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Grabの上場とイノベーションのジレンマ


シンガポールに拠点をおき東南アジアで Uber のようなサービスを展開しているGrab(グラブ)が今年中にアメリカ・ナスダック市場に上場するというニュースがあった。

Grabのような、アメリカの著名スタートアップに類似する事業を行うスタートアップは、途上国モデルなどと呼ばれたりもし、アメリカを中心とする先進国で定着したサービスの類似品を提供するものとして、劣後するという捉え方をされてきたところもあったと思う。

しかしそれが十分に成長し、ナスダックに上場するとなれば単なる Uber の真似であるというレベルを超えた企業に成長したといってよいだろう。

考えてみれば、例えば銀行など既存のサービスにしても、それぞれの国や地域に根ざした事業者が定着しているのであり、発祥の地で定着したサービスを他国でローカライズして展開することは、何も恥ずかしいことではないはずだ。

例えば、先日訪れたエジプトでも、Uber Eatsに相当するタラバ(Tarabat)というサービスが大変浸透しているようであった。一方、エジプトでの Uber Eats は2020年に撤退している。

一方、日本は Uber Eatsをしのぐだけの日本ローカルのサービスが圧倒的なポジションを占める、という状況ではないようだ。また、ローカルのサービスにしてもスタートアップではなく、出前館など従来からあるサービスや、最近のサービスでも大企業が開始したものが強い、という点も、日本らしい状況だ。

Uber の本業である配車サービスに関しても、Uberは定着したとは言い難く、一方で、多少はグループ化されてきたとはいうもののタクシー会社(系列)個別の配車アプリが乱立する状況が続いていて、日本のタクシー配車サービスであればコレという決定版が出てきていない。

こうした理由の一つに、日本では20世紀のうちにある程度利便性の高い社会の仕組みが出来上がってしまっており、Uber のようなサービスにしても、既にある日本のタクシーの仕組みと大差ないか、デジタルリテラシーを要しないという点では既存サービスの方が便利であった、といった事情もあるだろう。典型的には iPhone が出てきた時の日本国内の当初の反応は、 iPhone でできることは日本の iモードなどをはじめとしたガラケーで既にできているではないか、むしろiPhoneで出来ないことがあり不便、という反応があったことが思い起こされる。

こうしたことは、日本がいわゆる「イノベーションのジレンマ」に陥っているということを表している。もともとは大企業が新興企業に勝てなくなる理由をクリステンセンが説明したのがイノベーションのジレンマだが、大企業の存在感が強い日本は、「イノベーションのジレンマ」を少し広い意味に拡大解釈すると、国全体がこのジレンマに陥ってしまった感がある。

もし、イノベーションのジレンマが今後も同じように起こるのだとすれば、GAFAやUberなどの新興企業が世界に先駆けてサービスを提供してきたが、こうした企業がすでにアメリカを代表する巨大企業となっていく過程でいつかイノベーションのジレンマを起こし、日本が逆転するチャンスが生まれるのかもしれない。

ただイノベーションのジレンマが言われた時代と現在では、少し様相が異なり、かつてあったようなイノベーションのジレンマが再び起きるのか、上記のようなアメリカ企業で起きるのか、ということについては、注意深く見て行かなければいけない。

かつての「イノベーションのジレンマ」は、発想としてはハードウェアが中心、あるいはソフトウェアにしても売り切りのパッケージソフトウェアでほとんどアップデートがないものが中心で、言ってみればソフトウェアもハードウェアに準じる形で売られていた時代に言われていたことではないだろうか。一度入れてしまったハードやパッケージソフトは一定期間使い続けられ、その間に新しい性能がアップしたハードやパッケージソフトを導入した後発に先を越される、というのが典型的なイノベーションのジレンマの姿と言える。

しかし現在では、ソフトウェアはサブスクリプションベースで頻繁なアップデートが行われるようになっているものが主流であり、かつてのパッケージソフトのように しばらくたつと古くなってしまうということが起きにくい。販売・提供する側からすると、パッケージソフトは一度売ってしまえばその後は時間と費用をかけて大がかりな改良をしパッケージソフト自体を大きくアップデートしなければ新たな収益が入ってこないが、サブスクリプションタイプであれば毎月や毎年一定の金額が自動的に入ってくる形になり、小さな改良を頻繁にアップデートしていく事によって常に最新のものを顧客に提供するという形になってきている。

