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高校1年生の数学で「結婚の意味」に挑んでみた話。

昨日は誕生日だった。

年齢を重ねるごとに「祝われる」という行為が恥ずかしくなって、最近はひっそり過ごしている。

そんな10月26日。

「お祝いする」or「お祝いしない」で4年間ワイドショーを賑わせ続けたカップルが結婚した。

おふたりはこの4年間「結婚すること」にこだわり続けた。

そこで改めて考えてみた。

人はなぜ結婚するのだろう。

おふたりをはじめ、世の中のカップルに「なぜ結婚するのですか?」と聞いたら、どんな答えが返ってくるだろうか。

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そんなことを考えていたら、僕が数学を苦手になるきっかけを思い出した。

今日はそんな話。

■十分条件と必要条件

高校1年生の夏。数学の教科書に突如こんなパートが出現した。

pならばqの命題が真のとき、pはqの十分条件、qはpの必要条件である

いつから数学は国語になったのか

と、混乱したことを覚えている。

僕は国語は得意だけど、数学が苦手だった。

だからこのパートは、苦手を得意に変えるチャンスでもあったし、苦手と得意を混ぜないために、苦手をより遠ざけるきっかけでもあった。

結論として、僕は後者に転んだ。

これをきっかけに、数学の授業になったら仲間と屋上に逃げ出すようになった。

当時の中村先生へ。大変申し訳ございませんでした。

ただ、そうなる直前までは必死に国語脳で理解しようとして、要するにこういうことかな?と考えたりもしていた。

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それ以来、僕は難しそうな話に遭遇すると、このフレームを当てはめて考えている。

■結婚は何の必要条件か?

一度結婚をして、一度離婚をした。

だからもし、僕がもう一度結婚するとしたら、

人はなぜ結婚するのか

というお題に向き合わないわけにはいかない。
結婚が必要な理由にたどり着かないといけない。

この話もまた、難しい。

そこで「結婚の必要条件」について考えてみた。

結婚する(した)人に「「なぜ結婚する(した)のですか?」と聞けば、それが必要な理由がわかるだろう。

そこでこんなフレームをつくってみた。

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この青い部分に「結婚」と入れてた時、黄色い部分に入って"Yes"になるのが結婚の必要条件

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他の手段がある十分条件じゃ意味はない。求めているのは必要条件だ。

これが成立する条件を探してみる。

■結婚は「幸せ」や「愛」の必要条件じゃない

まずは、よくある回答を当てはめてみた。

ただ、どれも必要条件ではない気がする。

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この設問でYesにならないということは、そもそも「結婚 = (黄色い部分)」が間違いであるか、選択肢の1つに過ぎないということだ。

そこで自分の結婚についても振り返ってみる。

■やってみたい、という一度きりの必要条件

いざ振り返ってみると、やはり必要条件が難しい。

前述のような十分条件の理由はいくらでもある。

・親を安心させる
・相手を喜ばせる
・社会的な信頼を獲得する

なども、十分条件の域を出ない

じゃあなぜ僕は結婚を必要としたのか。

突き詰めて考えていたら、本音が出た。

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たぶんこれが僕にとっての必要条件だった。

結婚をしてみたい、という理由は結婚によってしか達成できない。

紛れもない必要条件だ。

ただ、こんな言葉でプロポーズでもしようものなら、フラれることは間違いないし、そもそもこれを理由に結婚しようとする人は多くない。

その上、この条件に2度目はない

僕が結婚する理由。

また迷路に迷い込んだ。

■感動を呼んだ戦略的思考停止

こうやって国語や数学のように結婚について考えていると、とある結婚雑誌のコピーを思い出す。

結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです

2017年に発表されたこのCMのコピーは、大きな共感と話題を呼んだ。

結婚のあり方や生き方の選択肢が増え、僕のように

人はなぜ結婚するのか

なんてモヤモヤしている人に向けたメッセージだったのだろう。

でも僕はこのメッセージにもモヤモヤしてしまった。

あのコピーは強い。

その強さは「そんな理屈を超えるくらい、結婚っていいものなんだ」という幻想を抱かせる。

結婚する人を増やしたい企業のコピーとしては機能する。

当時の世間では「結婚情報誌がそれを言うなんて素晴らしい!」となっていたが、僕にはむしろ「最後の手段」にも思えた。

理屈で考えたら、結婚の必要条件が見つからない。

だから「それでも結婚したい」という美しいカップルを描くことによって、架空の余白を産み出し、そこに魅力を付与した。

「もう理屈で考えるのはやめなよ」

「本当の幸せは、理屈じゃないところにあるんだよ」

少し意地悪な言い方をすれば、そんな戦略的思考停止を促すのが、あのコピーの本質だったのかもしれない。

■幸せの必要条件

結婚制度は今、成熟期を経て、戦略的思考停止のフェーズに入っている。

だとしたら、僕の思考はそれに抗う行為だろう。

それでもこうして考え続けているのは、思考を止めないことが僕にとって幸せの必要条件なのかもしれない。

どんな条件であれ、幸せの必要条件はわかっていたほうがいい。

こんな思考の人と結婚したいと思う人はいないとしても。





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小島 雄一郎
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