「デイ&デート」が実は映画館の味方になりえるのではないかというチャレンジについて
「デイ&デートは永遠にお断りしたい」。8月下旬の米ラスベガス。映画「ワンダーウーマン(WW)」シリーズ監督のパティ・ジェンキンスが叫ぶと、宴会場に居合わせた数百人の劇場関係者らが歓声で応じた。
「デイ&デート」とは作品を映画館と動画配信サービスで同時公開すること。新型コロナウイルスの感染拡大で環境が激変。映画館が営業制限に苦しむ一方、巣ごもりによる動画配信の急成長で2020年末から広がった。映画館の上映後に配信する共存共栄の関係は崩れた。
コロナ禍は、いろいろな社会の動き、特にデジタル化に向けて変化するスピードを加速させているという話はよく聞くと思う。
コロナ禍における映画館についても、それは同じ。
特に「映画館と動画配信サービスで同時公開する」という、永遠の課題に対しての態度を決めなくてはいけないという事に直面している。
何故「デイ&デート(映画館と動画配信サービスで同時公開)」が問題になるのか
何故「映画館と動画配信サービスで同時公開する」が課題なのか。それについては、記事から引用すると、
同時公開への反発が強まっているのは興行収入への影響が大きいから。7月公開のブラック・ウィドウの世界興収は2カ月で約3億7000万ドルと、10億ドル超えのヒットを連発してきた近年のマーベル作品では最も低い水準にとどまる。映画館や、興収と連動する報酬を得てきた役者らにとって動画配信との「共食い」は死活問題だ。
ということになっている。
特に、独禁法により明確に「配給」と「劇場」の同一資本による垂直統合を防止し、「配給」と「劇場」がより緊張関係にあるハリウッドでは、インターネットでの映画視聴がどんどん楽にスムーズに安くなっていくなかで、それまで二次利用(劇場公開後しばらく経ってからネットで公開する。ネットフリックスなど)を前提とし、あくまで映画館ファーストであった映画興行の前提に疑問符がつくようになっていた。「初公開」の時に映画配給として一番宣伝に力を入れるタイミングであり、一番のビジネスチャンスのタイミングであるのであれば、それはもはやインターネットであったほうが広くリーチして多くの人に観てもらえるのではないか、という議論がそれである。
それは「映画とは何であるか」という議論に通じる問題である
ただ、これまでこの様な議論が何度も巻き起こっては、これまでの映画興行の優先順位や形が大きく変わらなかったのは、もちろん歴史的にそのバリューチェーンの中で大きな役割を担っている「映画館」からの大きな抵抗があることは想像に固くないと思う。何故ならば、「値段が高くわざわざ決められた時間に合わせて足を運ばなくてはいけない映画館」と「値段が安く見れて自分の好きな時間に家でみれるインターネット」を同じタイミングで公開するような変化が起きれば、多くの人がインターネット視聴に流れることが予想されるため、それは実質”映画館の中貫き”を行う事と同義であり、映画館の死滅につながるアクションであるからである。この議論は”インターネッツなひとたち”からすると適者生存の理でしかないんだからそんな抵抗勢力はユーザーの利便性の為に淘汰されるべきだと思われるだろうが、話はそんなに単純ではない。
今年のアカデミー賞でNetflix映画「ROMA ローマ」(アルフォンソ・キュアロン監督)が3冠に輝いたことを受け、同社に否定的な映画業界の重鎮たちが締め出しを画策。その急先鋒が巨匠スティーブン・スピルバーグ監督で、年に1度開かれる役員会で、出品条件のルール変更を訴えていた。
映画館をスキップしてネットフリックスで初公開することの野望を内に秘めているネットフリックス製作作品を締め出そうとしているのは、実は映画館だけでなく、スピルバーグを始めとした映画監督や映画製作者であったりするという大きな事実も重要である。(さらにここで重層的なのは、この記事で槍玉に上がっているNetflix映画「ROMA ローマ」を見れば共感いただけるかと思うが、アルフォンソ・キュアロン監督が、Netflixで映画を製作していながら、Netflix映画に好意的ではなく、むしろNetflix映画である「ROMA」を通じて、映画は映画館でみることで本当に完成するのであるという強力な証明をしつつ、それを通じてむしろ既存の映画業界への発奮を促しているかのようであることがとても重要である)
