侮る日本。先入観に凝り固まった日本人(上)
半沢直樹もすごいが、それを上回る高視聴率のテレビ番組がかつてあった。1978年のフランスで、「平均視聴率75%」※のアニメ番組が放映された。悪者と戦うロボットがUFOと合体するマジンガーZ ― すごい発想。日本名UFOロボ グレンダイザー、フランス名ではGoldorak(ゴルドラック)、永井豪氏がうみだしたロボット。フランスの子どもたちはGoldorakが日本の街のなかで戦うロボットアニメを見て、「日本という国はどれだけ進んだ国だろう」と思っただろう。こうして日本のアニメはフランス人の心をつかんでいった。
※世代別の集計(子供のみ)。時間帯による占有率
コロナ禍によって、社会は10年前倒しとなった。これからの社会はデジタルトランスフォーメーションだが、AIだ、ロボットだとみんないうが、日本人は昔からロボットが好きだった。ロボットはマンガ・アニメの中では日常だった。ここにもあそこにもロボットはいた。
70年前に、日本のマンガの世界に華々しく登場したのは、手塚治虫氏が想像した未来のロボット「鉄腕アトム」。鉄腕アトムは10万馬力の科学の子で、力が強くて空を飛べる。巨大ロボットは、戦争末期に秘密兵器として開発が進められていたという設定の「鉄人28号(横山光輝氏作)」。少年探偵 金田正太郎が鉄人28号を操作し、悪者をやっつける。
日本のロボットは多彩で進化する。自律型ロボットと人が操縦するロボット。人間のような感情のあるロボットと人間のようではない機械的なロボット。人と同じように喋るロボットと喋らないロボット。人と同じような大きさのロボットと巨大なロボット。共通するのは、月光仮面や8マン(エイトマン)、ウルトラマンや仮面ライダーと同じように、悪者をやっつけてくれる強い正義の味方。
日本のロボット界に、ロボットのスターが煌めく。ジャイアントロボ・ゲッターロボ・マジンガーZ、超電磁ロボコンバトラーV、機動戦士ガンダム、超時空要塞マクロス、新世紀エヴァンゲリオンという流れと、ネコ型ロボットのドラえもん・ガイノイドのDr.スランプアラレちゃんという流れなどが百花繚乱。日本の漫画家たちが想像するロボットアニメはロボット技術に先行して、世界を駆け巡る。
このように日本のマンガ・アニメといったコンテンツは世界的に高く評価されているが、これらの編集・制作にかかわっている人たちや組織への目線はつめたい。どちらかというと、マンガ・アニメのすごさを「文化的観賞」の対象として、“なんだか評判いいみたいだね”と言ったりするレベルで、それぞれのコンテクストを正当に評価しない。子どものものだといったり、オタクといったり、サブカルチャーといったりする。世界を席巻するポケモンやドラゴンボールやONE PIECEですら、まま子扱いする。日本のマンガ・アニメに、世界中の人を動かす力があったり、巨額の金を動かす力があるにもかかわらず、イロモノ扱いする。
■ 社会を閉塞させる職業観
日本一入社するのが難しい有名企業って、どこか?
答えは「集英社」で、第2位が「三菱地所」に、第3位が「小学館」※。採用人数が少ないうえに、すごい競争率のため、入社しにくい。超難関の会社を突破した人材が、この漫画は面白い面白くない、どうしたらすごくなるのかと徹底的にチームで議論しているから、日本のマンガ・アニメは圧倒的に質が高く、面白い。編集・制作にかかわっている人たちはスーパーエリート。
※大学通信(2017年)
その日本のスーパーエリートたちがマンガ・アニメを創る。だから日本のマンガ・アニメは面白い。頭のいいマンガ・アニメオタクというのではない。マンガ・アニメが持っている「力」に気づいているスーパーエリートたちが一所懸命に、マンガ・アニメをつくる。日本のマンガ・アニメが世界的に競争力をもちえているのは、そこ。
日本一入りにくい会社は金融でもシンクタンクでも不動産でもない。集英社がトップで小学館が3位。入りたくても、なかなか入れない会社。そこをめざす若者たちはその力に気がついているが、日本人の多くは、「なに、東大でて、マンガの仕事をするの?」と侮る。これが日本の間違った先入観。
このようにエンターテイメントを、多くの人は「不真面目」の世界観で見る。日本の伝統文化で「エンターテイメント」ではないモノって、なにかあるのだろうか?華道にしろ和歌にしろ華道だって、「遊び」である。もとは芸術をたしなむ遊びであった。
その遊びに対して「真面目」に取り組んだから、文化になった。古典的な能にしろ歌舞伎にしろ人形浄瑠璃にしろ、本来「遊び」で、エンターテイメント。エンターテイメントでないモノって、なにかあるかというと、宗教的な行事くらい。宗教的な行事にしろ、遊び的なものにしろ、一所懸命に努力し精進し洗練させてきたから、道となり文化となった。
にもかかわらず、そういったことに日々取り組んでいる人たち・組織を日本人は侮る。そういった先入観に凝り固まったままの仕事に対する職業観が日本社会を閉塞させる。これが失われた30年の根っこのひとつ。
■ 社会を閉塞させる年齢観
若者が起業すると、“そんなビジネス、ノリでつくったのではないか。そんなのうまくいかないよ”と、内容も聴きもせずに見下したりする。一方40~50歳台のベテランが起業すると、“とても力強く感じる。なにか期待できる”と言ったりする。これもおかしな年齢観。世界の経営者や起業家は実に若い。10歳台の経営者だっている。
日本で若者が起業したり経営者になりにくいのは、日本社会が若者を侮ったり、年輩者が自分の身を守ろうとする年功序列システムがひとつの要因。
若者が社会を知らなかったり経験がないのは当然であり、ベテランが世間を知っていて経験が豊富とは限らない。この年齢での失敗は具体のマーケットで是正されるが、そもそも「若者は不安定で、年輩者が安定している」といった年齢観・空気観が社会を閉塞させる。
たとえば若者が突飛な言動をするとする。そんなことでは社会から受け入れられないことを理解すれば、若者はおのずと自覚したり見直したりして、適切なところにおさまる。
にもかかわらず失敗を恐れて、年輩者は若者を見下しチャンスを与えない。チャンスが与えられなかったら、成功も失敗の経験もない。可能性が消える。こうして社会から活力が奪われていく。
社会には年功序列の体系を守ろうというドライブがかかっている。若者が若くして偉くなると、年輩者にとって今までの努力が水の泡となるから、若者はダメだ、まだ早いという排除のマインドがかかる。一方若者も社長になると、事業のベースができる前に、いきなりIPOだと発想するから、年輩者の誤解をまねく。
明治維新のときの各リーダーの年齢
西郷隆盛 40歳 ・ 勝 海舟 45歳
木戸孝允 35歳 ・ 大久保利通 38歳
岩倉具視 42歳 ・ 後藤象二郎 30歳
伊藤博文 27歳 ・ 井上 馨 32歳
産業界のリーダーに対する「年齢」についての先入観が日本社会を閉塞させている。しかし150年前の明治維新の時のリーダーの多くは20歳台30歳台で、みんな若かった。30歳台の大久保や20歳台の伊藤などにクーデターを起こされ、幕府はひっくりかえった。明治維新だけでない、明治・大正・昭和の初期も戦後も、社会のリーダーたちは若かった。令和時代だからできないということはない。20歳台30歳台が頑張って、社会や会社を変えることができないとはいえない。年齢についての先入観や見くびり、チャンスを与えないという考え方は過去もそうだったわけではない。明治維新の時のリーダーはみんな若かった。
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