人材ポートフォリオで分ける退職金制度の4つのアプローチ【日経新聞連動テーマ企画】
見直しが求められる退職金制度
終身雇用が崩壊して早30年が経つものの、組織や人事制度における未解決の問題は未だ山積している。その理由は、組織の基幹人材のモデルを新卒から定年まで働き続けている終身雇用に依拠していたことが大きい。
「自社の強みはメンバーシップ型の終身雇用で貢献し続けてくれた従業員だ」そのように自己規定する組織は多い。その考え自体は間違えていないだろう。しかし、一部の企業や、1つの組織でも部分的にそぐわないケースも出てきている。
前者では、定年まで働くことを前提とした雇用保障ができなくなってきた企業だ。バブル崩壊以降、業績悪化による早期・希望退職を募ることは特別なことではなくなっている。整理解雇や事業所・生産拠点閉鎖も、会社を潰すよりはと背に腹を変えられない企業が苦渋の決断をするケースも新聞でよく目にする。直近では、COVID-19 による影響で早期・希望退職を募る企業のニュースが紙面に溢れている。
後者の部分的にそぐわないケースは、高度な専門人材が特定部署で必要になっている企業だ。端的なのは、M&A 人材の確保だ。ここ10年ほど、大企業の海外展開の選択肢として M&A で海外の企業を買収するというケースが増えている。しかし、海外の大型買収は、高度な専門性を有した人材が不可欠だ。それは、新卒からゼネラリストとして育成してきた人材で賄うことは難しい。専門家として体系化された教育を受け、大型買収のプロジェクト経験を数多く積み、熟練することが求められるためだ。ジョブローテーションを前提とした3~5年程度の職務経験では圧倒的に専門性が不足している。このような人材は自ら専門性を身に着けてきた専門家を外部から雇用する必要があり、プロジェクトがひと段落すると次の活躍するフィールドを探しに退職していく。専門を生かせるプロジェクトがないのに引き留めることは、個人にとっても企業にとっても幸せに繋がらない。
このように、終身雇用を前提とした退職金制度には見直しをすべきだという議論が起きている。それでは、雇用保障ができないのであれば、すべての企業が退職金をなくすべきなのだろうか。それは必ずしもそうとは言えないだろう。なぜならば、人事制度は求める人材の在り方に応じて、最良の方法を選択すべきものであるためだ。競争優位の源泉となる人材の在り方を議論なくして、退職金制度のあるべき姿を語ることは避けた方が良いだろう。
ポートフォリオで考える出口戦略
退職という組織への「出口」について考える時、組織への入り口となる「採用」とセットで考える必要がある。これは逆も同じで、「採用」を制度設計する時は「出口」についてもセットで考えなくてはならない。なぜなら、組織が雇うことのできる人数と人件費には限界があるため、その時点で最も適した能力やスキル、知識、経験を積んだ人員で組織が構成されていなくてはならない。もし、時代の変化についていくことができない人員が増えてしまったときには、その企業の競争優位性が揺らぐことになる。そのため、人員の適切な新陳代謝ができるように「今、組織に必要なのはどのような人材か?」を可視化した人材ポートフォリオを作る必要がある。
人材ポートフォリオができれば、あとはそのポートフォリオに従って「採用」と「退職」の制度設計を進めていくことになる。それでは、どのような人材ポートフォリオが考えられるだろうか。本稿では、リクルートワークス研究所の『戦略的採用論-パターン別実践編-』で紹介されているフレームワークを用いて考えていきたい。
リクルートワークス研究所が提示している人材ポートフォリオでは、「採用してから競争優位を築くまでの期間」と「成果の源泉」という2軸から4パターンで組織内の人員を区分している。
第1象限にあたるのが、個人単位で短期成果を上げる人材だ。新規事業を立ち上げるときのプロジェクト・マネジャーなど、即戦力で高度な専門性を有した人材が求められる。海外事業責任者の経験者採用やAIエンジニアの採用などがこれにあたる。個人(Talent)で短期成果(Short term)ということで、ここではTSパターンと名付けられている。
第2象限にあたるのが、個人単位で長期成果を上げる人材だ。経営幹部候補の新卒採用やオーナー企業の後継者候補などが、このパターンに当てはまる。具体的には、くら寿司の「エグゼクティブ新卒採用」が挙げられるだろう。この象限は、個人(Talent)で長期成果(Long term)ということでTLパターンとラベルが付けられている。
第3象限にあたるのが、組織単位で長期成果を上げる人材だ。このパターンが、終身雇用で新卒一括採用で賄われてきた伝統的な日本的雇用と言える。数十年単位で組織に貢献することが期待され、組織の一員として浅く広く専門性を身に着け、組織内の事情に精通することが期待される。組織単位(Organization)で長期成果(Long term)が期待されるので、OLパターンと呼称される。
第4象限にあたるのが、組織単位で短期成果を上げる人材だ。コンビニ店員や工場のライン作業員のように、主に非正規社員として扱われることが多い。近年、非正規社員にも長期雇用の場合は退職金を支払うべきという動きもみられる。しかし、非正規の状態で何年間も働くというのは健全な経済活動とは言えない。他の先進諸国では、勤務年数に制限を設け、あくまで正社員への転換が前提として運用されることが多い。非正規社員のまま使い続けられるという日本の現状は経営者にとって有利な社会構造になっている。組織単位(Organization)で短期成果(Short term)が期待される第4象限はOSパターンと呼ばれる。
