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雑誌は単なる「紙メディア」ではなく、文化の島宇宙だった

雑誌というメディアが、終焉を迎えようとしています。

雑誌のピークは1997年で、1兆5644億円の売上がありました。これが2020年には、5576億円(紙媒体のみの数字)。3分の1に減ってしまっているのです。都心の電車に乗ってももはや雑誌を読んでいる人を見かけるのは稀で、「それでもまだ3分の1も残っているのか!」と逆に驚いてしまいます。

コンビニニはまだ雑誌の棚が残ってますが、どのチェーンでもかなり縮小され、かつては店舗入り口にデンと構えていたのが、端の方に小さな場所をようやく確保するだけになってしまっています。置かれている雑誌も、付録付きのものが中心。

これは雑誌の付録の近代史という興味深い視点の記事ですが、最近の付録はもはや「付録」ではない。雑誌の「従」ではなく「主」になってしまっています。もともとは「主」だった紙の雑誌もずいぶんと薄っぺらくなってしまったものが多く、「付録の付録」という感があります。もはや「雑誌」というメディアの形態をのこす必要さえなくなりつつあるのではないでしょうか。

そもそも「メディア」とはなにか

そもそもメディアとは何なのか、という定義の問題も浮上してきているように感じます。メディアという英語はもともと情報をつたえるのに使われる装置やしくみのことを指しており、だから新聞やテレビやネットがメディアであるのと同じように、スマホに挿すSDカードもメディアなのです。

「雑誌はメディアである」というのは自明のことなのですが、しかしメディアを「情報を伝えるしくみ」とだけ定義してしまうと、雑誌が持っていた大きな価値を見失ってしまうとわたしは思います。雑誌は単なる「情報を伝える」ものではなく、それ以上に特定ジャンルの文化の受け皿としても機能していたからです。

1970年代に田舎の高校生が憧れたもの

個人ごとですが、1970年代終わりに高校生だったわたしは、マガジンハウスから当時創刊されたばかりだった雑誌「POPEYE(ポパイ)」を毎月むさぼるように読んでいました。当時わたしが住んでいたのは愛知県の片田舎で、周囲はツタの繁る山野とそこに切りひらかれたばかりの赤土の住宅街が広がっているような土地でした。文化的な情報は少なく、とはいえ多感な思春期にはマス向けのテレビは面白くなく、深夜のラジオぐらいしか楽しめるものはなかったのです。

そういうときに出会った「POPEYE」は、まさに別世界でした。日本の田舎の風景とはまったく異なるアメリカ西海岸のカッコいい文化が雑誌ではこと細かに描写され、小林泰彦さんがイラストで描くヘビーデューティー(今でいうアウトドア)に強烈に惹かれました。まだダウンジャケットなど非常に高価だった時代に、見た目だけダウンジャケットで中身はコットンの綿入れというチープな製品を、POPEYE文化に憧れて買ったりしていたのです。

おそらく当時の日本には、わたしのような高校生がたくさんいたのだと思います。自分の周囲は非文化的な田舎だけど、POPEYEを読んでいるときだけは、西海岸の気分に少しでも浸れる——。チープと言われればチープとしか言いようのないワナビーだったと思いますが、POPEYEという雑誌はアメリカの新しい若者文化を日本に紹介するという受け皿になり、読者たちは単なる情報の受信者だったのと同時に、その文化の島宇宙に「所属する」という感覚を得ることができたのです。

雑誌全盛期の魅力は、人びとを相互につなぐことだった

全盛期の雑誌には、そういう強烈な魅力がありました。同じマガジンハウス(当時は平凡出版)の雑誌「Olive(オリーブ)」もそのひとつ。寂れた地方のヤンキーしかいないような土地に住んでいたとしても、Oliveを読んでいる時だけはカフェオレボウルとボサノバの世界に浸ることができる。そう感じていた少女は1970年代から90年代まで無数にいたのだと思います。

たくさん存在していた趣味の雑誌もそうでしょう。それらの雑誌は趣味の専門的な情報を提供するメディアであったのと同時に、趣味を同じくする人たちを相互につなぎ、そこに文化の島宇宙を形成するという役割を果たしていたのです。

現代のネットメディアはまだ「文化の小宇宙」になれていない

雑誌の終焉とともに、このような文化の島宇宙の役割を果たすしくみもどこかに消えつつあります。インターネットがそれをカバーできれば良いのですが、有料ビジネスモデルの難しさやメディア数の数の多さによる希薄化などがハードルになり、雑誌と同じ役割を果たすまでには至っていません。

東洋経済のこの記事にあるように、雑誌のデジタル化もようやく進んでいます。残念ながら雑誌の終焉のスピードが速すぎて、デジタル化で巻き返すには若干遅すぎた感もしますが……。

しかし、文化の島宇宙を求める人びとの欲求は決してなくならないのではないか。わたしはそうも考えています。雑誌がかりに完全に終わってしまったとしても、新たな形式の「土台」が現れ、そこに新たな文化の島宇宙が形成される日がいつか必ずやってくる。そう信じています。

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