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結婚とは感情でするものではなく、勘定でするもの

同性同士の法律婚を認めないのは「婚姻の自由」などを保障した憲法に反するとして、北海道内のカップル3組6人が慰謝料各100万円の支払いを国に求めた訴訟の判決が3/17に出され、話題になりました。

話題になったポイントは、札幌地裁(武部知子裁判長)は原告の請求は棄却したものの、同性婚の不受理は違憲性があると認めたことです。判決全文はこちらで読めますが、長いので要約された記事がこちら日経に出ていましたのでこちらを参照ください。

この記事ではしょられている部分も含めて要点をまとめると…

・憲法24条における「両性の合意」「夫婦」「両性の本質的平等」は、明治期の民法制定時、昭和22年民法改正時に同性婚の議論はなされておらず、異成婚を意味するものであり、民法などの規定が同性婚を認めていないことが、憲法24条に違反するとはいえない。

・憲法13条違反でもない。

・国会が定めた各種法律によって、異性婚カップルは婚姻により様々な法的効果(法的利益)を得られるが、同性愛者は享受できないこの区別取扱いは、憲法14条(法の下の平等)違反である(国会に認められた立法裁量を超えたもので合理的根拠を欠く差別的取扱いに当たる)。

というところだろうか。


この判決及び同性婚に対するご意見はネット上で数々出ているので、それについて追加で述べることはあまりありません。むしろ、僕個人の興味としては、判決文における「婚姻とは」という法的定義の部分です。しかも、明治民法以来日本における婚姻の法的定義について述べられているので、婚姻の歴史的定義の推移の資料としてもこの判決全文は貴重だと思います。

もちろん、婚姻制度自体、別に明治になってから始まったものではないのですが、近代国家・法治国家として以降の婚姻がこういう形で規定されていったのかは非常に興味深い。

明治民法においては,家を中心とする家族主義の観念から,家長である
戸主に家を統率するための戸主権を与え,婚姻は家のためのものであると
して戸主や親の同意が要件とされ, 当事者間の合意のみによってはできな
いものとされた上,夫の妻に対する優位が認められていた。このような明
治民法における婚姻は,終生の共同生活を目的とする,男女の,道徳上及
び風俗上の要求に合致した結合関係であり, 又は,異性間の結合によって
定まった男女間の生存結合を法律によって公認したものであるとされた。

このあたりは、江戸時代と違って、婚姻制度とあわせて庶民に対する家父長制度が取り入れられたことを表している。ちなみに、江戸時代までは、武士や豪商・豪農など何かしら相続すべくものを持つ上級層以外の庶民においては、割と男女の個人間の契約のようなものでした。だから、結婚したからといって互いに銘々稼ぎをしていたし、離婚も頻繁に行われていた。

簡単に言えば、明治民法によって妻は財産権を奪われ、家庭において夫の庇護をうけるものとされたようなもの。しかし、それは裏返すと、夫は妻と子をはじめとする家族という共同体経営のための経済的責任を一手に引き受けるべしという負担を負わされたということでもあります。

いわば、明治民法による婚姻制度によって、妻は経済的理由から離婚ができなくなったという不自由もあったが、夫には経済的責任を課せられたという話で、「男らしさ・女らしさ規範」の根源はここにあったりします。元々の日本の庶民は、結構いい加減でフリーで、男だからとか女だからとかいう個人の規範に縛られていたわけじゃない。地域の共同体の中で仲良くやるという意味の「空気を読む規範」には縛られていたけど…。

さて、未婚問題が取沙汰される時に「結婚して子を産み育ててこそ一人前だ」論が必ず出てきて、生涯未婚はその義務を果たしていないと非難されることが多いのですが、今回の判決文の中に、明治民法における婚姻の目的のようなものも整理されていたのでここに引用します。

明治民法においても,子を産まないという夫婦の選択も尊重すべき事柄といえること,子を産み育てることが婚姻制度の主たる目的とされていたものではなく,夫婦の共同生活の法的保護が主たる目的とされていたものであり…

明治時代だと「産めよ増やせよ」みたいな大号令があったり、「子を産まない妻は離縁だ」なんてことがたくさんあったかのような誤解がありますが、その点、明治民法においても「子を産み育てることだけが婚姻の目的ではない」とされていたことは意外ではないでしょうか。

婚姻とは,婚姻当事者及びその家族の身分関係を形成し,戸籍によってその身分関係が公証され,その身分に応じた種々の権利義務を伴う法的地位が付与されるという,身分関係と結び付いた複合的な法的効果を同時又は異時に生じさせる法律行為であると解することができる(「婚姻によって生じる法的効果」)。

ここでいう「法的効果」とは「法的利益」と言い換えてもいい。つまり、婚姻とは、個々の男女が婚姻することによって得られる「法的利益」を享受するためのものであると解釈できる。

「結婚をメリット・デメリットで考えるんじゃない」という意見もよく言われますが、法律的にはそもそも論として「結婚の目的は法的利益の享受」なのである。今回の判決で違憲となったのもまさにそこで、異性婚であろうと、同性婚であろうと、得られる法的利益が差別されるのは「法の下の平等に反する」ということですから。

何度もお話していることですが、江戸時代まで日本の離婚率は世界一でした。それは、結局のところ、婚姻を継続するよりも離婚した方がメリットがあったからにほかなりません。

それが、明治民法施行後、嘘のように離婚が減ります。

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これも、また、離婚するより婚姻関係を継続した方がメリットがあった(離婚するとデメリットが大きかった)ということを表しているようなものです。

「結婚をメリット・デメリットで考える奴は結婚できない」と言う人がいますが、むしろ逆です。「結婚をメリット・デメリットで勘定できない奴こそ結婚ができない」のです。まあ、愛もメリットのうち。

結婚は感情でするものではなく、勘定でするものです。無意識の場合も含めて、勘定をしているものです。でも、後者の結婚の方が結果として長続きするのではないでしょうか。若いうちの感情にまかせた結婚が3分の1は破綻しているわけですから。


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