それでは、次にそれぞれの象限における退職金をどのように設計するのかについて考えていく。
① TSパターン:退職金なし年俸制
TSパターンの特徴は、高度な専門性を有し、即戦力として短期的な成果を求められる点だ。そのため、このような人材は常に自分が高い成果を出すことのできる環境を求め、探索する傾向にある。このような人材に退職金制度があったとしても、メリットは小さい。
このパターンで、退職金を払う前に短期間で転職を繰り返すので人件費が浮くと考えると良い人材を獲得することは難しい。理由は、市場価値の高い人材であるために採用のために競争が起きるためだ。そのため、退職金制度の分を年俸として上乗せして、少しでも経済的インセンティブを強めないと競合に勝つことが難しくなる。
近年、大学教員で退職金なし年俸制が進んでいるが、TSパターンでは標準的な形式となるだろう。
② TLパターン:ポイント制退職金制度
TLパターンは、長い時間をかけて人材育成し、高度な専門性を有した人材を育てようというキャリアパスが描かれる。将来的には、経営幹部として活躍することが期待されるため、退職金制度がインセンティブとして期待できる。
その反面、このパターンの人材は常に自己研鑽に励み、挑戦的なプロジェクトに従事し続けることが求められるため、リテンションが重要な意味を持つ。従来の退職金制度では、リターンを得るまでの期間が遠すぎるため、リテンションにはなりにくい。そこで、退職金制度をリテンションと結びつける施策が求められる。
そのような施策のヒントは、リクルートHDが採用するポイント制退職金制度にあるだろう。リクルートHDでは、在職年数に応じて、もらえる退職金の金額が上がるようになっている。入社半年からもらうことができ、長く在籍するほど得られる金額が大きくなる。
尚、筆者は中途入社3年目で現職に誘われてしまったので、記事にあるような年収分の退職金はもらえていない。家族には申し訳ないことをしている・・・。
③ OLパターン:従来型退職金制度
OLパターンは、長期雇用でゼネラリストとして事業活動を支える屋台骨と言える人材だ。特に製造業では、長く勤務することによる模倣困難な競争優位を生み出すことが多い。そのため、欧米企業でも製造業、取り分け生産現場に近い人材は勤続年数が長くなりがちだ。このような人材に対しては、長期雇用に対するインセンティブとして、従来型の退職金制度が有効だ。
実際の労働人口の割合で言えば、OLパターンの人材が最もボリュームが大きなものとなるだろう。そのため、退職金制度の是非が問われる中においても、下記引用記事にあるように退職金を当てにした資産運用の記事は根強い人気がある。この社会構造は簡単には変わることがないと思われる。
④ OSパターン:退職金代わりのキャリア開発制度
OSパターンは、非正規社員であることが多く、退職金制度の対象になっていないことが多い。しかし、先に述べたように、非正規社員を長期雇用するという日本の現状は歪な社会構造となっている。基本的に昇給がないために、非正規で長期雇用されていると所得水準が低いままとなり、現代社会の問題である世帯収入の低さに繋がっている。先進国最低水準の低所得国家である日本は、本来は所得が下がるような話題は全て避けるくらいの姿勢ではないとこの問題を解決することはできない。
本来、長期雇用が好ましくない非正規社員に対して、長期雇用が前提の退職金制度を適用するというのは愚策と言える。長期で非正規社員でしかいられないという現状を打開するために、退職金として使われるリソースを活用すべきだ。そのため、正社員としての転用ができるように専門性を高めるための支援施策や、自律的にキャリアを考えるための教育制度を充実させることに真剣に取り組んでいく必要がある。
非正規から正規にどう転換するのかが、OSパターンの出口戦略の本丸と言える。
結語
退職金制度について、一概に「良い」「悪い」で語ると本質を見失う。人事制度の基本は、求める人材が実力を120% 発揮するための環境を作ることにあるためだ。そして、ビジネスにおいて求められる専門性が高度化と多様化する中で、求める人材も複数のパターンが混在するようになってきた。
そのような中で、退職金制度も一律で全社員に適用するのではなく、職責の範囲で分けられるべきだろう。実務的には、ミッショングレード制を適用している組織であれば、ミッションの質ごとに適用する制度が変わるという形になるだろう。非正規であれば OSパターンが適用され、新卒入社の総合職や地域限定社員は OLパターンが当てはまる。入社して数年が経ち、経営幹部候補として、特別コースに分けられるようになると TLパターンに切り替わる分岐が生まれる。幹部候補を希望しない従業員は OLパターンのままだ。そして、専門職人材には TSパターンとなる。
このような柔軟な運用ができるような制度設計が、これからの人事には求められるだろう。当然、このような複雑な運用には、従来のExcelで人事データをいじるようなローテクノロジーの処理では追い付かない。柔軟で複雑な人事制度を運用するためにテクノロジーを活用する、人事の専門家の存在が不可欠だ。
人事の専門家は、残念ながら、今の日本の労働市場に十分な人数がいるとは言えない。その理由は、長年、ゼネラリストを重視してスペシャリストの育成を疎かにしてきたためだ。そのため、ここで書いたような制度はすぐにそのまま運用されることは少ないだろう。しかし、求める人材を基準として、退職金制度について考える切っ掛けとしてもらいたい。