つまり、映画の公開が、映画館ファーストではなくなることは、単に映画館の食い扶持をネットに持っていかれてしまうというビジネス上の闘争だけの話ではなく、映画とは何であるかという、映画そのものの存在自体につながる話になってしまうのである。ここではその見解は端折らせていただくが、映画館で見ることを前提に製作され、その体験を最大化されるように様々な努力の上で完成するのが映画であるというと伝わりやすいのかもしれない。
そんなあまりに様々な思惑が入り組んだ議論であるため、映画もしくは映画文化そのものにとって進化につながるのか退化につながるのかがよくわからない「映画館と動画配信サービスで同時公開する」という是非やアクションが一進一退であったのがこの十年くらいの流れだと思う。そして一度は、映画館と動画配信サービスで同時公開することは、むしろパイを食い合うのではなく、映画館に人を向かわせる宣伝になるという相互補完的関係性を構築するという視点もあるのではないか?という仮説と希望のもとにその様なチャンレンジもテスト的に行われたが、まさかの共倒れという結果になり、やっぱりこれまでどおりで行こうという雰囲気が主流になったりという経過もあった。
デイ&デートは、コロナ禍で「nice to have」から「mandatory」に
そんな複雑な歴史をもった議論の上で、大きな変化を及ぼしたのが、コロナ禍である。世界レベルで人流抑制が推進されたなかで、前述のような議論や闘いがすべて無意味化するほどに世界の景色が変わってしまい、映画館(正確には不特定多数があつまる施設)にそもそも人を集めづらくなってしまった今となっては、映画興行というエコシステム全体の危機であり、配給からすれば「より儲かるためにネット同時解禁」という議論だったはずが「なんとか生き存える為にネットで同時解禁せざるを得ない」というところに大きな変化が起こってしまっている。
とくにハリウッドでインパクトが大きかったのが、ハリウッドのビックプレイヤーであるディズニーが始めたディズニープラスだ。
コロナ禍において、ディズニーは『ムーラン』(2020)をディズニープラスでのプレミアアクセスに切り替えた。2021年には『ラーヤと龍の王国』『クルエラ』も劇場&ディズニープラスの同時公開が決定。また、ピクサー映画『ソウルフル・ワールド』(2020)『あの夏のルカ』(2021)は劇場公開を中止し、ディズニープラスでの独占配信となっている。ウォルト・ディズニー・カンパニーのボブ・チャペックCEOは「消費者のみなさまに委ねること、どう映画を楽しむかを決めていただくことが大切」と述べ、必ずしも劇場公開のみを目指す姿勢ではないことを明かしていたが、納得できないのは映画館側だ。
「ディズニーの決定は、以前表明されていた“劇場体験を重視する”という信念と矛盾し、上映のパートナーとして信頼できないことを示すものだ」。アメリカ独立映画館連盟(Independent Cinema Alliance)のバイロン・バークリー会長はこう語り、またワイオミング州で映画館を経営するトニー・ビーバーソン氏も、「『ラーヤと龍の王国』は上映していますが、これがうちで上映する最後のディズニー作品になるかもしれません」と言う。
その圧倒的なIPのちからで、ハリウッド自体の屋台骨とも言えるディズニーが、コロナ禍による環境変化を起点に、ネットフリックスからも作品を引き上げて独自の配信サービス「ディズニープラス」立ち上げるとともに、映画館中抜きも「ディズニープラス」で行ってしまうというドラスティックな動きを推し進めていることで、コロナ禍からの復活を目指している映画館にさらなる衝撃が広がっている。
圧倒的なIPを抱えるディズニーがこの動きを始めたのは、まさに一進一退だったこの議論のあまりに大きな山が動いた感があり、これから大きな映画業界の変動が起きていくことが予測される。
デイ&デートが映画にもたらす変化とは
では、どんな変化が起きるのだろうか。こちらの記事で宇野維正さんが指摘されている点はとても重要であると感じている。
このように、映画館と配信の問題は様々な事情が入り込んでいて、単純にどちらの肩を持てばいいのかという問題ではない。ただ、一つだけ言えるのは、今後このまま配信がさらに広がっていけば(間違いなくそうなるだろう)、「映画館での上映期間」という意味での映画の寿命は確実に縮まるであろうことだ。日本における大ヒット作の多くが数ヶ月間に及ぶ異常なロングラン上映によって成り立っていることを考えると、実はこれこそが一番の問題なのではないだろうか。
