兵庫県知事選挙の真の敗者は誰か?勝者は誰か?
斎藤元彦前知事の当選確実
知事時代に県の幹部職員からの告発への対応をめぐり、県議会から全会一致で不信任決議案を受け、ことし9月に失職した斎藤元彦前知事が当選した。
個人的には改革派の知事に改革を進めてほしいとは思っていたのものの、兵庫県民ではないので選挙結果については兵庫県民の判断を尊重したい。
県政評価は政策面を重視しての投票判断ということで、文書問題への対応ではなくなっている。(番組インタビューでは「元々の疑惑への報道への疑念もあった」という声もあった。)
過去3年の政策や公約達成の成果と演説を通じて直接確認した人柄を当事者である県民が評価したということだろう。
とはいえ、この選挙結果は、兵庫県民以外の国民にとっても3つの危機と2つの明るい兆しを示している。
3つの危機
危機① オールドメディアへの一般国民の信頼の危機
オールドメディアとネットメディアのあまりの今回の告発、失職、知事選に関する発信情報の量と内容の差でオールドメディアへの一般国民の信頼が失墜するのではないか?
もちろん、選挙中の報道の中立性、公平性、当事者へのプライバシーへの配慮、裏どりの必要などの観点から、特に選挙中の報道にはオールドメディアには制限がかかることは理解できる。
神戸在住や兵庫に出張中の私の友人が、斎藤前知事の街頭演説に数千人の人が集まっているのに、一切テレビで報道されないことに違和感を感じたと言っていた。多くの人は、テレビや新聞の選挙期間中の自主規制を理解していない。
あれほど、全国メディアでバッシングしていたおねだり、パワハラの報道内容は、結局どうだったのか、選挙はどう考えるべきかについて、全国メディアの報道が沈黙を貫いていた。
報道があったのは、各社横並びの市長が22人並んで稲村候補の応援に臨んだ記者会見のみ。
「机を叩いてパワハラ」と百条委員会で責められている斎藤前知事は「知事として資格がない!」と、相生市長が、机を叩いて質問者を指さして威嚇している動画だけがと老害の象徴として「冗談でしょw」とネットで流れることとなった。
私個人的には、X(Twitter)はやらないし、YouTubeもほとんどみない。ニュースは、全国紙と地上波放送のオールドメディアが主体だ。
(何故なら結局、普段は情報収集の時間効率と質がやはり良いから)
但し、有事で報道が十分になされない時には、Xを検索し、そこからの動画を視聴する。例えばウクライナ侵攻やガザ侵攻の最初などの有事だ。
オールドメディアに不信感とまで言わないが、一般市民よりも取材対象の政治家や記者クラブの発表に接している時間が長いためか、時に奇妙なくらい横並びの記者会見の報道となる傾向があるように感じる。オールドメディアは一度報道した内容の訂正報道を極端に嫌う為か、時に沈黙する。
そういう時、人々は誹謗中傷やデマが混じっているとわかっていてもSNSを検索し、バイアスを排して発信者の属性や文言から真実相当性の高い情報を自分なりに選び判断する。
これが、情報化社会の今の一般的な市民ではないだろうか。
ミヤネ屋のインタビューでは、20代の若者から80代の老婦人まで、真相がわからないのでネットで調べて、様々な情報から、政策面を評価したり、文書問題も「嵌められた様だ、と自分なりに判断した」と言っていた。
オールドメディアは、これらの一般市民のリテラシーをどう評価するのか、誹謗中傷に踊らされ、自分たちオールドメディアの報道だけを見ていれば良いのものを、玉石混淆のSNSを見てしまう愚かな有権者とみるのだろうか。
(ちなみにアメリカではキーネットワークの報道は完全に思想で分断しており中立的な信頼を完全に失っている。私は、まだ日本のメディアに期待している)
確かに立花孝志氏の選挙制度の隙を突いた演説やYouTubeも、慎重に聞くと、プライバシーの配慮なく個人名を挙げたり、論点を単純化したり、陰謀論的に説明したり、情報を恣意的に選び断定的に結論を誘導していたり、特定の対象に対して悪意のある写真を使用したりしている。(これはオールドメディアも多かれ少なかれ行っていることだが)
もちろん、それらの誹謗中傷に近い情報を鵜呑みにし、それを拡散してしまう利用者もいるだろう。
