鎌倉時代のお坊さんは、今でいうインフルエンサーだ
辛辣な言葉だが、現代の仏教は「葬式仏教」に陥ってる。要するに、葬式の時くらいしか依頼しないという意味だ。そもそも自分の家が何宗の仏教なのか、はたまた仏教ですらないのか、もわからない人も多いと思う。
さて、そんな仏教離れの現状に危機感を抱くお坊さんたちがいろいろと工夫をしているという記事がこちらです。
そもそも、仏教が栄えたのは国策として檀家制度であったことは事実。
檀家制度(寺請制度)は、江戸時代にキリスト教を禁止したことと抱き合わせで始まったものです。「踏み絵」とか教科書で習った人もいると思うが、単に「キリスト教やめます」だけではなく、庶民全員が強制的に地域の寺に組み込まれた。
しかし、これは、結果的に戸籍代替えとしての行政システムとして機能した。だから江戸時代の人口動態は史料が豊富で、出生率や有配偶率がわかるのです。多分、こうした戸籍システムを17世紀のこの時代に完備していたのは日本だけだったのではないかと思う。
とはいえ、これは土地からの年貢とは別の意味の納税システムでもありました。いわゆるお布施的なもので、やれ寺院を修理するとかなんだのと理由をつけては、坊さんは檀家の庶民たちから銭を収集した(事実上、まきあげた)。
しかも、そうした行為は江戸幕府のお墨付きだから、寺の坊主が慢心して腐敗する。いつの時代も、既得権益を手にした人間はそれに胡坐をかいて堕落するものです。
明治時代になった時、これも教科書で習ったかもしれないが「廃仏毀釈」が起きた。廃仏毀釈とは、明治政府の出した神仏分離令や大教宣布をきっかけにして起きた、、仏像、経巻、仏具、寺院を破壊する暴動である。大教宣布自体が仏教排斥を意図したものではなかったが、江戸時代の「積年の恨み晴らさでおくべきか」と、神官や庶民が暴徒化したのは、そういった仏教や坊主の腐敗への鉄槌である。薩摩藩に至っては、藩の全ての寺院がすべて破壊され、すべての坊主が還俗させられたというからすさまじい。
日本人は、歴史的に庶民は暴動を起こさない。島原の乱以降幕末まで、百姓一揆は1430件あったが、そのうち武器を携行したいわゆる暴力的一揆はたったの15件の1%しかない。
この話は以前こちらの記事で詳しく書きました。
そんな大人しい日本人を暴徒化させたのだから、それまでの坊さんがいかにあくどい、がめついことをして、ふんぞり返っていたかがうかがい知れる。
しかし、ダメだったのは、既得権益に保護された江戸時代の坊さんであって、それ以前の坊さんは歴史に残る素晴らしい人が多いのはご存知の通り。特に、鎌倉時代は、法然、親鸞、日蓮、一遍、栄西、道元と名だたる坊さんが出てきました。逆に言えば、江戸時代に歴史に名を遺した坊さんなんて一人もいないのはそういうこと。天海と金地院崇伝は江戸時代の名僧というより、戦国時代ですからね。
元来、坊さんとは、今でいうインフルエンサーである。各地で説法をして信者を増やし、勢力を拡大する様は、ツイッターやインスタで活躍してフォロワーを増やして影響力を発揮しているのと同じだ。一遍上人の踊念仏などは、今で言えば、TikTokの活用みたいなものでしょう。
冒頭の日経の記事にある通り、いろいろ工夫して、SNS坊さんやテクノ法要などのコンテンツ力によって布教し、信者を獲得するという行動は、坊さんの原型ともいえる。いわば、本来の姿に戻ったのだ。
国家権力の庇護の下、何も行動しなくてもチャリンチャリン儲かる仕組みは、一見夢の人生のようだが、そうした「ぬるま湯」の環境は人間を堕落させてしまうものです。
恵まれない環境、不自由な環境は、何かを生み出す原動力にもなる。100年後、名僧といわれる人物が今生まれようとしているのかもしれません。