インターネットが様々なスピードをUPするのであれば、映画においてそれはまさに「映画の寿命を縮める」こととたしかに言うことができる。そして「映画の寿命を縮める」ことになり、しかもこれまで映画館の番組編成者の熱意や意志だったりという”様々な思惑”が絡み合って、不合理も混じり合っての映画の寿命が形成されていたことで、ロングランからの思わぬヒットが生まれたり、「映画が人々に発見される」という偶然が生まれ、それが映画の多様性と深い歴史を育んできた以上、「映画の寿命を縮める」ことは、公開直後の最大瞬間風速だけの勝負になる、つまり一発芸での闘いとなり、多様性と豊かさの欠如に直結しかねない変化になる可能性を大きくはらんでいるのである。
という、長々として前段をご説明した上で、
とはいえ果たしてこのコロナ禍の長期化の中で「映画館と動画配信サービスで同時公開する」に着手しなくて、映画業界の維持が出来るのであろうか?というと大きな疑問も残る。ディズニーもその危機感から動いたとも見えなくもない。座して死を待つのではない、もっというとディズニーが動いたことで、どうせ「映画館と動画配信サービスで同時公開する」が今後主流になっていくことが自明の理になったのであれば、その動きを、逆に映画館の支援につなげる構造を実装してしまい、映画人口をインターネットのちからで増やしつつも、映画館の利益にもしくは支援にも繋げるあり方、そんなチャレンジは出来ないのだろうか。ぼくはそう思っている。
映画館がシェアするバーチャル・スクリーン『Reel』という挑戦によって、デイ&デートを映画館の味方にしたい
そこで、今回、こんな発表をさせて頂いた。
それは、僕が代表を務めるクラウドファンディング・プラットフォーム『MOTIONGALLERY』を含め、映画やアートが好きなIT関連5社が集まってなんかやるチーム『Incline』で、あたらに始めるチャレンジ『Reel』だ。
劇場公開する全国の映画館がシェアするバーチャル・スクリーン『Reel』始動。
『Reel』は映画館での劇場公開に連動したバーチャル・スクリーンです。
『Reel』で上映される作品は、映画館で実際に上映されている期間に限り、劇場一般料金と同料金=1,800円(予定)でオンライン鑑賞できます。劇場公開が始まる日に『Reel』での公開をスタートし、あらかじめ定めた期間ののちオンライン公開を終了します。
売上は、配信手数料を差し引き、通常の映画興行と同様に配給と劇場とで分配します。複数の劇場で上映される場合は、配信の売上を各劇場に均等に配分します。オンライン上映で発生する利益を、デジタルが浸透している都市だけでなく地方の劇場にも等しく分配することで、日本全体の映画文化を担保し続けようとするアクションであり、リアルとバーチャルでの映画鑑賞の体験を、相互に補完する狙いもあります。
得ない劇場公開時に、配給/劇場両者の「これまで」と「これから」をつなぐ、持続可能な劇場公開の選択肢となることを願っています。
この『Reel』は、まだこれまで試行錯誤だった「映画館と動画配信サービスで同時公開する」をシステム面で安全かつスムーズに行えるように作り上げられた日本初のプラットフォームだけれど、そんな先陣を切ったチャレンジでありプラットフォームであるだけでなく、「劇場均等割配分」というこれまでの議論になかったアイデアと仕組みを実装するという、「映画館の中抜きではなく維持につながる」という一歩進んだ思想を実装しているという特徴がある。
オンライン同時公開によって、今まで取りこぼしていた商圏内外の映画館に行かない、あるいは行きたいが困難な人々、そして大ヒット拡大公開時の席数以上の潜在観客へも、劇場公開中に鑑賞機会を作ることができます。
ただし、鑑賞人数の総数は変わらずに劇場動員の一部がオンラインに流れると仮定するなら、この配分方法(均等割)は、劇場動員が大きくなるであろう東京や大都市の劇場が相対的に不利になる可能性があります。今回は、開館以来初の日本映画として本作を迎える東京・渋谷のBunkamuraル・シネマ関係者の皆様にも本取り組みをご理解いただき実現する運びとなりました。
「Reel」では、小・中規模映画の製作・配給・興行のエコシステムが中長期的に保全され、全国的に満遍なく文化資本が底上げされ、適正に更新されていくことを願っています。
これまで1世紀を超えて培ってきた世界的な文化、つまり映画館で映画を鑑賞できる文化・環境を今後も持続していくためにはオンラインで鑑賞することを無視することはあまり有効ではない、むしろ自分たちの手元にもう一つのバーチャル・スクリーンを携えていくことによって、劇場上映の価値を高めていくことを目指したいと考えています。
願いとしては、一つの作品が長く、さまざまな劇場で上映が続くことです。
