僕は、AIを語ることはできない。 #AIで可能になったこと #COMEMO
僕は、AIを語ることはできない。
使わない日はないし、AI自体は、無いと今の仕事だけでなく、私生活もなくてはならない存在・・・というか、個人で意識していなくても、社会実装されれていることで、無意識のなかで、AIの恩恵に預かっていることが多分にある。(枚挙に暇がない。)
しかし、2022年に在籍していた。機械学習・深層学習(ディープラーニング)の企業のマーケティング職で、働かせていただいた。この時から、僕が、語ることは、[「何を言うか」「誰が言うか」]論的に、より考えさせられることになった。
以降、社外で、AIについて語ることは、ほとんどない。
ML・DL企業に属したことをきっかけにG検定を受験した。
所属していた1年間に、1度だけ受験した。結果「不合格」だった。それ以来、再挑戦はしていない。(このへんが僕の本当にダメなとこである。)
2022年末以降、ChatGPTに代表される生成AIブームにより、非AI界隈の方々が、さわぎはじめた。一気にマーケティング界隈にも流布され、汎化されてった。一方で、一部は「情報商材屋」とも揶揄されたり、大企業のトップクラスでも、一夜漬けなAI知識をひけらかし、社内外のポジション取りを行っていた事例を散見。
そのような、文字通り表面的な論者は、あっというまに淘汰されれるかと思ったが、まだなんとなくまだ生き残っていそうである。
僕は、G検定にすら合格していない自身に引け目を感じていたり(もう1回受けるかなぁ)、現在はAI推進が本業でもなくなってるので、語る機会の打診をいただいても、基本的にはお断りをしている。
とはいえ、個人として、自身の仕事で、AIはもはやなくてはならないアプリケーションになっている。
「AIで可能になったこと」というお題に対してお答えできるのは、そのような等身大の景色から見える景色だけである。
現在の僕はグループ会社含め、現職でいくつかの職務を担当させていただいいるが、1つの職務は、スタートアップ感覚に近いeスポーツチームのマーケティング(B2B/B2C)に関わらさせていただいている。こちらは、まさに「ひとりマーケ」であり、最小限の資源で、最大のパフォーマンスを出さなければならない環境である。当然、これは、どこの会社でも同じでだろうが、リアルに「ひとりマーケ」、かつ、本籍(本業)との兼務、だと、本当にリソース(人手=時間)の有限さを感じざるを得ない。自分が動いた分(動かなかった分)が、そのまま会社の数値に直結していく感覚である。(大企業になれば、「分業」という名で、ひとりに係る責務が分散されていくことで、集団で成し遂げる価値、チームワークにバリューがでてくるが。)
AIで可能になったこと
AIを「copilot」(飛行機の副操縦士)と命名表現しているベンダーがいるが、まさにその感覚である。(あ、僕は、飛行機の操縦士をやったことはないので、映画などの想像の範囲の理解である。)ひとりでは、インプットにもアウトプットにも限界がある中、それを拡張してくれる存在。
この半年、文字通り「伴走者」としてマーケティング実務の助手として、活躍してくれた。そしてこれからもそうしてくれるであろう。
これだけ世の中で、AIAIAIAIと叫ばれても、まだ実務でその便益にたどり着いている方は、実は少ないのであろう。
生成AIに対し、googleで「ググる」的な利用しかできていない層。(残念ながら、JTCでは、多くがそのケースであるようだ。)
ある意味、僕のような「非AI専門家」は、その立場なりに、末端の現場ユーザーサイドの気持ちや立場になり、その等身大のユースケースを日常的に発信することで、その一歩を踏み出すお手伝いができるのかもしれない。
今回のテーマを与えれたことで、ちょっとAIにまつわる話題を振れていこうかな、とも思いはじめた。
ちなみに、いくら便利になったとは、いえ、このCOMEMOようなオピニオンblogで、AIを使ったことは、まだない。「非効率」かとおも思われるが、「言葉とは『何を言うか』ではなく『誰が言うか』に尽きる。その『誰が』に値する生き方をしたい」をまだ信じれているので、デジタルツインの僕ができあがるまでは、まだ僕の言葉で紡いでいきたいと思う。
ちなみにヘッダー画像は GeminiのImagen 3で作りました(笑)。