こうした状況でサブスクリプション型の頻繁にアップデートする形のソフトウェアや、そうした発想に基づくビジネスがイノベーションのジレンマを起こすのかどうかについては、今後注意深く見て行かなければいけないと思う。

一方、日本では一般的にハードウェア(製造業)ないしはパッケージソフトの発想が社会に深く染み付いている可能性があり、こうした人々の意識もまたイノベーションのジレンマを起こしやすい原因になっているのではないだろうか。昨今問題となり、報告書が出て課題が明るみに出たコロナウイルスの陽性者との接触確認アプリ「COCOA」に起きた一連の不具合とその放置の問題の根本原因は、こうした私たち日本人の意識を反映したものだろう。

こうしたイノベーションのジレンマを起こしやすい体質から抜け出していくことが日本の将来にとって大変重要ではあると思うが、それができるなら、この先、他国がイノベーションのジレンマを起こすタイミングで、日本が新たなイノベーションを起こせるのであればそこでもう一度巻き返せるチャンスがある、と考えたい。

どの分野で日本が次のイノベーションを起こせるか、と考えると、やはり一つ大きなテーマとして、高齢化やそれに伴う障害を抱えた人の増加に対して、いかに対応した社会を作っていくか、というところに日本のチャンスがあるのではないか。

日本の行政のデジタル化が非常に遅れているという問題は、上記のCOCOA問題のほかにも、デジタル庁の創設の動きなどで一般に広く認識されるようになっているが、直近でも、コロナウイルスワクチン接種について、デジタル活用が十分に出来ておらず、それが引いては貴重なワクチンの廃棄にもつながるという問題にまで影響が及んでいる。

接種の予約をとるのに、高齢者がネットで予約をすることができず、電話予約に殺到してしまい電話が繋がらないといった問題も起きているようだし、そのネットもつながらないという問題が起きている自治体があるようだ。

この写真をみると、予約の電話受付は人力のコールセンターが対応しているようだが、現在、音声認識が発達してきていることを考えるなら、人力で受け付けるのではなく、音声認識の自動対応にして24時間受付られるようにし、自動受付に問題がある人だけ有人の対応をするといった方法にすれば、より多くの人がスムーズに受け付けられるのではないだろうか。高齢者にしても、電話をかけて相手に話しかけることができない人は限定的で、多くの高齢者が活用できるだろう。

現在の音声認識の技術は相当高度なところまで来ている。例えばこの原稿も、しゃべったものを音声認識して文字にし、その後に校正と推敲・再構成を加えて文章化している。接種の音声受付程度であれば、マイナンバーの活用などと組み合わせれば、シンプルなものに出来るはずである。

このように、単にネットで受け付ければ良いということではなく、高齢者に対してシステムの側が合わせていく形のバリアフリー化はもっと考えられていいし、そのために音声認識をはじめとする技術をより広く取り入れていくことは重要な課題である。デジタル化といえば、Web 化したり文章を PDF にするというのが現在の行政一般的にみられる対応であるが、こうしたものが果たして高齢化した日本の利用者にとって利便性が高いか、ということは改めて考えてみる必要があるだろう。

ワクチンの接種に限らず、少し前にWeb で話題となった車椅子に乗った人の JR の「乗車拒否」についても、同様の問題があった。乗車希望を駅に電話をかけて伝えなければならないということで、対応時間は駅員がいる時間に限られるであろうし、また電話対応する駅にとってもその対応に人と五時間のリソースを用意しておかなければならず、双方にとって利便性が低いものだ。

高齢者や障がい者などの利用者側はもちろん、働き手が少なくなり人員不足になる対応する側にとっても、誰にとっても使いやすい仕組み、デジタル化を改めて考えていく必要がある。

秋に発足予定のデジタル庁に民間から登用される人の辞令交付が話題になっていたが、新設されるデジタル庁では行政全体のデジタル化を、単にこれまでの何でも Web で置き換えたり、サイトに載せておけばよい、という発想ではなく、高齢者や障害者をはじめ、すべての人に分かりやすく使いやすいものになるように、そしてデジタルリテラシーが高い人にとってはさらに効率的に使えるような仕組みを作ってもらえることを望みたい。そういう社会の基礎が出来ることで、日本が新しいノベーションを起こせる環境になることを期待している。



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