しかし今やSNSが社会に普及して相当な時間が経ち、オールドメディアや政治家が、上から目線で思うほど国民市民は馬鹿ではないし、ネットリテラシーも一定ついている。市民同士で情報の真実相当性について、それぞれが意見交換もする。
ネットメディアはこういう話題性があり、陰謀論の文脈に乗りやすいネットニュースやYou Tube配信はPV稼ぎからプロパガンダまで、さまざまな思惑で情報発信されることも事実だ。特に、オールドメディアが沈黙したり、歯切れが悪い時は、思惑のある勢力には良い機会だ。今回も、統一教会との関係が噂される世界日報なども選挙戦について報道していた。
だがネットメディアにおいても、長期間に渡って配信し登録者数も多い中田敦彦チャンネルなどは慎重に投票の判断材料としての事実紹介に留める内容の信頼性の高い配信をしていた。ReHacQでは全主要候補者を呼んでの討論番組を企画し、各候補に県民が聞きたい争点のところを質問していた。選挙期間中、オールドメディアによるこの様な候補者による討論番組はなかったと思う。
また、SNSには純粋な市民の候補者や選挙に対する思いの情報発信もある、玉石混淆ではあるがSNSだから不確かで誹謗中傷の内容ばかりとするのはオールドメディアの競合の新しいメディアに対する職業的偏見と嫌悪感でしかない。
当選直後のMBSのネットニュースの選挙放送ではスタジオの雰囲気がお通夜の様だった。(コンテクストは違うがトランプ当選直後のCNNのようだった。)オールドメディアが選挙の中立性、平等性の観点から報道を自粛している間に、他候補の誹謗中傷に乗り、立花孝志などの「いかがわしい」SNS情報に助けられて当選したのではないかというトーンでの質問をMBSは続けていた。
斎藤知事は、それに対し「今回はいろんな情報がいろんな側面から配信され報道される、それはSNSもテレビも同じ。色んな情報を県民の皆様が自分で考えて判断されたと思う」と自身に対する様々な憶測情報(特におそらく百条委員会のアンケート内容等)を裏どりもしないで、一方的に過去に報道したことは個人に対する誹謗中傷ではなかったのか、とのニュアンスを含めてやんわりと反論していた。
MBSは引き続きメディアとして斎藤県政のファクトチェックしていくと異様な執念に満ちた謎のコメントをしていたが、斎藤知事の誠実な人柄や改革の政策を兵庫県民が評価して当選した、とはどうしても思いたくなかった様だ。
単なる選挙報道を超えたメディアの自己存在に関わる嫌悪感を露骨に発していたのが印象的だった。
放送画面の右隣に準備されたコメント欄が、MBS解説者の質問を「オールドメディアの偏向報道だ」とするネット民のコメントで溢れていたのがオールドメディアとネットメディア視聴者との分断と鋭い対立を象徴していた。
情報Live! ミヤネ屋は、都知事選候補の安野貴博氏や元明石市長の泉房穂氏をコメンテーターとしていたがこちらは、安野氏がネットメディアのこれからを客観的に予測し、宮根氏も泉氏も、今回はオールドメディアの敗北と認め、選挙期間中の報道のあり方を変えていく必要があるとコメントし、話題を読んでいる。(終始、宮根氏の表情は険しく暗かった)
これは先の都知事選で石丸候補が大躍進した後にも、オールドメディアから聞かれた言説だ。
テレビ報道は今回の選挙結果を、テレビはSNSの怖さとばかりいうが、今回の文書問題では斎藤前知事も多くの兵庫県民もテレビ報道の怖さを感じたと思う。
今回の選挙結果は、完全に世代別で分かれた。18-30代の7割近くが斎藤前知事に投票し、60代以上では稲村候補がやや上回っている。
これは、スマホとテレビの世代別の視聴時間と完全に符号する。
https://www.moba-ken.jp/project/lifestyle/20220530.html
オールドメディアは、今のままだと、今の50代以上がいなくなる今後40年間で今のままだと緩やかに消滅していくことになる。
市民感覚とオールドメディアの報道にギャップがある経験が続くとアメリカの様に、市民がメディア報道そのものを信じなくなる。
プロフェッショナルなオールドメディアが信頼されないと、それこそ民主主義の危機であり、それはそれで後に市民にツケが回ってくる。
危機② 地方自治二元代表制の対立構造の危機
首長を直接選挙選ぶ、地方自治体の政治は、議会議員選挙と2つの民意を反映させる二元代表選挙だ。その議会で異例の全回一致で不信任決議で失職した知事が、直後の知事選で再選する。これは異例中の異例だ。
