部】始まった攻防』について、考えてみたい。データは「新たな資源」になった。そして、国家を巻き込んだ情報資源をめぐる攻防に入ったことがわかりやすく書かれている。
この記事を読まれた読者の中には、日本の遅れや、諸外国の企業の取り組みが進んでいることに、敗北感を感じている人も多いかもしれません。しかし、データが取れていることと、必要なデータが取れていることには大きな違いがあることを、私たちは認識しないといけないでしょう。
Webのアクセス分析って、Webサーバーの稼働分析でしたよね。
データの世紀は、インターネットの進化とともにあったと言っても過言ではありません。Webというメディアは、世界で初めて、一人一人の読者が、どのページを見たかわかるメディアです。テレビも、視聴率がありますが、サンプル調査です。雑誌や新聞は、発行部数がわかりますが、詳細なデータは取れません。
ところで、このWebのアクセス・データですが、もともとマーケティングのために取得されていたデータ方といえば、違います。書記は、Webサーバーがきちんと動いているかを確認するためのものでした。今でも、Googleなどで、「Webサーバーアクセスログ分析
」という言葉で、「アクセス分析」と同じような情報に出会えるのは、このためです。Webサーバーが、きちんと動いているか。アクセスが多くなっていて、サーバーが辛くなっていないかを確認するために、Webサーバーのログを確認していたのです。
とあるとき、このサーバーのログを分析すると、どのページをどのコンピューターがアクセスしたかもわかるとなり、マーケティングで広く活用されるようになったのです。
本当は、データの世紀で必要なデータを考えることが、「上手に泳ぐ」こと
世の中には、このようなことがとても多いのです。たまたま、データが取れていたので、分析したら面白いことが分かったという事例です。結果、たくさんデータを取ると、面白いことになるのではと、なっている気がします。それが、近年のGAFAによるデータ収集に対する懸念にもなっていると思います。
これから、一つの企業や国家で、さまざまなデータを集めるのは無理です。むしろ、本当に取りたいデータが何かを考え、取れていないデータをどのようにしたら取れるのかを考えることが重要ではないでしょうか。やみくもにデータを集めるのではなく、必要なデータを収集することが、データの世紀の「泳法」の一つではないでしょうか。