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「非正規」は正しいアジェンダか?

今回もCOMEMOのお題「非正規の力をどう生かす」に乗っかって、色々考えてみたいと思います。

「非正規の力をどう生かす」というお題設定から感じ取れることは、この背景に「業務は原則的に正規=正社員で回すもの」という含意・前提が何とは無しにあるのではないか、ということです。

ところで、この前提は合理的でしょうか?

正規であろうと非正規であろうと、雇用の最小単位は人です。人x期間という理屈で戦力をカウントしていく訳ですね。

もし「スキルのサブスク」というサービスが登場したとしましょう。つまり職務記述書に書いてあるような項目=スキルを、誰が担当するかは分からない形で好きな時間だけ購入できるようになる、ということです。同じスキルでもより高いレベルで購入する場合は、時間単価が高くなったりするのでしょう。

*これは単なる思考実験なので、法的なクリアランスなどは横に置いておいてください。

あなたが経営者なら、そのサービスを利用しますか?

私ならします。しかも、かなりすると思います。

自分が必要としているスキルが、どの程度なのか、色々なレベルを何度か試すことにより的確に分かりますので、不必要に高いスキルを取り揃えて費用が高止まりしたり、低い方を取り揃えて仕事の効率を落としたりしなくてすみます。

調達するのはスキルなので、このご時世必ずしも人間がタスクを担当するとは限りませんが、そうは言ってもまだかなり多くの業務が人間により行われるだろうと思われます。そうするとこのように頻繁な「スキル」の交換は、経験によるラーニングカーブをみすみす見逃す様にも思われます。

しかし、交換はテストと位置づけ、その後にタスク完了するまで担当を固定できたらこの問題は解決します。

では、さらに思考実験を押し進め、経営者であるあなた以外、あるいは役員以外全員を、この「スキルのサブスク」で調達する、というのはどうでしょうか?

私はこれには少し抵抗があります。何故か。

まず、組織の中で必要な事柄を、タスクという形で書き出す自信がないからです。どんなに網羅的に、漏れなくダブりなく記したつもりでも、必ずタスクとタスクの合間にある小さな仕事を見逃したり、今は顕在化していないものの近い将来に発生するタスクを予測できなかったり、その新しいタスクとの相互作用で現在のタスクに及ぼされる将来的な変化が見抜けなかったりするからです。

これが社員、つまり会社と個人という関係であれば、そこは阿吽の呼吸で吸収していく、というやり方で働き方が有機的に変わっていくことが期待できそうですが、タスクに対応したスキルの調達、という形だとちょっと難しそうな予感がします。

また、会社には固有の、多くの場合には明文化されていない仕事の進め方や慣習、空気などのようなものがあり、これは「社風」や「カルチャー」「会社の個性」として連綿と受け継がれていきます。

その多くは、コミュニケーションや行動のスタイル、結合のゆるさ・固さ、スピード感、上意下達かボトムアップか、などの形で表出し、企業がひとつの有機体として仕事を進めていく、その進め方に大きな影響を及ぼします。

上で「明文化されていない」と書きましたが、多くの企業ではこれを「クレド」「社員の信条」といった形で言語化しようと努力し、また言語化したコンテンツと社員の行動を一致させるよう研修などのプログラムを導入し、その伝承を確かなものにしようとしています。

しかしカルチャーや社風は人が織りなすものであり、組織の構造や構成要素、社会環境などとも相互作用し、ダイナミックにつながっていくものなので、完全に明文化することは極めて難しく、暗黙知的な伝承に頼らざるを得ないところも大きいと思います。

こうしてみると「スキルのサブスク」という考え方と「社風・カルチャーの伝承」は、相性が悪そうに感じます。なぜならば社風・カルチャーを吸収し、その一部となったり伝承したりしていくには、ある程度組織になじむための時間や、組織へのコミットや、(タスクー個人ではなく)会社ー個人という紐付けが必要だからです。

ところで、社風・カルチャーといったことは、必要なことなのでしょうか?

企業にはある種の連続性や一貫性があります。だからこそ投資家は、会社の内在論理を理解し、行動を予測し、投資先を選定できますし、学生は志望する仕事を探すことができます。この連続性や一貫性のうち、相当程度に大きな部分は上記の社風やカルチャーから産まれてくるのだと思います。

広報やマーケティングコミュニケーションもこれらに大きな方向づけをされます。ので社風・カルチャーは企業のイメージのうちの大きな部分を占めるとも言えるわけです。

こうして見ると、自分が経営する組織を、投資を募った形でスケール大きく運営したい、あるいは社会の公器として広く認知されたい、というような場合、つまりある程度以上の規模がある企業の場合は、社風・カルチャーを意図的に育んでいくことは合理性があるように思われます。

長くなりましたが、ここでまとめたいと思います。

上記で持ち出した「スキルのサブスク」は正規社員の反対側にある形の雇用として例示したもので、「非正規」的な考え方をエクストリームに拡張したものです。

そして、組織の中で営まれる業務のうち、大半のこと、つまりタスクとして定義できるようなことは、どんどんこれを活用するのが合理的であるように思われます。

正規社員でなければならないことは限定的です。上の考察から演繹されたのは、見落としや時系列の間で発生する論理の隙間を埋めていくこと、そして大規模な組織や社会の公器たることを所望する場合に、カルチャー・社風を伝承すること。

ただし、限定的であるといいつつ、この伝承は集団の中の規範のような形で起きていくので簡単ではありません。不用意にこの伝承外にいる人(スキルとして雇われた人)を増やしてしまうと、彼ら・彼女らとの相互作用で、社風や文化が望まない方向に変わってしまう恐れがあります。

こうしてみると、今回のお題「非正規をどう生かす」の背後にある前提「仕事は正規で回すもの」に合理性はあまりなさそうです。

組織のアジェンダとしては「正規に何をさせるのか」という見方をした方が、適切なのかもしれません。



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