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「何かをアウトプットしないと生きている実感がわかない人種」のカルマ
少し前の話ですが、大学生の頃の日記を読み返していたところ、「自分は何かアウトプットをしていないと生きている気がしない」と書いていたのを発掘し、
それをTwitterでつぶやいてみたところ、意外と反響が大きかったので驚いてました(やはり同類がたくさんいるんだなと……)
「何かアウトプットをしていないと、生きている気がしない人種」というのは確実におり、そういう人はそれが自分の業やカルマであると自覚し、逆らわずにアウトプットを続けたほうが不幸にならない、ととみに感じております😇
— 市原えつこ/EtsukoIchihara (@etsuko_ichihara) July 13, 2019
表現は排泄だが、排泄しないとあかんものがきっと多いのだと思う
うまく言えないのですが、おそらく「感情の澱」のようなものの量が多くて、普通に生きているだけだと苦しくなる、こういった人種はさまざまな場所で発見できます。一見大企業で働いてエリートコースに乗っていたり、あと子育てで忙しい方の中にも結構いるのではと……
世間的に言えば結構幸せであっても、何かしらの表現活動やアウトプットをしていないと空虚な気持ちになったり鬱々としてしまうという……(noteで記事を書いている方にもこういう方は多いのではと想像しています)
それは「なにかアウトプットをして生きていけ」というカルマのようなものであり、細く長くでも続けていかないと最終的に自分を苦しめる業であると感じます。
あらゆる表現は排泄=クソである、だから必死にクソを磨き上げていく
ただ、本質的に表現は感情の排泄=つまりクソです。💩
私も今でこそアーティストとして作品をいろんな場所で展示させていただけているのですが、最初の頃のアウトプットは生粋のクソもクソ、みっともなくてお蔵入りして燃やさないと死後に安心して成仏できない類のものだったと記憶しております。
よほどの天才じゃない限りは誰もがそうだと思いますが、誰でもこの「スゲェみっともない」「表現がただのクソでしかない」フェーズはある。
あと、そもそも表現やアウトプットをすることは本質的に自分を晒すみっともないことなので、それまでスマートに生きてた人ほどこの恥ずかしさに抵抗があるのではと思います(だって脱糞だし)。
そこで脱落してしまい、本来自分が表現できるはずだったものが生まれるのを見送ってしまう人がいるのはもったいないなと思うので、個人的にぜひみっともなくても続けてほしいなと感じます。
最初はアウトプット=排泄物がただのクソでしかなくて絶望するのですが、クソも生み出し続けるとだんだんマシなクソ、割と見れるクソ、称賛されるクソへと進化していくので、やはり「アウトプットのカルマ」を持つ人はコツコツ愚直に排泄を続けるしかない。
同類の皆様におかれましては、はりきっていいクソを生み出していきましょう。私も今後の人生多くのクソを生産し、芳醇な臭いを世界中に撒き散らして生きたいと思います。新作のクソも何卒よろしくお願いいたします💩
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