最近、「実話に基づいた映画」の素材が多すぎないか?
ネットフリックスでよく鑑賞するジャンルの一つとして、「実話に基づいた映画」があります。「え!こんなことがあったの!」と驚き、最後の方に「現在、本人は孫と一緒にマイアミで平和に生活している」などと出てくると「う~ん、よかったねー」と安心するアレです。「現在、2400年代までの刑期で本人は服役中」というぞっとするのもあります。
こういうのをたくさん観ていると(観すぎていると?)、ニュースの見方も変わってきます。自分に即、直接関係ないと思われる事件も、映画製作のネタとして見えることがあります。ぼくは映画製作を仕事としていないのですが、ぼく自身の反応の是非を問うのはさておき、「これは映画で観たい」という観点で事件をみてしまうのです。
21歳の青年の行為が世界を揺るがす
例えば、最近のニュースを挙げると、以下の2つの事件などは映画の素材になりそうです。まず、1つ目は米国の空軍兵が機密情報をSNSのグループ内でシェアしていたのがきっかけで、それがグループ外に漏れたとの記事です。
言うまでもなく、ビジネスであれ、日常生活であれ、追って何らかのシリアスな影響をぼくもリアルに受ける可能性は大いにあります。しかし、ぼくに影響が及ぶのは明日ではなく、数か月後くらいだと、この記事だけで映画の脚本の骨格をプロの人は考え始めているのではないか?と、まず想像してしまいます(不謹慎ながら・・・)。
無邪気な無知なのか小さな正義感なのか、はっきりとした動機は不明ですが、21歳の若者が職業上アクセスし得た情報を外部の人間に漏らす。それも世界の外交や軍事状況を揺るがすような情報です。そのアンバランスが注意をひきます。
自分にとっては重大な情報に見えるらしいが、他方、社外の人にとっては「あっそっ」というレベルのものが、企業の人がよく語る「ここだけの話だが・・・」の実像だったりするわけですが、テシェイラ容疑者の場合は明らかに違います。
他のニュースによるとSNSのグループ内でテシェイラ容疑者が年上の部類だったようです。10代の若者も多かったのでしょうか。そのなかで注目される人物であろうとした彼が、日常生活のなかでのちょっとしたきっかけと行為が「河の向こう側に渡らせ」、その行為の繰り返しによってだんだんと感度が鈍り、「文章の投稿が面倒になると、途中から機密文書の写真をそのままシェアする」というように大胆になってきます。
かつてのスパイやマフィアの映画を想起される
もう1つの素材は次の記事です。今月はじめ、サンクトペテルブルクのカフェでおこった爆破事件の容疑者に指示をしていた人間をロシア当局が指名手配したとの内容です。
このロシアのタス通信の情報が、どれだけロシア当局の意向をうけたものなのかどうか、疑うべき点はあります。しかしながら、とにかくこのような内容が世界に配信されるわけです。
爆破事件のニュースを知って一番印象に残ったのは「カフェで爆発したのは胸像」という部分です。映画『ゴッドファーザー』にあるようなシーンが、つい最近、現実にあったとの衝撃です。このような筋書きは、冷戦時のスパイやマフィアの映画を連想させるです。
日常生活に潜む動機とハッカーが活躍する
少なくてもインターネット以前においては、機密情報が洩れるのはプロの仕業や組織の上層部の計略が大半だったはずです。そして、そういう漏洩事件が表面化するのは、マスメディアの執拗な調査によったり、マスメディアの力を期待する持ち込みであったろうと思います。
それが今や、組織のヒエラルキーの下にいる21歳の青年が同じようなことができるようになったのです。しかも、たいした意図もなく!(現段階の報道によれば、ですが)
だからこそ、ぼくには、今、世を騒がす「陰謀論」が眉唾ものに見えるのですね。陰謀論はある特定の人やグループがすべてを動かすシナリオをかき、それを実行する力があるのが前提になります。確かに、あることがらにおいて、そういうことがあるだろうことは否定できません。しかし、それを上回る数の事件が、薄い動機と偶然の連続によって生じているような気がします。
自分は現場に出向かないで書く記事を「こたつ記事」と称するそうですが、ぼくがここで強調したいのは、現場をみない人間にさまざまに想像力を刺激する素材が多い、という現実です。かつ、その刺激された人間が特殊なー007で使われたようなツールーを使用せずとも、ときに予想もつかない衝撃を世界に与えうる、という現実です。
テクノロジーが映画の見方をかえる
最近、日本のテレビドラマの事件もので、よく使われる道具とシナリオがあります。スマホと監視カメラです。
スマホの録音機能をつかって会話を録音し、それを使って有利な展開への転機とする。もちろん、スマホで盗撮したものをSNSで拡散することで、誰かがダメージを受けるとのパターンもあります。そして犯人捜しにおいて街頭やビル内の監視カメラを確認するのは、もう当たり前すぎて、それを使わない捜査をみていると、「ありえない!」とさえ思えます。
さらにテレビドラマでも使われますが、米国製の映画などでも頻繁に登場するのは、ハッカーの活躍です。そのハッカーは正義の味方であったり、悪者側で活躍します。どちらの側に立ったとしても、一種のヒーローのような存在として扱われます。
視聴者が身近に使っているツールが世界を「反転」させることが可能なのを、「民主化」との名のもとに喜んで良いのかどうかーー。さらに、その結果、さまざまな策略や悪事が一般の市民の目に触れる機会が多くなり、我々にとってはすべては映画の素材に見えてしまうことが多くなることによる、現実と虚構の混合を喜んで良いのかどうかーー。
ぼくは、ネットフリックスで見るジャンルを変えるべきなのだろうか?
因みに、冒頭で「2400年代までの刑期」と書いた例は、『グッド・ナース』です。もちろん、宣伝じゃありません 笑。
冒頭の写真©Ken ANZAI