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イタリアの議会選結果に過剰に反応しないわけーー全体状況を落ち着いてみるためのヒント。

時は進み、それに従い、人々の考え方や心も変化していきます。この移り変わりは、欧州の政治をみていても思います。この日曜日、イタリアの議会選の結果、右派政権が成立する見込みになりました。

上記の記事には、かなりおどろおどろしい表現が続いています。社会を、世界をさらに分断する大きな火種になると警告を発しています。

ぼくが時の移ろいを感じるのは、右派への重心移動そのものではなく、ぼく自身、「残念な結果だが、この変化が分からないでもない」とわりと自然に思ったことです。この国の選挙権のないぼくがこのように言うのは気が引けるのですが、外国人ながらにそう思いました。

FDI党首のメローニは反移民政策を唱えており、移民であるぼくからすると居心地の良い話ではありません。例えば、両親が移民の子どもはイタリア生まれであっても、イタリア国籍がとりにくくなる。実際、イタリアの国籍を既にもっている息子が「間に合って良かった」と胸をなでおろすとしても、心がざわつくのは避けられません。

それでも、前述したように、この事態を大げさに捉え過ぎないようにしています。確かに財政については大きな懸念があるでしょう。

が、今回の結果がダイレクトに民主主義の弱体化と権威主義的な社会への道筋と考えている人はイタリアの中でも多数ではないと思います(友人の弁護士によれば、この2年半、多くの裁判が中断されていた為、政府は新しい法や改正に時間をとる余裕がなく、多分、2年はそれらの処理に没頭するはず ーーその間にメローニは退陣するだろうとか、そういう声も聞こえてくるわけです)。

外からみた方が客観的に変化の兆しをみてとれることがありますが、政治動向への見方は内側からの目がより有効かなと思います。

なぜ、そう考えるに至ったのか?その理由をかいつまんで書いてみます。

EUと距離が離れるのか?

メローニはEUと意見を異にすることが多くなり、距離ができるとの危惧があります。さて、それをどう解釈するか?です。例をあげましょう。

最近でいえば、東側で生じている紛争から逃れる難民がEUに入ってきています。もちろん、というほどに、アフリカからは地中海を不安定なボートでイタリアに渡ってくる人が沢山います。9月25日に総選挙が行われると決まった翌日と翌々日、7月23日と24日、「同国南部ランペドゥーサ島にある移民受け入れ施設には、2000人余りが殺到した」とThe Economist は書いています

難民流入でEUが危機的な状況に陥ったのは以下にみるように2015-16年でした。その後、若干、落ち着いてきました。

EUROSTATによる非EU国からの亡命数の推移

ヨーロッパ、殊に西ヨーロッパはかつて植民地支配への贖罪もあり、アフリカや中近東からの難民を人道的に受け入れる声が強くあります。数年前の危機時、東ヨーロッパが「自分たちには関係ないこと」として、EUの難民の各国配分に反対したのも、この文脈のなかにあります。

だからこそ、今年2月末以降の、更なる東の紛争地からの難民に対しては積極的に受け入れをしました。当時、ポーランドとハンガリーは、EUと法の支配をめぐって対立していたにも関わらず、です。EUの資金を受けるには、「権力の乱用を法で縛る法の支配や、自由や民主主義、人権の尊重などEUの基本的価値」などを守ることが必須なのに、それを二か国は順守していないとするEUの判断を欧州司法裁判所は支持していました

そして、ポーランドの積極的な難民受け入れをEUは歓迎します。即ち、EUの判断はかなり環境と交渉事によって左右されるだろうと想像できます。なにもブリュッセルのことを黙って従うわけでもないし、つまりはどちからといえばヨーロッパの北側に位置する国の意見だけに振り回されないという姿勢が加盟国のどこにでもあります。

意見を異にすることは距離として離れることを意味しない、というわけです。

多様化を否定するのか?

それでは移民の流入を制限することが多様化を阻害するのか?との問いはどうでしょうか。現在、多様化という場合、人種やジェンダー、あるいはLGBTと称され少数派カテゴリーに寛容であるかが代表例として取り上げられます。

人種については、移民の受け入れとの絡みが大きいわけですが、既に「多文化主義は成立できるのか?」と各国で議論が噴出しています。基本方針として多文化主義をとるが、実際、「イスラム教会の尖塔の新設を受け入れるのか?」をテーマにした(EUではない)スイスの国民投票ではNOとの結果が2009年にでています。スウェーデンの南部の街でも若いムスリムがキリスト教白人の数と逆転する可能性が出始めたとき、「こんなはずではなかった」との声が出始めます。

多文化主義はあくまでも現代の社会風景で主流だった人たちが数のうえで優勢のまま、多文化を受け入れるというのが本音だったことになります。「我々のローカルアイデンティティは維持させて欲しい」との願いがあるわけです。

ただ、その地域にいた一番古い人種あるいは民族にそのローカル文化の優先権があるとすれば、いったい、何百年、何千年遡るべきなのか?との話になります。

「こういった議論に結論を出すに、我々は十分な時間を与えられてきているのか?」との自問がヨーロッパ人の間にはあります。異なった文化の人たちに寛容になる。これはいい。しかし、寛容とは自分たちが劣勢になってもか? 社会的公正は当然目指すべきだが、それは無限に可能なのか?との局面に立たされています。

このような場面を、ぼくもヨーロッパでの長い生活で何度も見てきました。社会の物理的・非物理的な枠組みの変更を何度もあまりに性急に迫られ、「これはさすがにいつも迅速に対応するのは実際に不可能だろう」と思うのでした。殊に多くのことは「意識の問題である」とされればされるほど、人は悲鳴をあげます

したがって多様化を否定するわけではなくても、多様に至るプロセスへの吟味は必要だとぼくも考えるようになったのです。

いろいろとひやひやすることはあるだろうが・・・

もっと語るべきアイテムは色々ありますが、全体として過剰反応をやめようとぼくが思う理由を少々書きました。

だが、「これからひやひやすることが増えるわけではない」と言いたいわけでもないです。逆に、そのような危険性が高いため、振り回されない姿勢をとっていかないといけないだろうと思っています。より落ち着いて全体を見渡すためのいくつかの柱があるとよいのでしょう。その柱のひとつの例として、前述の項目があるのです。

イタリアは多額のEU復興基金を得ている。自国優先に走りすぎれば自身の首を絞めかねない。その点をはっきりと認識すべきだ。

そして、上記の「自国優先に走り過ぎれば自身の首を絞めかねない」と注意を発する社説を読んだとき、「このところ延々と鎖国を続けてきた日本の新聞が言うの???」程度には肩の力を抜くことです 笑。もちろん、日経新聞が、政府に向かって早く無意味な鎖国をやめるべきだと何度も主張していたのは存じ上げておりますが・・・。

写真©Ken Anzai


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