能のお稽古を始めてみると〜ビジネスリーダーにおすすめしたい3つの理由
京都に移住してみると、能というものがたいへん身近にあることに気づいたんです。神社含め、能舞台はあちこちにあるし、お稽古をしてくれるお師匠さんもたくさんいらっしゃる。初心者向けの能舞台のイベントもちょくちょく開かれています。お師匠さんによると、能を鑑賞する人は少しずつ増えているのですが、能のお稽古をする人はとても少ないとのことです。それはそうですよね。能のお稽古をするなんてことは、東京にいたときは考えもつかないことでした。この間、初めての発表会に出たことをSNSで知らせると、何人かの友人から「能って習えるものなんだ」という反応もありました。
今回の記事では、自分自身が能のお稽古を始めて感じた、ビジネスリーダーに能のお稽古をおすすめしたい理由をお伝えします。
世界に通じる能の芸術性と精神性
次の記事によると、先週のパリ公演がものすごくインパクトがあったということです。能の持つオペラのような独特の謳い、そしてソプラノのように空へと飛び出すばかりの小鼓が絡み合い、幽玄の世界へ観るものを誘っていきます。ちなみに初心者が能を観ていて寝てしまうのは、この小鼓の音が脳科学的にたいへん快適なためだという研究もあるそうです。
この記事の中でも、パリジャンの一人が「能は瞑想(めいそう)のよう。鑑賞中だけでなく、劇が終わった後もいろいろと考えさせられる」と語っていて、能の良さは国を超えてストレートに伝わっていることが感じられます。
ビジネスリーダーに能のお稽古をおすすめする理由
能のお稽古を始めて気づいたのが、「お稽古の目的は、うまくなることではない」ということでした。能を教えてくださる方はみな、舞台に上がる正当な後継の方々であり、能を教えるだけの先生ではありません。お稽古して段位が上がるというような競争メカニズムが能にはないのです。
では、なんのために能を習うのでしょうか。先日の発表会のあとの懇親会でお師匠さんの一人に聞いてみました。すると、「能には古くからたいせつに伝えられてきた文化や精神が凝縮しており、学ぶべきものがほんとうに多く、そしてとにかく面白い。この面白さをほんとうに理解するには、自分でやってみるのが一番。だから習ってほしいんです」ということでした。つまり、能は「観るだけよりも、やってみた方がもっと面白い」というのが、お師匠さんたちが自らの時間を削ってまでも個人レッスンに取り組む理由だというのです。
能のお稽古をやってみたからこそ分かる面白さは、人間の本質的な願いや欲求に対する時代を超えた理解にあるとお師匠さんは言います。能の主役はほとんどが亡霊や鬼ですから、自分の人生を精一杯生きようとしたが果たせず悔いが残り、現世に戻ってきてその思いを晴らそうとします。
お能のお稽古の目的が「うまくなること」ではないとすると、学ぶそれぞれが自分自身の目的をもって習うことが正しいことではないかと思います。そこで私が提案することは、ビジネスリーダーにいま必要な能力を能のお稽古を通して学びましょうということです。ビジネスリーダーにいま必要な能力として私が挙げたいのは、世界観を描く力、多様な違いに共感する力、そして変化をつくる力、の三つです。それぞれ、能のお稽古で学ぶべき点がありますので、それをお伝えしていきます。
おすすめポイント(1):あの世から現世を見る力
最初の力は、世界観を描く力です。世界観を描くというのは、ビジネスリーダーの立場で言うと、「ゲームを戦うのではなく、ルールを作る側に立つ」ということです。ゲームを戦うというのは、今あるビジネスルールやマーケットのなかで他と差別化競争を繰り広げることになるので、こっちがやるとあっちがやり返し、ゲームを観る人にとっては面白いかもしれませんが、ゲームのプレイヤーになった企業は、どんどん疲弊していってしまいます。
では、どうすれば「ルールを作る側に立つ」ことができるのでしょうか。それは「どうしてこの仕組みができたのだろうか」とその起源をたどり、「原理原則に立ち返って新たな仕組みを構想する」ことです。
たとえば、「今、オーガニックが流行っているから商品をつくろう」というのがプレイヤー的な発想だとすると、「そもそもなぜ多くの商品はオーガニックじゃないのだろうか」と起源をたどっていくわけです。化学肥料や農薬を使い出したときには、その正当な理由があったからです。その上で、新しいルールを構想し、その仕組みと商品を同時に育てていく、つまりオープンプラットフォームをつくるのが、「ルールを作る側の戦略」です。
