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リスキリングで人手不足解消は、キャリアの観点からはお勧めしない

リスキリングは必要なのか?

政府主導で「リスキリングによる能力向上支援」が推進されている。生産年齢世代が拡大し、65歳以上での就労も珍しいものではなくなる中で、1つの企業で社会人人生を完結させることが難しくなっている。そのため、転職などのキャリアチェンジのときに、市場ニーズにあった専門性を身に着けるための学び直し(リスキリング)に注目が集まっている。特に、40代~60代のミドル・シニアで長年1つの会社に留まっていると、専門性が陳腐化して時代のニーズと合わないことがある。そのため、リスキリングによって新たな専門性を身に着けることが重要とされている。

日本経済新聞の特集でも、日立製作所の中畑氏、Zホールディングスの伊藤氏、はたらくAI&DX研究所の石原氏がコメントを寄せている。3名のコメントで共通していることは、リスキリングの機会を用意するだけではなく「受け手の意欲を掻き立てること」と、「リスキリング後のキャリア開発の環境整備」の大切さだ。

たしかに、職務経験からだけでは学ぶことができないことを、それ以外の手段から学び直すことは大切だろう。しかし、それはなにもリスキリングに限った話ではない。企業が従業員に対して継続的に専門性を伸ばすことを推奨し、個人も自身のキャリアを自律的に考えることができていれば、リスキリングと言って特別なことをする必要はない。
加えて、石原氏のコメントにあるように、現状のリスキリングは『デジタルトランスフォーメーション(DX)人材を育てるための学び』に偏り過ぎている。この背景には、IT人材の深刻な人手不足がある。経済産業省によると2030年には約79万人のIT人材が不足するという。リスキリングによって、労働力の再分配ができれば良いという狙いは、個人のキャリアの志向性や能力の向き・不向きを軽く見ているようにも感じる。

リスキリングとスキルとキャリア

リスキリングに違和感があるのは、リスキリングと言いつつも「スキル」の話をしていないためだろう。「スキル」は特定の企業の文脈に依存せずに、ある程度の汎用性をもった専門知識や技術だ。どのような「スキル」を身に着けるかは、基本的に個人の自由意志に任されるし、成長度合いには個人差もある。長距離走が得意な人もいれば、短距離走が得意な人がいるようなものだ。
個人の志向性や特性に依存するということは、スキルはキャリアと密接な関係を持つ。個人の進みたい「キャリアの志向性」にあった「スキルを身に着け」、実際にスキルを活用できる「仕事に従事」し、キャリアアップしていくことがキャリア・デザインの基本プロセスだ。しかし、リスキリングの話では、スキルを身に着けてから、スキルを活かすことができるキャリアを選ぶことになって、起点に個人の意思が見当たらない。
また、キャリア開発の文脈では、専門性を変えるときにはできるだけ前の専門性と関連したものが良いとされる。例えば、販売職をやってきた人がマーケティング職に移ったり、経理職をやっていた人が経営企画職に移ったりだ。元の専門性と大きく乖離のある専門性を学ぼうとすると、一から物事を覚えなくてはならない。言ってしまうと、それまでの経験を捨てて、レベル1から始まるようなものだ。
リスキリングで人手不足を解消しようと、本人のキャリアの志向性と特性、元の専門性を考慮しないでいると、キャリアアップどころかキャリアダウンを許容しなくてはならなくなる。加えて、新しい環境に適応することができず、就労意欲を削いでしまう危険性もある。

リンダ・グラットンの『Work Shift』に立ち返る

人生100年時代が注目されるようになったのは、2012年、リンダ・グラットンの著書『Work Shift』が大きな影響を与えた。人類の平均寿命が長くなる中で、1つの会社で終わりを迎える長期雇用の維持が難しく、特定の専門性を持たないゼネラリストが時代に合わなくなってきた。
よく勘違いされるが、さまざまなメディアで欧米はジョブ型だからスペシャリストで、日本はメンバーシップ型だからゼネラリストを志向するとい言われている。たしかに、日本目線からみると相対的に欧米はスペシャリストに見えるかもしれない。
欧米基準でいくと、企業で働く多くの人々、特に大企業や公的機関でのキャリアはゼネラリスト的で、1つの企業でキャリアを完結させることも珍しくない。そもそも、欧州の平均勤続年数は日本よりも長い傾向にある。米国でも、製造業では新卒から60歳過ぎまで同じ会社にいることも珍しくはない。
しかし、平均寿命が延びると、企業が従業員の雇用を保証することが難しくなる。そうすると、健康である限り働き続けるキャリアが当たり前になる。そのとき、リンダ・グラットンが提案したのが、「連続スペシャリストの道」だ。
「連続スペシャリストの道」を築くには、5つのポイントがある。

1 ある技能がほかの技能より高い価値をもつのはどういう場合なのかをよく考える。
2 未来の世界で具体的にどういう技能が価値をもつかという予測を立てる。
3 未来に価値を持ちそうな技能を念頭に置きつつ、自分の好きなことを職業に選ぶ。
4 その分野で専門技能を徹底的に磨きをかける。
5 ある分野に習熟した後も、移行と脱皮を繰り返してほかの分野に転身する覚悟を持ち続ける。

リンダ・グラットン(2012)『Work Shift』プレジデント社

ここでは、まずは情熱を注ぐことができる自分の好きな分野で専門技能を磨き上げ、キャリアの核を身に着けることが重要になる。そして、専門技能を磨き上げたら、次に情熱を注ぐことができる新しい専門分野を見出し、挑戦し続けることになる。挑戦するときには、未知の世界にいきなり飛び込むのでなく、まずは新しい世界を理解するために実験することがポイントだ。加えて、はじめのうちは本業をやめず、副業という形で新しい分野に乗り出すことが勧められている。
つまり、リスキリングでこれまでのキャリアや専門性をやり直すのではなく、これまでのキャリアで磨き上げた核をベースに発展させていくのが「連続スペシャリストの道」ということだ。
そう考えると、個人のキャリアにとって重要なことは、まずは核を見つけ、そのうえで常に新しい専門性を身に着けることを探索し続けることだろう。常に学び続けることができれば、「学び直す」必要などないのだ。

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