noteからテレビへ。熱量がつながって電波に乗るまでの備忘録。
僕がキーオピニオンリーダーという仰々しい肩書で書いているこの日経COMEMOのコンセプトだ。
当初は恋愛感や家族感の多様性について書いていたが、最近ではビジネスや、プライベートの話題を書くことが増えた。
そんなプライベートな発信がテレビの電波に乗るとは思いもしなかったが。
今日はそんな話。
■広告とPR
僕の本業は広告だ。
広告の世界にはPRという領域がある。
「パブリックリレーションズ」の略で、直訳すれば「公的な関係性」とでもなるだろうか。
広告はメディアにお金を払って情報を載せることだが、PRはメディアにお金を払わずに情報を載せること。
それにはメディアの方から「取材させてください」と言ってもらう必要がある。
このPRを獲得するために、広告会社は躍起になる。
メディアに向けてニュースリリースを配信し、電話をかける。
記者発表のイベントを開き、商品やサービスを体験してもらう。
あの手この手で、なんとか記事にしてもらおうとする。
その最高峰がテレビ番組。
通常なら数千万円もするテレビの広告枠を買わず、電波に情報を載せるができる。
PRの領域で活動する広告屋にとって、テレビPRは喉から手が出るほどほしい成果だ。
僕自身もそんな仕事をよくやっているが、テレビまで到達することは滅多にない。
だからまさか、それをプライベートで達成するとは夢にも思わなかった。
■反響は1ヶ月後にきた
今年の8月4日、日経COMEMOでこんなnoteを書いた。
自宅に酒屋を誘致するまでの軌跡を書いた note は反響が大きく、これまでで2番目に閲覧された記事になった。
ただ、話題にはなったが(期待はしていなかったものの)特に記事になることはなく1ヶ月が過ぎた。
この翌日に酒屋さん側から出たニュースリリースもいくつかのサイトに転載(リリースがそのまま記事になること)されたが、取材依頼はほぼなかった。
通常、ニュースの初出しから時間が経過するほど、取材獲得の可能性は下がる。1ヶ月も経っていたら(通常の仕事なら)ほぼ諦めモードだ。
すると9月14日、会社のアドレスに広報部からこんなメールが転送されてきた。
noteを読んだSUMOジャーナルの記者さんが、(なぜか)会社の代表窓口に問い合わせをしてきたのだ。
会社の広報部には「プライベートな記事なのに、わざわざありがとうございます」とお礼を言って連絡先を引き継いだ。
どこか少し気まずかった
Twitterでシェアされた僕のnoteを偶然見たのが、取材のきっかけだったらしい。恩返し的な意味で「お店の宣伝にもなれば」と、取材を受けて出た記事がこちら。
これがはじまりだった。
記事が出るすぐに、東洋経済オンラインの記者さんからSUMOへ記事化の連絡があったらしい。
翌日には別のタイトルをつけ、掲載されていた。
この記事が今度はYahooニュースにも掲載され、知人や友人、同僚から「Yahooニュース見たよ」の声が相次いだ。
そして先日ついに・・・
テレビの取材依頼が来た(しかも複数)。
最初の記事からは、既に4ヶ月が経過していた。
■プライベートメディアからテレビへ。熱量がつながる。
これまでの経緯をざっくりまとめるとこんな感じ。
テレビの詳細はまだ書けないが、最初のnoteを書いていなければ、ここまでたどり着くことはなかっただろう。
#書けばつながる
改めて日経COMEMOのコンセプトについて考える。
つながったのは、おそらく熱量だ。
僕や酒屋さんの熱量がTwitterを経由して伝播し、じわじわ温まってWEBメディアの記者さんの心を動かし、テレビのディレクターに届いた。
「個の時代」が社会のキーワードになって数年。
瞬時に大量アプローチできるマスメディアありきではなく、1人の熱狂が時間をかけて伝播していく時代に変わっているのかもしれない。