とはいえ、そんな発想に至るのはなかなか難しいものです。そこで役立つかもしれないのが、お能のお稽古です。私はラッキーにもほんものの能舞台でお師匠さんと一対一でお稽古させてもらっているのですが、そのようなシーンだと想像してください。ビジネスリーダーにシテを舞っていただくことの意味は、他人から見てうまく舞っているかどうかとはまったく関係なしに、自分はあの世から現世に戻ってきて、そこで舞っているという気持ちを強烈に体感することにあります。
自分自身が後継者に会社をついだあとのことを感じ、そのとき自分はどんな気持ちなのか、何かやり残した悔しさはあるのか、次世代の人たちに伝えたいことは何かなども。背筋を伸ばした状態ですこし前傾し、膝を少しだけ曲げてすり足をしながら、お扇子を掲げて舞台を進むとき、気持ちは現世とあの世の間を行ったりきたりしています。
おすすめポイント(2):多様な声を出す力
さて次は、ビジネスリーダーに必要な二つ目の力、多様な違いに共感する力についてです。私が謳いのお稽古で印象的だったのは、「自分のなかにこんな声があったんだ」ということの発見です。お能は西洋音楽と違い、音符がありません。音程を上げる下げるなどの記号があるだけで、音の高さは謳う人が自分で決めて謳い出します。つまり音程に正解がないので、自分の声との対話のようなところがあるのです。
あれ、相手の多様な違いに気づく話のはずが、自分のなかの多様性への気づきの話になっていないか、と感じられた方もいらっしゃるでしょう。そうなんです。相手の多様性に気づくには、まず自分のなかの多様性に気づく必要があるのです。私のビジネスパートナーは心理学を勉強していて、一緒に「傾聴と共感」のワークショップをやることがあります。彼女がいつも言うのが、「聴いてもらった経験がないと、きちんと人の話を聴ききることはできない」ということです。
自分にはいろんな声があることに気づくことは、自分にはいろんな感情があることに改めて気づくことです。相手の感情に気づくには、相手にはいろんな声があることに注意を向ける必要があります。
そして何より、腹から大きな声を出すことは気持ちがいいです。お師匠さんは言います、「大きな声を出してください。そのためには、たくさん息を吸うことです」と。呼吸が深くなると、副交感神経優位になり、そして相手の話をじっくりと聴くことができるようになります。
おすすめポイント(3):序破急で動く力
最後のポイントは、変化をつくる力です。もういちど舞いのお稽古の話に戻りますが、能舞台で舞う中で、私が一番気持ちがいいと感じる動きが「序破急」です。最初はゆっくり、だんだんと運びを早め、最後は急調子になり止めるというリズムが序破急なんですが、こうやって動くと、狭い能舞台のなかでも、かなりダイナミックな動きが表現できるんです。
ビジネスリーダーは、広い世界観を持ち、多くの人の声を聴いています。だからこそ、「これが大事にちがいない」という洞察を得ることが多いでしょう。しかし、これが組織にうまく伝わらないと、またトップが思いつきで動いてるよとなってしまいかねない。あるいは、自社だけが動き出しても、ステークホルダーにその真意が伝わらずに、なかなか変化が起きないことは往々にあるでしょう。
そこで序破急です。自分で動いてみると分かるのですが、たとえば部屋のなかで、リーダーの座席から会議室まで、序破急で歩いてみてください。具体的には、最初の五歩くらいはものすごくゆっくりと歩を進めて、そこからだんだん早めていって、会議室の手前ではものすごい速さになっていて、会議室の入り口で急に止まるんです。部屋中の人がびっくりすることでしょう。
つまり序破急は、速さを見せるためにゆったりをうまく使うのです。この感覚というのは、舞いで身につけると体感として身体に残ります。それを利用して、あらゆる変化を序破急で進めるのです。
リーダーが洞察を得て何かをしようと思ったとしましょう。ても、すぐには着手しません。序を意識して、ゆっくりと、でもそのことだけに集中して、「ずいぶんとゆっくり新しいことを始めたな」とまわりが気づくよう「あえてのゆっくり」で進めます。そして周りの一部の人が動き始めたら、少しずつスピードを上げていきます。でもみんながついてこれる速さにおさえて進めます。そしてターゲットの日が近づくと、ぐっとスピードを高めます。そのときは他の人もつられて動き始めている。こうして、リーダーは自分自身が序破急を保つというだけで、まわりが自分たちで変わる状況をつくれるのです。
人生は能舞台。あの世からの視点で現世を見ることで、本質的な変化を起こしていけるかもしれません。