家族は前向きに崩壊している。
若者を研究することで、未来の潮流を掴む。
僕が所属する若者研究部では「若者から未来をデザインする」と掲げ、定期的に学生たちと未来予測のワークショップを開催している。
学生たちから提出される「次に来る○○の形」という1枚レポート(通称:ツギクル)を起点にディスカッションを行い、最終的に「次に来る○○の形は××だ」と一言で表現するワークショップだ。
今日は「次に来る家族の形」についての話。
■家族の拡張が止まらない
まず、学生たちから提出されたツギクルから印象的だったものを3つほどご紹介しよう。
最初は「うちの家族はまるで企業のようなやりとりをしています」と言うこちら。
家族はコミュニティーの1つにすぎない、という言葉が特に印象的だ。
次は「友達のような家族」が当たり前になった今、次に来るのは「恋人のような家族」だとするこちらの見解。
実際に1万件近くの投稿があるハッシュタグ「#パパとデート」という現象から生まれた未来予測。家族が友達から恋人に発展するという流れは刺激的だが理にかなっている気もする。
最後にご紹介するのはこちら。
家族が友達のようになる一方で、友達も家族のようになっている。家族の境界線はもはや曖昧だ、とするこの見立ては家族の定義を見直すきっかけとなった。
これらを元に学生たちが「次に来る家族の形」を一言で表現した際の写真がこれだ。
・苗字が消滅する
・結婚は別居がデフォルトになる
・血縁以外が家族になる
など、どれもこれまでの家族像を撃ち壊すキーワードが揃った。
これまでの家族は崩壊を迎える。
ではこれからの家族について考えてみよう。
■家族はイメージ、血縁はファクト
○○も家族、△△も家族、という今の流れは血縁家族をベースとした拡張だ。一方、先ほどの「企業家族」のように血縁=家族とはならないのでは?という視点もある。
現在の家族像の拡張を構造にすると↑のようになる。
しかしこの構造図、「血縁である」というファクト(事実)と「家族である」というイメージを混同してしまっている。
では、今改めて家族を1つの基準で再定義する場合、何をベースにすればいいか?キーワードは先ほどの図にもある「縁」だろう。
■関係性をファクトベースで再編する
実は今の価値観では家族だけでなく「友達」や「恋人」もファクトとイメージが混同されている。これらの関係性も含めて「縁」というファクトベースで再編してみよう。
「縁」とはつながり。英語にするとlinked by ○○とでも表現するだろうか。つまり、何でつながっている相手かを関係性のベースとする。
例えば「友達」と一括りにするのではなく、地元の友達は「地縁」、学校の友達は「学縁」、会社で仲のいい同僚は「社縁」と表現してみる。
もちろん縁は重なるもので「地元も学校も同じ友達」は「地縁も学縁もある相手」となる。
こう捉えると食でつながる相手は「食縁」だし、趣味でつながる相手は「趣味縁」という新たな表現も生まれる。
恋人関係もまた肉体関係がある場合は「性縁」だし、趣味も同じで肉体関係もある恋人は「趣味縁も性縁もある相手」となる。
では、これらをベースにして改めて家族の定義に戻ってみよう。
■家族とはファクトの積み重ね
冒頭にある血縁もあり趣味も合う「友達家族」こそが新時代の家族で、血縁はあってもビジネスライクな家族は家族ではない、とすると新たな家族の指標とは「ファクトの重なり」という仮説が生まれる。
家族をイメージ先行ではなくファクト先行で捉え、その重なりの濃さが「家族度」の基準となる。
構造にするとこんなイメージだ。
■家族の崩壊で救われる人がいる
この仮説について「家族かどうかが事実ベースで決まるなんて悲しい」と感じる人もいるかもしれない。
ただ僕はこれをポジティブな変化と捉えている。
それはこれまで人と人の関係性がイメージ先行で捉えられていたことによって、多くの苦しみが生まれて来たという背景があるからだ。
「(事実が伴っていなくても)家族だから○○しなきゃいけない」というイメージに縛られて苦しんで来た人もいるだろう。
逆に「血縁や配偶者がいない=家族がいない」という苦しみもあっただろう。
それが今、つながりが濃い相手がいればそれは家族だし、その繋がりは血縁じゃなくても構わない、というファクトベースに移行することで家族の選択肢は広がっていくはずだ。
もちろん「血縁=何があっても家族」というセーフティーネットが失われる側面もあるが、自分でコントロールできないイメージに縛られるより、自分でコントロールできるファクトに縛られた方が、正しい努力と希望が生まれると信じたい。
僕自身が関係性の名前に縛られないリレーションシップアナーキーを推奨したり、ポリアモリーを実践している理由もここにある。
「昔は血縁のことを家族って呼んでいたんだね」
そんな会話が聞こえて来る未来は、もうそこまで来ている。