泳げデータの世紀:「個人情報について、過去から学べるのでは」
この「データの世紀」の連載では、個人情報、プライバシーについて多く触れています。そして、この記事にあるように、個人の行動などから、人の価値を算出する試みも行われるようになってきました。
個人情報の扱いについて考える
まず、少し個人情報について、長期視点で振り返ってみましょう。私の得意領域のマーケティングで考えてみると、わかりやすいでしょう。江戸時代や、明治時代の商売は、お店の方と、お客様は名前で呼び合う間柄でした。そして、商売の勘定帳簿には、「誰が」「何を」「いくらで」買ったかが書かれていることが多かったようです。つまり、昔にも、ID-POSと同じ仕組みが、紙の帳簿の形で存在していました。そして、ある時にはお金が足りずに、買ったお店に「貸し」を作ることもあり、それも帳簿に書かれていました。つまり、この時代はお客様が中心の帳簿になっていました。
時代は、少し進み戦後、特に昭和40年代まで行きましょう。私が生まれた頃です。この頃、日本ではスーパーマーケットが増え始めました。スーパーマーケットとは、大規模なお店で、お店の従業員も多く、仕事も分業制になっていることから、とても効率的に運営され、結果安価にモノを販売するのが得意な流通です。その代わり、江戸時代のような、店員とお客さが名前を呼び合う関係ではなくなりました。たまたま、レジに知り合いの方が入っていれば、名前で呼ぶことはありますが、これはお店の中で作られた関係ではなく、近所の方が働いていたので、名前を知っているという関係です。そして、スーパーの方も、誰が何を買ったという帳簿は作ることなく、どの商品が良く売れているのかとデータの集め方に、変わりました。良く売れている商品を他のお店より早く知り、その商品を大量に売ることがこの時代の競争だったからです。つまり、この時代は、商品中心の帳簿でした。
大量生産、大量消費の時代に、このスーパーマーケット方式の販売・流通はうまく行っていました。しかし、デジタルの時代になり、個人の価値観に多様性が芽生えた今、ヒット商品が生まれにくくなり、この大量生産した商品を、安価に大量に仕入れて、大量販売するモデルに「ほころび」が出始めたのでしょう。なんと、スーパーマーケットのような流通が、商品別帳簿に加えて、個人別購入帳簿を付けたいと思い始めたのです。これが、ポイントプラグラムや、ID-POSの登場だったのです。
つまり、「江戸時代の(個人別)帳簿」+「昭和時代の(商品別)帳簿」という帳簿になっただけで、実はあまり新しいことを、令和の今も行ってないのです。
確かに、個人情報の扱われ方は需要
さて、別に新しいことを行っていなのに、問題が起きるのは、私たちに江戸時代の経験がないからです。個人別帳簿を使って、そのデータを他社に販売して良いのでしょうか。個人別帳簿を集計して、就職希望者の内定辞退率という目的外の利用をして良いでしょうか。
江戸時代の、お店とお客様は、顔と顔が見えて、居住地とお店も近い、小さなコミュニティであるがゆえに、信頼関係がとても重要だったのでしょう。おそらく、江戸時代にはこの信頼関係を損なうようなデータの利用は少なかったのではないでしょうか。
今は、まだデータを取得する人と、データを提供する人の関係は、江戸時代のお店とお客様の関係ほど、濃密ではありません。極端に言えば、見知らぬ人が見知らぬ人のデータを集計しているのです。このような理由もあり、個人情報を提供した人と契約を交わしていない、信頼関係を破壊するような、目的外利用が起きているのかもしれません。
もちろん、個人上の利用に関しては、社会全体での問題であり、ルールや法律の整備も十四にはなります。しかし、江戸時代には、プライバシーという言葉がなくても、個人情報がある程度適切に取り扱えていたという事実もあるのです。
歴史を振り返ることも、一つの泳ぎ方かも
今回、このようなことを整理したのは、個人情報の議論をするときに、個人情報のあるべき利用方法の議論することが多いと思います。しかし、あるべきという「将来」の話には、知らないことも含まれており、議論が難しくなる傾向にあります。
そこで、ひとつの提案は、私たちの先人たちの個人情報の扱い方について、振り返るのも一つの泳ぎ方かもしれません。
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