この発想は、ここまで読んで頂いてお気づきの方も多いと思われるが、僕も発起人の1人として関わった「ミニシアターエイド基金」からの影響がとても大きい。大きいというかそのままかもしれない(笑)。
昨年、全国のミニシアターを支える為に実施した「ミニシアターエイド基金」に取り組んだ自分が、「映画館と動画配信サービスで同時公開する」チャレンジに参加するのであれば、それを通じてどのように映画館のサポートと無理なく繋げられるのかを考えなくてはならないと思ったわけだが、それは考えれば考えるほど「ミニシアターエイド基金」の仕組みそのものの移植であると感じることが多かった。
自分がこれまで10年間全身全霊で取り組んできたクラウドファンディングという「皆様からの支援」を通じて映画館をサポートすることが出来たのが「ミニシアターエイド基金」であるならば、今回は配信という「皆様からの購入」をすすめる取り組みのなかで映画館をサポートすることが出来たら嬉しい。
『Reel』第一弾作品について
そんな『Reel』が取り扱わせていただく第一弾作品についてもご紹介させて頂きたい。それはなんと先月のエントリーでも紹介させて頂いた、濱口竜介監督の最新作。
第一弾作品 濱口竜介監督「偶然と想像」について
第71回ベルリン国際映画祭 審査員グランプリ(銀熊賞) 受賞
「偶然」と「想像」をテーマにした3話オムニバスから成る、『寝ても覚めても』『ドライブ・マイ・カー』の濱口竜介監督初の短編集
■第1話 『魔法(よりもっと不確か)』
撮影帰りのタクシーの中、モデルの芽衣子(古川琴音)は、仲の良いヘアメイクのつぐみ(玄理)から、彼女が最近会った気になる男性(中島歩)との惚気話を聞かされる。つぐみが先に下車したあと、ひとり車内に残った芽衣子が運転手に告げた行き先は──。
■第2話 『扉は開けたままで』
作家で教授の瀬川(渋川清彦)は、出席日数の足りないゼミ生・佐々木(甲斐翔真)の単位取得を認めず、佐々木の就職内定は取り消しに。逆恨みをした彼は、同級生の奈緒(森郁月)に色仕掛けの共謀をもちかけ、瀬川にスキャンダルを起こさせようとする。
■第3話 『もう一度』
高校の同窓会に参加するため仙台へやってきた夏子(占部房子)は、仙台駅のエスカレーターであや(河井青葉)とすれ違う。お互いを見返し、あわてて駆け寄る夏子とあや。20年ぶりの再会に興奮を隠しきれず話し込むふたりの関係性に、やがて想像し得なかった変化が訪れる
監督・脚本:濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』(監督)『スパイの妻』(共同脚本)
古川琴音 中島歩 玄理 渋川清彦 森郁月 甲斐翔真 占部房子 河井青葉
プロデューサー:高田聡 / 撮影:飯岡幸子 / 整音:鈴木昭彦 / 助監督:高野徹 深田隆之
制作:大美賀均 / カラリスト:田巻源太 / 録音:城野直樹 黄永昌
美術:布部雅人 徐賢先 / スタイリスト:碓井章訓 / メイク:須見有樹子
エグゼクティブプロデューサー:原田将 徳山勝巳 / 製作:NEOPA fictive
配給:Incline 配給協力:コピアポア・フィルム 宣伝:FINOR/メゾン
2021年/121分/日本/カラー/1.85:1/5.1ch ©︎ 2021 NEOPA / fictive
この『Reel』の仕組みの利点について最後にもう1つお話させていただくと、
『Reel』という、劇場同時公開オンライン配信のスクリーンをその公開作品を上映している映画館でシェアする、という仕組みは、オンラインでも多くの人が見れば見るほど、そして長く配信されればされるほど、映画館の売上にもつながるわけなので、同時公開が前提である以上、もしかしたら映画館及びオンライン同時配信のロングランへのインセンティブがみんなで働きやすくなるのではないかという仮説(というか希望)も持っていたりする。まさに前述の宇野維正さんの重要な指摘に対してのアンサーになりうるかもしれないと思っている。
コロナ禍で、他の様々な産業と同じく、大きく痛手を負った映画業界において、むしろこれをきっかけに、進化と豊かさの起点ができたともなれるように、この『Reel』を広く多くのひとに活用いただきたいと思っている。
是非、年末に濱口竜介監督「偶然と想像」の配信が開始されたら、『Reel』でそして劇場で観ていただきたいし、今この作品を『Reel』でやってみたら面白いのではと思った配給担当の方からは是非ご連絡を頂きたいと思っています。
これから、どんな作品と新しい挑戦をしていけるのか、とても楽しみです。