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愛犬の死から、”限りある時間”の使い方を考え始める。

この夏、実家の富山に帰ると13年間飼っていた愛犬が死んでいたことが分かった。

数週間行方不明になった後に、村の人が亡くなっている姿を報告してくれたらしい。普段、神奈川に住んでいる私は、この話を実家の両親から数ヶ月後に聞くことになった。愛犬の死は悲しかったし、それを家族と一緒に悲しめないことにも無念さを感じた。

この一連の経験を通じて、私は「生き物はすべて死に向かっていくんだ」「大切な存在も気づけば無くなる可能性があるのだ」という現実を強く認識することになった。


「死」を意識した。で、その後はどうする?

「生き物はすべて死に向かっていくんだ」
「大切な存在も気づけば無くなっていくものなんだ」

愛犬の死を見つめ、そのように認識はしてみた。
この気持ちは大切にしたい。
一方で、この気持ちを元に、普段の自分に変化を与えることは、決して簡単ではなかった。

実家の富山から生活拠点がある神奈川に戻ってくると、私は日常に忙殺され、この感情を何度も何度も忘れそうになった。
正直、数週間、忘れることもあった。

毎日のお弁当作りや子供の季節イベントの準備、取り組んでいる仕事のトラブル対応や、SNSでの業界情報の収集など。
それらに時間を費やしているうちに、「自分がどうしたいのか」を考えることがだんだんと、”めんどくさい”とさえ感じるようにさえなってきてしまった。

そんな時に、日経新聞でとある記事を目にした。
記事には、「人々が忙しくSNSやネットの情報に触れることで、自身の問いを考え続ける習慣が無くなってきている」と書かれていた。

企業のサービスにうつつを抜かしている間に、貴重な資源である集中力が奪われてしまった。刺激に身を委ねるばかりで熟考の習慣を失った人々は非合理的な判断に傾きやすい。

記事の内容はまさに自分に当てはまると思い、私は忘れかけていた問いともう一度向き合い続けることにした。

「限られた人生」だからこそ、自分にとって大切なものだけを選ぶ

ではどうしたのかというと私は本屋で一冊の書籍を読んでみることにした。

私が手に取った「限りある時間の使い方」という本は、世の中のタイムマネージメント術を否定しているユニークな内容だった。

本書では、人生は短い。驚くほどに短いから、自分がやりたいものを選択していくべきだと語られていた。

心に残ったフレーズを引用してみたいと思う

私にとって大切なものは家族、仕事そして友人。
今までふわっとそう理解していると思っていたが、いざ愛犬の死を経験し、死を身近に感じるようになると大切なものをより解像度高く持っていたいと感じるようになった。

そして「いつかやろう」「いつかできるはず」という希望を捨てて、今この瞬間から意識を向け、言葉や行動を変えていきたいと思った。

そして限られた人生、一瞬一瞬を大切に目に焼き付けながら進んで行きたいと思った。

天国に行った愛犬のコロちゃんへ
子どもが巣立った富山の実家で、両親のそばにいて寄り添ってくれていてありがとう。朝や夕方の散歩が、両親の健康維持に役立っているなと大学時代はコロちゃんの存在に感謝していました。コロちゃんが散歩のたびに道草をし、なかなか動かないので、私は散歩に時間がかかりイライラすることもありました。でも、今思い返すと、コロちゃんの寄り道は、私が季節の野花や虫を見るきっかけになっていたんだなと思う。13年間、家族としてたくさんの思い出を一緒に作ってくれてありがとう。これからも、天国から富山の田植えを応援してくれると嬉しいです。


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