もし、兵庫県民の世論が、斎藤知事とその改革を支持するのであれば、次回の県議会議員選挙では、今回反斎藤県政に回った議員の相当数が落選することになるが、当面はこのねじれ構造で、斎藤県政は再スタートすることになる。斎藤知事自身、自分の態度言動にも反省するべき点はあったとして、今後は謙虚に見直していきたいと失職時から一貫して話しており対話と融和の県政を目指すと期待されるが、一部の議員や県職員との遺恨を残してのスタートであり、混乱が予想される。
当選直後、選挙事務所に現れた斎藤知事の顔は、ややこわばりながら「指摘や批判も謙虚に受け止める、職員、議会、首長、とも関係性を重視する」と話していた。
政治家の成り手が少なり、地方から若者が出ていき少子高齢化になる今、特にその地方において、地方議員の高齢化と資質の劣化がまことしやかに囁かれている。すでに、石丸前安芸高田前市長と議会との間でも起きた通り、今回の兵庫県のみならず、他県においても、守旧派の議会と県職員(とオールドメディア)と改革派首長と現役世代の県民市民(とネットメディア)の対立構造は各地で起きる可能性がある。
危機③ 日本維新の会の危機
今回、異例の全会一致の不信任に至ったきっかけは、おねだりパラハラ知事の全国的な報道の過熱の衆院解散総選挙への影響を懸念し、知事選挙で推薦した日本維新の会の代表吉村氏までもが辞職を迫ったこと。
改革政党を謳いながら、推薦した知事に辞職を迫り、対立候補を立て、そして大敗する。今、日本維新の会も代表選を行なっているが、本選挙について何らか国民が納得する説明をしないと、日本維新の会は改革政党としての存在の信ぴょう性に疑義が出て益々、少数与党に対峙する野党の中で埋没する危険性がある。
最後に良いニュース2つ
① 財政改革と次世代向けへの積極投資の令和の自治体改革モデル
59年間、これまで4期副知事が知事になる形で連綿と受け継がれ、外からの人材が入らなかった兵庫県庁と県議会の一部にとっては、斎藤前知事は太平の世の調和を乱す不快な存在だったとは想像できる(港湾?利権、天下り禁止、1000億円県庁見直し等)
そういう意味では、そういう一部の関係者には嫌な権力者として実質的にハラスメントを感じる存在だったのかもしれない。
再選して斎藤前知事が県民の付託を再度受けたことによって、今後の改革が進むことは、兵庫県民にとっては良いこと、良い改革の実例が生まれれば、県外の国民にとっても高齢者の高齢者による高齢者の為の昭和モデルから脱却し次世代への投資を推進する令和の自治体運営のロールモデルとなる。
② 若者の民主主義への参画と成功体験
これまでは、成田悠輔氏などが超高齢社会の人口比率から「若者が選挙に行っても、選挙結果を変えられない」 と悲観的に結論づけていた。
兵庫県では、県立高校への経費が全国最低レベルであったというが、今回、高校の部活動の備品が増えた、体育館にクーラーがついた、トイレが綺麗になった等、斎藤県政での次世代の自分達若者への投資を実感した10代とみえる若者が投票所に多く並んでいたという。
今回は若者が、自分たちの1票で政治が変わる、自分の生活が変わるという実体験が持てたことが最も大きいことではないか?
この成功体験は日本の民主主義の未来にとって大きい。
アメリカでは、Z世代が4年前の大統領選挙でバイデン大統領を当選させ、今回はガザへのイスラエルによる非人道的な攻撃に消極的なハリス副大統領を落選させる一因となった。
自分の一票で、世界は変えられる。こう信じ社会にコミットしていく市民が健全な民主主義社会を作っていく。
そういう意味では、
今回の本当の敗者はオールドメディア
本当の勝者は、民主主義に目覚めた日本の若者かもしれない。
追記
選挙翌日11/18から、ワイドショー始めこれまで斎藤知事を散々批判してきたオールドメディアが、今回の選挙をどう捉え報道し解説するのか、今日からの報道に注目。
単なる「斎藤さん、勝って良かったね、民意の勝利だね」とかではなく、初めて日本で何か大きな分断、裂け目の様な存在を目にした。そういう意味でも、必ずしも明るいターニングポイントではないものも同時に感じる。
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